第6章−3


あてもないまま再びシュウたちの秘密基地まで戻った頃には、もう日が暮れようとしていた。
戻ってきてはみたものの、顔を合わせてもまたおっぽり出されそうな気がする。
どうせ今日はもうじき終業だ。ダンディーとあたしはその辺にあったベンチに並んで座り、だらだらと打開策を考えて時間を潰していた。

「…戦争に必要だから、ってのはまずかったと思うよ。相手は子供なんだしさ」
「…まずかったかね」
ダンディーが面倒くさそうに言う。
「そもそもの辻褄が合わねえ話だからな。使った方がいい、口実なのかと思うじゃん」
あたしは眉をひそめる。
「…何それ」
「さあ。…」

「それにダンディー、シロンさんのことも煽りすぎだよ。絶対怒らせたと思うよ、あれ。次に会うときどうすんの?」
「何言ってんだ。シロン?…あそこにはいなかっただろ?」
「いたじゃん。ダンディー、何度も蹴ってたじゃん」
あたしがそう言うと、ダンディーの動きが止まった。
嫌な予感がした。もしかして、素で気が付いてなかったんだろうか。
「白いネズミ…いたでしょ?ガガガって鳴く」
「……、…えーっと」
ダンディーは腕を揺らして宙に妙なリズムを刻みつつ、しばらく考えこむ。
ようやく思い当たったらしい。そのままぐわっと口を開いてあたしに掴みかかった。
「――あのネズミがウインドラゴンだぁあ!?」
「そうだよ!っていうかええええ!?あの態度、作戦じゃなかったの!?」
ダンディーが驚く。頭がばっくり行くかと思った。あたしも驚く。
あくまでシュウだけを相手に交渉することを印象付ける目的とか、最後の最後に好感度を逆転させる作戦でいるとか。そんな感じの理由がダンディーにはあって、ねずっちょ姿のシロンさんには意識して冷淡な態度を取っているものかと思っていた。まさか何も考えていなかったとは。

「知らねえに決まってんだろ!何でおめーそれを早く言わねーんだよ、
「いや…そういう、ネゴシエーターとしての煽りテクなのかと思ってた…」
ダンディーが舌打ちした。
「何だそりゃ。要らねえところで無駄な深読みすんなよなぁ」
「っていうか何で知らないの!?こないだリボーンされるとき、ちゃんと見てなかったの?シュウの学校にだって何度も一緒に行ったじゃん!」
「見張りなんか真面目にやるわきゃねーだろー。あーあ…まずったなあ」

ダンディーはそのまま頭を抱えてしまった。
ただでさえ手詰まり感が漂ってるって時に、そんなに露骨に落ち込まないで欲しい。
空気がまた一段、どんよりする。

「困ったなあ。まさかウインドラゴンと戦う訳にはいかねーしなあ…」
「困ってないで、何か考えようよー…」
一緒になって溜息をつきながら、あたしは何となく聞いた。
「そもそもさ、ダンディーはどうしてそこまでシロンさんと戦うのが嫌なの?」

前から不思議だったのだ。
負けたとはいえ、ストームワームさんやジャイアントクラブさんは、そこそこ勝負の形になっていた。ゴブリンさんはまあ…アレだったけど。アレは一応、あの場の全員が本物のレジェンズを見るのが初めての状況で、上手い対応ができなかったという事情もある。
手も足も出ない相手ってことはないと思う。
「ええとつまり…ダンディーって、そんなに弱い…」

ダンディーがむっとした顔になった。
「おめーは知らねーだろうけどなぁ、。ウインドラゴンってのは、四大レジェンズなの。とってもえらーい、ゆーーめいなレジェンズなの!」
「し…知ってるよ、それくらい!」
ダンディーは呆れたように首を振って、お前はレジェンズに似てるけどちゃんと人間にも似てんだな、。と言った。
「シロンと俺とじゃ、格が違うの。俺がデヴォアクロコダイルに生まれ付いちゃった時点でもう、叶う相手じゃーないの。それが分からねえのは、おめーが人間だからだよ」


その言葉の中にざらりとした嫌なものを感じて、あたしはちょっとたじろいだ。
「格…?」
「そ。あっちは花形。俺はザコ」
ダンディーはごく端的に、ひどくいたたまれないことを言ってのけた。
聞いたあたしの方が動揺する。
「ちょっと、ダンディー」
自虐が過ぎる。
ニュアンス的には正直、分からなくもない。分からなくもないが、何でそんなこと自分で言うかな。
「何、その分類?そりゃあ確かにシロンさんは強いけど、だからって――」
「――人間には分からねえんだよ」
とりあえず無難な言葉で丸く収めてみようとするあたしを、ダンディーが容赦なく遮った。
「人間は、びょーどーだもん。すごいやつが出世できるし、運がいいやつが儲けられるし、奴隷からだって王様になれるだろ?俺らは違うの。永遠に変わらない役割があって、花形とザコの違いも、種族に合った身の程も、全部最初から決まってんの。そういう、『変わらない』生き物なのよ」

何とはなしに雰囲気を了解した。どうやら自虐じゃないらしい。
レジェンズには、格の差がある。だからこそ「四大レジェンズ」という呼称があって、その人たちだけサーガを持ってて、中でも風属性のシロンさんはその筆頭とみなされる。
生まれながらの差がある。人間のように根拠のない差別として捉えられるものじゃなく、厳然と目に見えてある種族と能力の差。シロンさんは上の方にいて、ダンディーは下の方。多分、そういう話だ。
吐き出すようにあたしは言った。
「…何それ」

確かにドラゴンとワニじゃ、見た目もポジションも違う。それは、あたしにも分かる。シロンさんが主役なら、ダンディーは脇キャラだ。種族からして全然違うのだから、そこにあるのは人間同士のように努力や行動で埋められる種類の差ではないだろう。
理屈は、分かるけど。
あんまり愉快じゃない話だ。聞いてていい気持ちはしない。
ダンディーの態度がさばさばしていて、それを全部当然のことみたいに言うから、余計に。
「…何それ。変なの。身の程とか、意味分かんない」
そのまま向き合っているのが嫌になって、目を逸らす。外した視線のやり場がなくて、じっと前方の景色を睨んでみた。

「じゃあ、ダンディーが戦いたくないのは、ザコレジェンズじゃ花形種族に敵わないからなの?」
「そ。無駄なことは、なるべくしたくないの。分かった?」
と、ダンディーは言った。
「…………」
あたしだって別に、ダンディーにシロンさんと戦って欲しいわけじゃないんだけど。ダンディーの意見にあたしは賛成するべきなんだけど。

だけどここで、そうだね。格が違うから、ダンディーじゃシロンさんには敵わないよね。と、同意するのが正しいことだとは、あたしにはどうしても思えなかった。
あたしは段々腹が立って来た。
「…分かんないよ。そういう考え方、あたしは好きじゃないよ、ダンディー」
ダンディーがあたしの否定を鼻で笑った。
「そりゃー、お前は人間だからなあ」
「でも、だって。本当はまだやってみてもいないのに!?」
「だからさあ、戦う前から分かるんだって〜。つーか、さっきから何なのよ。お前は俺をシロンと戦わせたい訳?」
あたしがむっとしているのが伝わったのか、ダンディーも苛付いた声になる。

隣に座っているのが落ち着かなくなった。
あたしはベンチから立ち上がって、その辺をうろうろ歩き回った。

前から知ってた。ダンディーは、いい人なのだ。
陽気で気さくで、何でも笑って受け入れる。あるがままに。
何でも受け入れる。あたしなら到底納得できないようなことでも。だからこそ自分がいずれ人間を滅ぼすことを知ってても、あたしとこうして仲良くしてられる。
今はそのことに腹が立つ。

方向も定まらないまましばらくぐるぐる歩いてから、やっぱり我慢できなくなった。あたしはぐるりと向き直り、大股でダンディーの正面に歩いていって食ってかかった。
「ダンディーってほんと、何でもしょうがないと思ってるよね。何でもだよね!『俺はと違って大人だ』って言うけど、大人ってそういう風に何でも諦めることなの!?」
ダンディーが剣呑な目になった。
「ああそうだ」
ガラガラ声が冷たく答える。
「俺が何万年生きてると思ってんだ、お嬢ちゃん。諦めがよくなくちゃ、レジェンズなんざやってらんねー」

あたしは拳を握って突っ立って、ダンディーはどっかりベンチにそっくり返って、あたしたちはしばらくそのまま、意味もなく睨み合った。このとげとげしい雰囲気。
多分あたしもダンディーも、今日一日の展開に疲れているのだ。お互いの不機嫌が伝染しあって嫌な感じ。
あたしは腹立ち紛れについでに言った。
「…レジェンズウォーも、そうなんでしょ。起こるのしょうがないって思ってるでしょ」
「………だって。実際、しょうがねえじゃんよ」
「しょうがなくないよ。あたしは嫌だよ。あたし、レジェンズウォーを止めたいもん」

「ぶっ」
ダンディーがいきなり吹き出した。
「止める!?レジェンズウォーを?わははははは!!」

ばしばしベンチの背もたれを叩き、ダンディーはその場でげらげら笑い始めた。
体も声も大きいから笑いのリアクションも豪快だ。何か、傷つく。
「ちょ、何で笑うの?笑うとこなの、そこは!?」
「だって、ははは!おめー、そもそもレジェンズウォーがどんなもんか知って――…、」

ひーひー言いながら、その途中であたしの顔を見て、ダンディーはふっと真面目な表情になった。
言葉を切って言い直す。
「…いや。どうやら、知ってて言ってるらしいんだよな」
「そうだよ!知ってて言ってるよ!…多分」
「そっか。つくづくおめーは、変なヤツだな」
ダンディーはじろじろあたしを眺め回す。笑うのを止めた後も、いい印象じゃないことは変わらないようだ。

「レジェンズウォーを、止めたい、ねえ…」
ダンディーが呆れた様子を隠さないので、あたしはちょっと自分に自信がなくなった。
戦いというのは存在自体が無条件に良くないもので、それを止めたいという考えは、誰でも賛成してくれる種類のことかと思ってた。もしかしたらこれも人間ならではの考え方なんだろうか。
「…あたしの言ってること、そんなに変?」
「俺、ただのレジェンズだからさ。基本、起こるはずもないことを祈ったりしねえのよ」

起こるはずもないことは祈らない。
諦めなくちゃやってられない。
どうしてそんな悲しいことを言うんだろう。
自分がこの世界にやって来たときのことを思い出し、あたしは勢い込んで否定した。
「起こるはずもないことじゃないよ!」

「起こるはずもないことなんて、何にもないよ。今度のレジェンズウォーでは色んなことが今までと違ってきていて――確かガーリックハンバーガーが何とか…――それで、ほんの一瞬先でも、あたしたちは変わっていくんだよ!
ダンディーが半目になって聞いた。
「…レジェンズも?」
「レジェンズも!だって、あたしにそう言った人はレジェンズだったし」

「誰だよそれ。闇?」
ダンディーが聞く。
あたしは面食らって答えた。
「何で闇?光だったよ」
「光ぃ?何だよそりゃあ…」
あたしの答えに今度はダンディーがドン引きする。

会話がことごとく噛み合わない。根本的なことについての感覚が、ダンディーとあたしとではそもそも随分違うみたいだ。
あたしの顔をつくづく眺めた後、ダンディーは溜息と共に唸った。
「おめーの言ってることは、いちいち意味が分からねえ…」
「あたしも、ダンディーが何を言ってるのかさっぱり分からないよ…」

あたしもダンディーもそのまましばらく黙り込む。
しゃべってみたらお互いがお互いのことを前より余計に分からなくなって、その不毛さに途方にくれる。つか、ダンディーにこれしゃべっちゃって良かったのかな。

そのうちに立っているのも手持ち無沙汰になってきたので、あたしは溜息をついて元通りダンディーの横に座り直した。
ダンディーの方も色々どうでもよくなったみたいで、大きな手がこっちに伸びてきて、なだめるようにあたしの肩を叩いてくれる。見上げてみれば、凹凸のはっきりしたごつい顔には夕日の柔らかい影が落ちていた。
「はははは。何だか無駄に疲れたねー」
「おう。疲れ切ったわ、意味もなく」

ダンディーは、いい人だ。
陽気で気さくで、いつも優しい。あたしがこの世界に来て初めてタメ口で話せた人。
ずっと一緒に居られたらいいのに。
「……………、……」
足をぶらぶらさせながらぐるぐる考えてみて、あたしは、自分の中ではどうしようもなくなった疑問の言葉を投げかけた。


「…変わることって、闇っぽい?」
「うん。闇っぽい」


「ふ〜ん。…」
簡単に即答されてしまった。あたしは再び考え込む。
この世界って、あたしが漠然と抱く善悪のイメージとは色んなことが食い違う。きっと、光と闇もそうなんだろう。
そもそもあたしの立場からして正義じゃないし。悪の会社の社員だし。
何が正しいことなのか。
あたしはいつでも分からない。

頭を揺らして、いつもの言葉を呟いてみた。
「ダークウィズカンパニーはー。自分のためにー」
ダンディーが呆れたように笑った。
「おめーはほんと、その標語好きだよなあー」
「だって、いい社訓じゃん。ダンディーは嫌い?自分のためにー」
あたしは好きだ。
やりたいことに迷ったときは、自分に素直になろうと思える。いいことっていうのはいつだって自分のためにもいいことであるはずなので、自分がいいと思うようにやってれば、とりあえずそんなに間違ったことにはならないだろう。
多分。何が闇でも。

眼前に広がるイーストリバーを眺める。心が決まる。
「――よし。シロンさんをやっつけよう!」


ダンディーがベンチからこけて落ちた。
「いやいやいや!何でそうなんの!?それ、どう考えても間違った道だろうがよ!!」
「だってここには川があるよ、ダンディー」
あたしがイーストリバーを指差すと、あたしの言いたいことが分かったのか、ダンディーはちょっと息を呑んでから、ぼそりと訂正した。
「……。川っつーか、海だね、これは」
「うん、どうでもいいよ。ダンディー、水のレジェンズじゃん。だからここは、ダンディーの戦場じゃん?」

否定の言葉は上がらなかった。あたしはダンディーを見据えて食い下がる。
「あたしは何度かシロンさんが戦うところを見てる。行動パターンは知ってる。あの人には弱点があるし、それでいい感じの勝負に持ち込めた人もいるよ」
「…………」
ダンディーは押し黙っている。
いつもはぽわんと赤らんでいる鼻の上の辺に深い皺を刻んで、じっと目をつぶっている。
考え込んでいるようだ。
「勝ちに行こうよ、ダンディー。誰かが誰かに生まれつき敵わないなんて、あたしは認めない。やってみなくちゃ分からないじゃん!……、そういうの、闇っぽいのかもしれないけどさ」

ダンディーの喉が何か言いたげに動いた。
迷っているのかもしれない。
「ねー、ダンディー!」
かたくなな態度をひっくり返そうと、あたしがダンディーににじりよった次の瞬間、ダンディーは何かが突き上げてきたみたいなものすごい咆哮を上げた。
「うがぁあああああああああーーーーーー!!!」
耳が割れるかと思った。吠えたける雄叫びに誘われてイーストリバーの水面がうねり、そこここで勢いよく水柱が吹き上がる。一段高いこっちの遊歩道にまで、ばしゃばしゃ波が打ち寄せてきた。
あたしは飛び上がった。
「ぎゃーーー、何!?」

ややあって、ダンディーがボキリと首を鳴らした。
「……、気合入れてみた」
「あ、ああ…そうなんだ。つーか、びっくりした…」

ざぶざぶと荒く波立つ水面を眺め、気合というよりまるで何かに怒ったみたいだったな、と、あたしは思う。
怒りの叫び。多分あたしに対するものではなく。
ダンディー自身を蓋する何かに。

その蓋は取れたみたいだった。ダンディーがふーっと大きく息を吐く。
「やってみなくちゃ分からない、か…バカじゃねえの。世界がそんなに簡単にできてたら、俺だってさあ…――」
何かの八つ当たりみたいに低い低い声が唸って、そこで言葉が途切れた。
「でも――まあ。そういうのも、悪くねえかもな。確かめてみたいことも、なくはねえ

大人なダンディーは、いつまでも普段と違う自分をあたしに晒したままではいなかった。
動揺はそれきり。すぐにいつもの何てことない態度に戻って、どっこいしょー、と声を上げて立ち上がり、大仰な動作で伸びをする。それから、まだびっくりしているあたしに向かってぐっと親指を立てた。
「いいぜ、。シロンと戦おう。ちょっくらいっしょーけんめーやってみよ〜」
「ほんと!?」
「うん、ほんと」
ダンディーはのしのしと川岸に歩いていって、イーストリバーのほとりに立った。
上流を眺め。
下流を眺め。
それから背後のニューヨークの街を振り返る。大きな目玉がぎょろぎょろ動いて、ダンディーは縦横に交差する路地を目で追いながら何かを確認しているようだった。
「…何してんの?」
前にお前にやった雑誌、今持ってるか?」
「雑誌?ああ。ちょっと待って」
カバンに入ってた。
ダンディーがタウン情報誌のページを広げる。見つめているのはお店の紹介ページじゃなくて、最初の方に載っているブルックリン地区の概観図だ。

「俺の戦場、か。……」
じっと考え込みながら、オレンジ色の手袋をはめたごつい指が地図の水筋をなぞった。
「勝ちに行くなら作戦が要る。事前の準備もな。ここが俺の戦場なら、それなりの意地の見せようはあるし、一回くらいは『身の程知らず』に戦ってみるってのも悪くねえ。――花形レジェンズにゃどうせなれねえが、それでも、な」

当然お前も手伝うんだよな、。ダンディーはそう言ってニヤリと笑い、あたしにグーパンチを突き出してみせた。
もちろん頷く。
「うん!頑張ろう!」
燃える夕日を背景にして、あたしとダンディーは静かに拳を打ち合わせたのだった。

レジェンズだって変わる。
頑張ったら変えられる。そう思いたい。
頑張って、掴み取りたい。決まった運命じゃない何かを。


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