第12章−10


帰りにさらに寄り道し、あたしは青屋根のお屋敷を訪ねた。
「コンラッド博士〜。カードキ〜」
「にゃーん」
玄関で適当に呼ばわると、黒白の長毛種の猫ちゃんが顔を覗かせる。
この一見大きなぬいぐるみのような猫ちゃんは、実はレジェンズ、しかも知性派。とっても賢い猫のコンラッドさんです。

賢い猫は、対面するなり伸び上がってあたしの口元の匂いをかいだ。
「何だか、いい匂いがしますねぇ」
「あー。さっきお寿司食べたから」
「ええー。いいにゃ〜」
「いいなら代わってあげたかったですよ。ウィングトルネード付きだしさ。…そっちはどうでした?」
「にゃっ、ふっ」
博士がニヒルな表情で肩をすくめる。一緒に、首輪に付いた鈴がコロコロ鳴った。
「個人的に興味深い事象は、いくつか…。けど、ワタシは謎解きの専門家じゃありませんからね」

この休日中、地下階に入れるカードキーを博士に貸しておいたのです。
目的はもちろん、ドリームランド・プロジェクトがどうなったのか調べてもらうため。
DWCは、生レジェンズの行動には割と寛容。見つかったところでそうお咎めはないだろうから、あたしが貸したことまで追求されることもないだろうと踏んだ。
知識のある猫ちゃんの方があそこで調べられることも多いだろうし、それを教えてもらえるなら、あたしとしても損はない。

…けど。
何だか今日はもう、それどころじゃなくなった気分。

「明日はあたしも会社なので。あのカードキーは返しておいてもらわないと。…」
「承知してます」
コンラッド博士は明快に頷き、すぐにあたしのカードキーを持って戻ってきた。
はい、とこちらに渡してくれたついでに、博士の猫の肉球がぷにりと手に触れた。
ぷに。
弾力のある、絶妙に柔らかい手触り。
ぷにぷにぷに。
「にゃっ。にゃっにゃっにゃっ」
あたしはしばらく無言で猫ちゃんの肉球を揉んだ。
「はー…癒されるわぁ…」
博士が怪訝な顔をしてもぞもぞ動く。
「何がです。何なんです?」

「ねー、博士」
ぼんやり博士の肉球をいじりながら、あたしは聞いた。
「もしも、レジェンズウォーが起きたらさ…人間って、死ぬと思いますか?」
博士はあっさり頷いた。
「ええ、死にます」
「な…何十万人も?」
ついつい数字をスケールダウンして聞く。
「もちろん」
「ちぇっ」
あたしは溜息をついて猫ちゃんの手を離した。
「まあいいや。さっきの話、聞いていってもいいですか?」


吹き抜けの書斎兼応接室に通されて、緑色のソファに座る。
「……………」
そのままずるずる横に倒れて、あたしはしばらくぐったりした。
博士はあたしの様子をとがめるでもなく、特に興味もなさそうに、紅茶を淹れてくれる。
あたしは横倒しになったまま、カップから立ち上る湯気をぼーっと眺めていた。

「プロジェクトは既に解散していました」
猫ちゃんはあたしの向かいの椅子に座り、紅茶のカップに口をつけた。
「空き部屋になってたと、アナタが言ってた通りです。ただ…解散したことは確かなのですが、何があったのかについての記録がほとんど残っていないんですよ。どうも、何かトラブルがあったようですね」
「トラブル…」
「ドリームマシンは紛失。ドクター・Qは行方不明になってます」
「えーっ!?」
あたしは思わず体を起こした。
「どうして?消された?やだなあ、悪の組織…」

「消されました。記録については、確実に。意図的なものでしょう」
考えながらそう言って、猫ちゃんは目を細くした。
「紛失、行方不明、というのがね。失敗の責任を被せるにしては引っかかります。…例えば『あちらの世界』へ行ったドクターが、何らかの理由で『帰ってこれなくなった』結果の解散だと考えることもできますね」
「……。ただ単に、ドクター・Qがドリームマシンを持ち逃げした結果、って考えることもできますね」
あたしが突っ込むと、
「そうなんですよ〜」
博士は急に投げやりになった。
「どうとでも考えられる結果なんて、何の役にも立ちません。残念です。このプロジェクトは、計画そのものではなく、計画を成功させるためにとった手段こそが極めて挑戦的であり、興味深い検証になったはずだったのに」
「分かるわー…うちの会社って、任務が失敗した後のことって何かにつけて杜撰だわー…」

考えているうちに頭が疲れてきて、あたしは再びずるずる横に倒れた。
「……。結局、『道』ってあったんでしょうか」
猫ちゃんがちょっと考える。
「彼らは『ドリームマシン』を使って『ドリームランド』を見つけることには成功したようです。ワタシたちが出向いたときも、言ってましたね。もう見つけたと
「ええ」
「ですが、彼らが見つけた夢の世界が、本当にレジェンズと関わりのある場所だったのかどうかについての記録がない。証拠がないなら、つまり、そうではなかった、ということになるんでしょうね」
そう言って、猫ちゃんは澄ました顔で紅茶を飲んだ。
諦めちゃって、もういいや、みたいな超然とした口調だった。
「関係ないなんてこと、なかったはず…。ドクターははっきり『レジェンズたちの世界』だって言ってたし、缶詰も作るって言ってたのに」
「そう言っていた肝心の責任者が、行方不明ですからね。彼らがそのように考えていた、ということが、実際本当にそうだったかどうかを担保するわけでもない」

「……。死んじゃったのかな、ドクター・Q」
「まあ、非常に興味深い出来事ではありました。今回結果が判明しなくても。次やその次、同じような試みが起こらないとは限らないし、そのときはまた違う結果を見ることができるかもしれませんよ」
横倒しになったまま、あたしはとげとげしい声を出した。
「人間には次なんてありませんよ」
猫ちゃんがきょとんとした。
「次のレジェンズウォー、ってことですよ。当たり前でしょ」
「ちぇっ。何かさあ。その言い方がもうさあ。…」

ふてくされるあたしを眺めて、博士は不思議そうに首をかしげた。
「そもそもアナタは、道などないと思っていたのでは?」
「思ってたけど。…考えたんです」
緑のソファに頬をくっつけ、あたしはぼんやりと言った。
横倒しになった視界には、猫ちゃんのちんまりした足と、90度回転した本棚が映っている。
寝転がったままちょっと目を上げる。2階分の高さの本棚は、この体勢から見上げるとまるでそびえ立つようだ。ずらりと並んだ無数の本が、しんとしてあたしたちを取り囲んでいた。
「もしも、道があったら。それは、人間が伝説を語り継ぐからこそレジェンズが存在するってことで――それはつまり、レジェンズウォーも人間から生まれてるってことで――」
言葉が途切れる。
そこで思考が立ちすくむ。どう考えていいか分からなくて。だけど。

「もしそうだったら――逆に言えば、人間が望めば、レジェンズウォーは止めることができるってことになりませんか?物語が変わったら、物語によって語られるものも変わる?」

期待を込めてあたしは聞いた。
ほとんど迷わず、博士は答えた。
「…人間はそんなことを望まないと思いますよ」
青と緑のオッドアイがきょとんとしてあたしを見つめていた。
「どちらが先であるにしても。レジェンズウォーで世界は滅びますし、人間は、人間自身がそう望んで繰り返し世界が滅ぶ物語を語ります。アナタは昨日と今日とでまるで違うことを望む人間になることができますかね?」
「……………」
本棚いっぱいの本があたしたちを取り囲んでいる。これを読む博士は、語られる物語の形を知っている。
あたしにだって思いつく。
驕った世界が滅ぶ物語は繰り返し語られる。他のどんな伝説よりも強固に、人の心に根を下ろす。
聖書や神話のエピソード。小説だったり、漫画だったり、映画だったり。
テレビで見たとき、このレジェンズの話だってそういう物語のひとつだった。
「分かりません」
あたしは溜息をついて立ち上がった。
変な姿勢で寝転がっていたせいで、背中が痛くなってきた。
「でも、昨日のあたしと今日のあたしは、同じじゃない、はず。少なくとも。…ほんの一瞬先でも、あたしたちは変わっていくんですよ?」
博士は肩をそびやかす。
「レジェンズが変化するのは、あるべき道を外れ、闇に呑まれるときだけです」

そういえばダンディーもそんなようなことを言ってたな、と思いながら、あたしはあいまいに首を振った。
「…コンラッド博士は、『光』のレジェンズについて何か聞いたことはありますか?」
「ええ」
「ええっ!?」
前にアナタが話をしていたのを聞きましたよ。それが、何か?」
「ちぇっ。そう言えばそうでした…」

そういう人だと最初から分かってるけど、この猫ちゃんが相手だと、沈んだ気分が余計にもやもやするだけなのだった。
そういう人にしか話せないこともある。気にはならない。
もう一回溜息をついて、あたしはその辺に積んであった本に手を伸ばした。
「物語の形、か。…」

世界は滅びて。
選ばれし者だけがかろうじて生き延びる。
彼らの苦難の物語の中で、選ばれなかった人間については語られない。

物語の中で言及されなくても、例えば、挿絵の中に彼らの行く末を見ることはできるのだ。
崩壊する塔。逃げ惑う人々。
暗い闇の中、一条の光に照らされる生存者たち。その背景の黒の中には、雷に打たれ、洪水に飲み込まれる人々の苦悶の表情と累々と連なる屍が濃い影で塗りつぶされるように描かれている。

それが、選ばれた側から語られる、物語の形。
ページをめくろうとして、ふと手が止まる。

――前にこんな風に猫ちゃんの家に来て、レジェンズウォーの話をしていたとき、言われた。あなたに熱狂はないと。
あなたにとっては他人事なのよ、と、ハルカ先生は言った。

それは、運命について語るあたしの話を聞き、態度を観察した人が投げかけた言葉。
その言葉の本当の重さに、今、突然気が付いた。
…あたしは馬鹿だ。
信用されなくて当然だ。本当にまるで他人事だった。




――あたしは一体、この絵のどちら側にいるんだろう??




「…どうかしましたか?」
よほど長い間会話が途切れていたらしく、猫ちゃんが首をかしげてぽつりと聞いた。

「うん。ええと…何て言ったらいいのか、ええと…」
もういい加減気分が悪くなってきて、あたしは目をつぶった。
「レジェンズウォーが起きたら。人間って、皆死んじゃうんですよね…」
「ええ」
「それって、つまり――レジェンズウォーが起きたら、あたしも死ぬってことですよね??」
「もちろん」
コンラッド博士はあっさり答え、あたしは、そのまま膝から崩れ落ちた。

嘘でしょ。
そんな

「そんな話聞いてない…!!いや大丈夫…夢だし。これ、夢だし…!」
猫ちゃんが遠慮がちに言った。
「もちろん、つまり…外の世界から来たという…あなたが、何か特別な力を持っているとか、生き残る方法を知っているというのなら別でしょうが」
あたしは首を回してのろのろと猫ちゃんのほうに顔を向けた。
「正直…」
酸欠の金魚になったみたい。何か喋ろうとして、頭が真っ白になって、口だけパクパクさせている。
「…正直、今までそういうことを、まるで考えたことがありませんでした…」
あたしがそう言うと、猫ちゃんはとても気の毒そうな顔になった。
「へえ」




そんな話聞いてない。
ほんとに聞いてない?

『あれ?でも、それってほんとに大丈夫?それだと、が――』
『こら!滅多なこと言わないの〜』

あのとき、遮られた言葉。


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