第5章−3


3日が過ぎた。

『フッ…どしてもやるってなら相手になってやるぜ…カモン!』
『シャラップ!ウゥ、ウッ、アゥ!』
『オウ、ノウ、ミ〜チャーーン!!』

あたしたちは今日もブルックリン101小学校の敷地近くにバンを止めて待機している。
これは、JJさんが持ち込んだDVDプレーヤーの音です。
今、みんなでアメリカンVシネマを見てる。ハードボイルドで巻き舌なやつ。

――組織に追われる孤独な男、内心では彼の生き方を認めながらも己の立場を守るために彼と対峙する追っ手。
『だがな、これだけは言っておくぜ…。戦いの強さが優劣を決めるんじゃねェ。本当の強さは…そんなところにねェッてことヨ』
『ホワァット!?じゃあ…じゃあ、本当の強さって言うのは…何だって言うんだい』
『それはな… 、

画面いっぱいに写りこんだ主人公がフッと渋い笑みを漏らし、決めのセリフを言おうとするまさにクライマックスというとき、
「そこーーー!仕事中に、テレビを見ないーー!」

ぷちっ。
形のいい手がリモコンを取り上げ、DVDの電源を切った。
BB部長が眉をつりあげてあたしたちを睨んでいる。

J1さんとJ2さんがぶつぶつ言った。
「だってー。見張ってたって、なーーんも進展ないじゃないですか」
「俺ら、こうやってテンション上げながら待機してますから。何かあったら教えてくださいよ、部長」
「ダーメ!ダメに決まってるでしょ、そんなの!」
部長はカリカリしている。
助手席にいた巨大なワニが、気だるげに座り直し、背もたれに腕をかけてこっちを向いた。
「っていうかさあ。これ、いつまでこうやってなきゃいけないの?」

このワニも、任務のために支給された本物のレジェンズだ。部長がこの前リボーンした。
見た目はまんまワニだけど、ワニって呼ぶと「ワニ言うやつがワニじゃあー!」と、すごい勢いで腹を立てる。名前はダンディーさん。
リボーンされはしたものの、アンナちゃんの潜入任務が続行中のせいで今のとこ出番がない。

いつまでこうやってなくちゃいけないのか。
聞かれた部長が、舌打ちして学校の方を見やった。

何事もなく3日が過ぎて、ターゲットは既にアンナちゃんに篭絡されきっている。ように、あたしたちの目には見える。
消しゴム貸して〜って言ったみたいにタリスポッドちょうだ〜いって言えば、それで交渉は成立だろう。アンナちゃんにならきっと、簡単に渡してくれる。ボディタッチかなんかで気を逸らしつつ背後に回り、隙を見てタリスポッド入れの留め具のポッチを外して中身を抜き取ってしまうという手もある。
なのに事態はそこから一向に進展しない。
アンナちゃんは、とても慎重なのだ。
待ちくたびれた皆の間には、さすがにいい加減慎重すぎるんじゃない?というだらだらした空気が漂い始めている。

「全員でこうしていてもしょうがないか…、
「はい。何ですか?」
「あんたはお昼を食べたら会社に戻りなさい。…そこのワ、ダンディーと」
「あたしが…ダンディーさんとですか?」
「来てからずっと外回りばっかりだけど、少しは事務の雑用もできるようになっといた方がいいわ。コピーのとり方、この前教えたわよね?」
「はい」
「じゃ、午後は二人でコピーと棚の整理と電話番、お願いね。分からないものには触らないように」
あたしはちらりとダンディーさんを見やる。
「……。やれっつーなら、やるけどさー」
ダンディーさんは顔をしかめて体をぼりぼり掻いている。ウロコのカスがぱらぱら散った。
この人、体が大きいから、一緒にいると車の中が狭いんだよね。今も太い尻尾が座席からはみ出している、それも二本。移動時ならまだしも全員揃ってひたすら車で待機しているだけだから、大変圧迫感がある。
部長が言いたいのは、多分そういうことだろう。

何だか色々押し付けられてるような気がして、あたしはちょっと考え込んだ。
でも、ここでアンナちゃんを見張ってるよりはいいや。
あたしは部長に向かって聞き分けよく頷いた。
「……、わかりました」



お昼休み、車内に居残る部長たちと別れ、あたしはダンディーさんと会社に戻った。
ダンディーさんは呑気にそこら辺の街角で足を止めてはタウン情報誌を買い、オープンカフェでコーヒーを飲む。

ワニ…
ニューヨークに、ワニ!?
通りすがる人々のざわめきがちょっと耳に痛い。

「何だかアンタ」
並んで信号待ちをしながら、ダンディーさんがふと言った。
「浮かない顔してんなぁ」
あたしは慌てて背筋を伸ばした。モヤモヤした気分だったのが顔に出ていたのだろうか。
「…何でもないです。色々、考えごと」
「……。ふーん」

つったっけ、アンタ」
「はい、そうです。よろしくお願いします」
「いや〜、タメ語でいいで」
ダンディーさんは大きな顎をばっくり開くと、気さくに笑った。
「新人なんだろ?なら俺ら、同期じゃん」

あたしはダンディーさんを見上げて、ちょっと固まった。
「そ、そういや、そうかも…」
言われるまで全く思いつかなかった。下っ端気分に慣れきってたせいだ。
体格よくて声も大きい人だから、自然に敬語使っちゃってたよ。
リボーンされた時期を考えたら、ダンディーさんだって新入社員だ。対等な立場の同期と、言えなくもない。むしろダンディーさんがあたしよりちょっと後輩なくらい。

強面の大きなワニ相手に、この世界で初めて、あたしはぎこちないタメ口を利いてみた。
「えと…じゃあ、これからはダンディーって呼ぶね?」
「おう、よろしくな」
ダンディーさんがニコニコ笑う。つられて自分が笑顔になるのが分かった。
仲良くなろうとしてくれてる。
ダンディー、意外といい人っぽい。
部長もJJさんもいい人たちで、いつも優しくしてもらってるけど、やっぱり上司で先輩だから。対等な口調で話せる人がいるのは嬉しい。



オフィスに戻っても、やっぱり暇だった。

ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。
快調な速度で排出口に紙が吐き出されていく。
あたしはコピー機に両手をついてもたれかかり、印刷が終わるのを待っている。
ダンディーはちゃっかり部長のデスクに座り、さっき買った情報誌を読みふけっている。

「…それ、面白い?」
「うん。こういう隠れ家的な店の紹介とか見るの、好きなんだよね、俺」
「へー、後で見せてくれる?あたしもこの街に最近来たばっかりなんだ」
「おう、読み終わったらにやるよ」


車の中で見張りをしてるのも暇だったけど、これはこれで、だらだらするなあ。
何だか学校の自習の時間を思い出す。

プルルルルル
電話が鳴る。ダンディーが受話器を取った。
「はい、ダークウィズカンパニーです。…うん。ああ、じゃーね」
ガチャン。

プルルルルル
電話が鳴る。ダンディーが受話器を取った。
「はい、ダークウィズカンパニーです。…あああ?知らねーよ、そんなこと。うん、ああ、じゃーね」
ガチャン。

ダンディーの電話番、ひどいな。片っ端から切ってるだけのような気がする。
ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。
他にすることがないので、あたしはコピー機に両手をついて、規則正しく吐き出されていく紙をただじっと眺めている。

「…ハーピーのヤツ、随分楽しそうだったよなあ」
思いついたようにダンディーが言った。
「学校って、そんなにいいものなのかねえ?」
「…人によるんじゃないかな。アンナちゃんは、楽しそうだったね」
「案外あいつ、あのまま学校に通ってたいから任務がはかどらないんじゃねえの〜?」
のんびりできていいけどさ。と、ダンディーが笑う。
うまい返事が思いつかなくて、あたしは黙っている。
「…………」

アンナちゃんは、シュウと仲良くなるレジェンズだ。あたしがテレビで見たときは確かそうだった。
――邪な目的を持って近づいたはずなのに、いつの間にやら無垢な少年に心奪われてしまった孤独な女スパイ、そんな彼女を追い詰めるのは悪の影。
まさかターゲットに情でも移ったんじゃないでしょうね?いつまでもぐずぐずしている気なら、カムバックしちゃうわよ。一生石に閉じ込められて自由を奪われたいの、オホホホホ?
組織にそう脅迫されたアンナちゃんは泣く泣く悪の言うなりになり…

いつかテレビで見た記憶に、さっきまで見てたハードボイルドなVシネマの絵が混ざる。陰惨な未来予想図が広がる。

あたしはコピーする書類を取り替え、印刷用紙を継ぎ足して、コピー機のスイッチを入れなおす。
ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。

こうしてあたしが関係ないことをしている間に、アンナちゃんの任務が終わってたらいいな。
そんなことを考えている自分に気が付く。溜息が出た。
あたしは駄目なやつだ。
アンナちゃんがシュウを裏切らされるところを、見なくて済めばいいと思っている。

「…で、はさっきから何してんの?」
思いついたようにダンディーがまた聞いた。
「コピー取りだよ。ソウルドールの持ち出しとかタリスポッドの使用とかの、申請書とか許可証明とか…色々。ダンディーも覚える?」

ダークウィズカンパニートイズは世間的にはただの巨大なおもちゃ会社で、レジェンズバトルのアイデアの元になった「本物の」ソウルドールが存在することを知っているのは、ごく一部の社員だけだ。
本物のレジェンズの存在は超・重要・企業秘密だから、一回「リボーン!」ってやるたびに社長のハンコが要るんだって。
金庫室への立ち入り、鍵の開け閉め、ソウルドール持ち出し(社内)、ソウルドール持ち出し(社外)、タリスポッドによるソウルドールのリボーン。それぞれに担当責任者の許可が必要で、本当は全部事前に申請するんだけど、ここの任務の性質上大抵が事後報告になってしまうから、その旨の報告書類も添付する。
コピーを回せば済むやつと、レジェンズ班に残す控えの分を、今コピーしてる。あと始末書。

今まで使ってたソウルドールって、総務さんから割とほいほい手渡されてたような気が、しなくもないんだけど。
最高機密であるはずのダンディーが、こうして堂々とそこらを歩いてたりする辺りも、謎なんだけど。

「一回の『リボーン!』のために、そんな手間がなあ。面倒くせえ話だなあ」
「決算前になったら棚卸もあるって。…大変らしいよ」
自分がなってみて、悪の組織に下っ端構成員が大勢いる意味が分かった気がする。
それだけ地味な雑用が多いんだよ、きっとどこもそうなんだと思う。
それともこれは悪の組織だからじゃなく、会社っていうものがそもそもこういうめんどくさい場所なんだろうか。

ダンディーに説明しながら、あたしはちょっと納得できない気分になった。
「――カニさんが、退職扱いだってさ。って、ダンディーはジャイアントクラブさんに会ってないか。アンナちゃんの前にリボーンされた人なんだけど」
「へー。退職したんだ、そいつ」
「海へ帰ったの。カニだから」

任務に失敗したことはもちろん怒られたけど、ソウルドールの紛失自体はそんなに問題にならなかったって、部長が言ってた。部長は素直に喜んでたし、聞いてあたしもほっとした。
今から追いかけろって言われたらどうしようかと思った。
あっさりしすぎて、意外ではある。
「こんなに管理の書類が多いのに、生レジェンズなら放流しちゃって構わないなんてさ。悪の組織の割に変なとこ寛容だよね?」

「生レジェンズは無理して束縛しない主義つーことなんじゃないの?」
ダンディーは部長の椅子にそっくり返りながら、つまらなそうに言った。
「実際、しても意味ないもん。俺らが目覚めた後でやることって結局、人間を――」
そこで口をつぐむ。
あたしは作業の手を止めて顔を上げる。
ダンディーはそっくり返った姿勢のまま黙り込んでいて、あたしからはダンディーの顎の裏側だけが見えた。
「……、ダンディー?」
「…ごめん。今の、何でもないわ」

謝られたせいで、あたしはかえって落ち着かない気分になった。
今、何て言おうとしたんだろう。
結局、人間を――

当然のことみたいに言いかけた口調が何だか怖かった。

コピーした紙を揃えて机の上に並べたり、数を数えて確認したりしてみて、しばらく何事もなかったかのように装ってみた後、やっぱり黙っていられなくなってあたしはダンディーに確認する。
「レジェンズウォーの…ことだよね、それ」
「…………」
ダンディーがゆっくりと椅子に座りなおす。ギョロギョロした爬虫類の目がひゅっと細くなった。
「…そんな事まで知ってんのかよ、この会社は」
ダンディーは低い声で静かにそう言った。
あたしは視線を泳がせる。
「ううん。そういう訳じゃ、ないんだけど。……」
「…………」
ダンディーはあたしを見ながら黙ってしまった。

ダンディーは、いい人っぽい。気さくに仲良くしてくれる、でも。
レジェンズウォーのことを知っていながら、今、あたしたちとこうして過ごしているのだとしたら、一体どんな気持ちでいるんだろう。何かを聞いてみたくても、そこを思うと言葉が喉から出てこない。それで結局、あたしも何も言わなかった。
ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。
ガー、ウィーン、ガチャン。
空気は固く静まり返り、機械の動く音だけがする。

しばらくしてから、ダンディーは大股でこっちに歩いてきて
「ま、手伝うわ!」
とだけ、あたしに言った。紙の束を手に取る。
何てことなさそうに笑うダンディーの顔を見上げ、ほっとしながらあたしは答えた。
「そうだね、お願いするよ」

みんなが悩んでる。
みんなが心を痛めてる。


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