第5章−4


あたしの仕事は今日も雑用です。
部長に言われて領収書を経理に出しに行った帰り道、廊下を歩いている途中で、ひょこひょこ動くダンボールの箱に蹴つまづきそうになった。
箱の陰に隠れてしまうほどの小さな子供…じゃないな、小さなおじさんが、体格に見合わない腕力でダンボールを運んでいるところだった。

あたしの膝くらいの背丈の、3頭身で目つきの悪いおじさんだ。
「…あれ?」
うっかり蹴り飛ばしてしまわないように足を引きながら、あたしは数回まばたいた。このおじさん、どこかで会ったことがある気がする。本当に会ったことがあるのか、前にテレビで見たことがあるだけなのか、判断が付きにくいのがこの世界の人のややこしいところだ。
おじさんの方もあたしを見ながら短い首をかしげる。
「あれ。アンタ、確かレジェンズ班にいた…」
おじさんがそう言いかけたところで、あたしも思い出した。
「あー!ゴブリンさん!!」


第3章の時にやられてから、どこに行っちゃったのかと思ってました。ふつーにDWCでお勤めしてたんですね」
「あれからずっと内勤だよー。疲れるわー」
ゴブリンさんは、はー、と大きな溜息をつくと、ぱたぱたと自分の肩を叩いてみせる。
その雰囲気で何となく、ゴブリンさんに代わってあたしがダンボール箱を持った。
「途中まで運びます」
「お、あんがとね。そっちは今も例の任務中?」
「そうです。まあ、ぼちぼちです…」
今も任務中だということはつまり、シュウのタリスポッドを奪う作戦が相変わらず成功してないってことなわけで。自分も失敗しているだけに、状況の困難さが想像できるのだろう。ゴブリンさんは小さな肩をすぼめながら慰めるような声を出した。
「大変だな、お互い」
慰められたあたしは思った。
老けたな、ゴブリンさん。
おじさんくさい服装をしているせいかもしれない。斧も持ってないし、Yシャツにネクタイ姿で両袖には事務員っぽく変な黒い布をはめている。それにしてもリボーンされた時はもっとはっちゃけキャラだったように思う。

「ま…、これだって石に戻るよりはいいよ」
ゴブリンさんはそう言って、また溜息をついた。顔色が冴えない。
あたしは眉をひそめる。あたしはレジェンズではないので、その辺の感覚はちょっと想像がつかない。
「ソウルドールに戻るのって、もしかして結構嫌なもんなんですか?」
あたしが聞くと、ゴブリンさんは笑ってごまかした。
「ははは。うーん、まあ。あそこ、狭いからさ」
「あー。ゴブリンさんたち、集団リボーンでしたもんね」
「うん。あの狭い中にぎっしり詰まってると、やっぱ窮屈なんだよねー」
「へー…」
入ってみればも分かるよー、とゴブリンさんは言った。まあそれは無理なんだけど、さぞストレスのたまる環境なんだろうことは理解できた。
同じゴブリンだからって気の合う人たちばっかりじゃないだろうしね。あの小さなソウルドールの中に密集させられたあげくそこで延々じっとしてなくちゃいけなかったら、空気最悪だと思う。
ダンディーみたいに一体だけでソウルドールに封印されてるタイプはどうなんだろう。ゴブリンさんたちみたいなストレスはなさそうだけど、それはそれで寂しかったりするんだろうか。そっちの場合も想像しようとしてみたけれど、あたしにはやはりピンと来ない話だった。


ゴブリンさんはこのダンボールを届けに上の階に行くそうだ。
あたしが戻るレジェンズ班のオフィスも上にあるので、一緒にエレベーターに行く。
DWC本社ビルは、外観も凝っているけど、エレベーターもテーマパークみたいだ。壁がガラスでできていて、上がって行くと外の景色がよく見える。ビルの内部には地味なやつもあるんだけど、こっちの方が楽しいので、あたしは大抵こっちを使っている。

ちーん。
ほどなく涼やかなベル音と共に壁のパネルが点灯し、エレベーターのドアが開いた。
中に乗り込もうとしたとき、ゴブリンさんがあたしの足をつついた。
「なあ、…アレ、何だ?」
あたしはゴブリンさんの指差した方向を見上げる。
「……。さあ…何でしょうね…?」

何だろ、この状況。

エレベーターの四角い天井に、ふじこちゃんみたいな人が、両手両足を広げてクモみたいに貼り付いていた。
ぴっちりした服を着た、抜群にナイスバディーな、女スパイみたいな。
ウェーブがかかった長い金髪とアイスブルーの瞳の、すごい美人だ。
だけど何で天井に?
あたしたちはぽかんとしてその女の人を凝視する。
女性が引きつった笑いを浮かべた。
「こ、こんにちはぁ?」

「お、おう…」
「こ…こんにちは…」

あたしたちはぎこちない挨拶を交わす。
それ以上は話しかける言葉が見つからない。あたしたちはドアの脇辺りの位置に、女の人に背中を向けるようにして立った。
改めてソウルドールに入ったゴブリンさんたちの気持ちが分かる。ような気がする。
変わった人と狭い空間に居合わせるのって、気まずいなあ。
天井を振り返って、ゴブリンさんが遠慮がちに聞いた。
「…何階ですか?」
「いえ。結構です〜」

ゴブリンさんが肩をすくめた。
「…だってさ」
「うん…」
ゴブリンさんは背が低いから、閉ボタンと目的階のボタンをあたしが押す。エレベーターのドアが静かに閉まった。

「…………」
「…………」
「…………」

ゴブリンさんが小さな声であたしに言った。
「…エレベーターの点検の人かなぁ」
「はい。多分…」
あたしは肩越しにちらちらと天井を振り返る。女の人は相変わらず天井にへばりついている。突っ張っている手足がぶるぶる震えているのが見えた。あの体勢を保っているのは、きっと疲れることなのだろう。
見ているだけで大変そうだ。
変わった人だ。レジェンズ世界に来てからこっち、変な人との出会いはいっかな尽きることがない。ここはもう、そういう世界なんだと思う。
…どこかで会ったことがある気がする。本当に会ったことがあるのか、前にテレビで見たことがあるだけなのか、判断が付きにくいのがこの世界の人のややこしいところ

「ってああああーー!!」
思い出した。
「は、ハルカ先生じゃないですか!?こんなところで一体何を!?」
びっくりした勢いのままに、あたしはがばっと向き直って天井を指差し、
「うえぇえええええ!?」
女の人は美貌に似合わない素っ頓狂な叫び声を出して手足をずるりと滑らせ、
「うわー、危ない!!」
「ぎゃー!!」
そのまま落ちてきた。
ゴブリンさんが慌てて飛びのく。狭い空間の中、同じように避けようとしたあたしは焦ってその場につんのめり、足元に置いておいたゴブリンさんのダンボールの中身をひっくり返してしまった。事務用品が床に散乱する。

ちーん。
そこで涼やかな音がして、エレベーターは途中の階で停止した。乗り込む人がいるようだ。
ドアが開く。鳥に似た脚が立っているのが見えた。
あたしは顔を上げた。
「あれ?アンナちゃん?」

「ああ、アンタか。…っていうか、何やってんの?」
折り重なるように床にはいつくばっているあたしたちを見て、アンナちゃんは呆れた声になった。
「乗ってもいいの?それとも、取り込み中?」
「……えーと」
「あ。あはははは!降ります、降ります!ど〜も、お邪魔しましたぁー!」
あたしが混乱している間に、ハルカ先生が慌てて起き上がった。ばさばさと手近な物を拾ってダンボールに落とした後、素早くアンナちゃんの横をすり抜けて走って行ってしまった。
「あ…、…」

アンナちゃんが中に乗り込んできて、エレベーターのドアがまた閉まる。
「誰だい、アレは。変な女だね」
ハルカ先生とは学校で会ってるはずなのに、アンナちゃんの反応は手厳しい。アンナちゃんは誰に対しても基本厳しい。
ゴブリンさんがあたしに聞いた。
「…知り合いだったの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど…」
びっくりしたままあたしは答える。
なぜハルカ先生がダークウィズカンパニーにいたんだろう。そんな展開、あったっけ。
この間から気にかかっていたことが、改めてまた心に浮かんだ。
――DVDを見とけば良かった。
何年か前にテレビで見ただけの話だから、あらすじくらいしか覚えてない。
細かいとこまで覚えていたら、ハルカ先生を見て驚く代わりに、なぜハルカ先生が天井にいるのかとかそれは何話の状況にあたるのかとかを理解して、予言者みたいに動けていたのかもしれなかった。
そういう風に本来知りえないはずの知識をあらかじめ持ってることこそが、物語の外から来た存在のアドバンテージというものだろう。
あたしは全然、生かせてない。
敵側しかも下っ端という立場にいると、メインキャラやレジェンズウォーのことを知ってる程度じゃ全然生活の役に立たない。先のことは分からない。
あたしの記憶がいい加減なせいで、攻略フラグを折ってたらどうしよう。
…どうしようもないけど。

そうこうしているうちにハルカ先生についての設定をちょっと思い出して、あたしは付け加えた。
「…あの人、すごくレジェンズが好きなんだよ、確か」
「へー…」
この場にゴブリンもハーピーもいたことに、果たして気付いていたのだろうか。




「じゃ、またねー」
「はい。お互い頑張りましょうね」
違う階で降りるゴブリンさんと別れて、レジェンズ班のオフィスへ戻る。今度はアンナちゃんが一緒だ。
とすとすとすとす。ロリ形態じゃない方のアンナちゃんは、あたしより少し背が高い。軽い足音と共にあたしの数歩先をさっさと歩いていく。
「…今日は、何で会社に?」
「報告に来いって。言われてたから」
アンナちゃんはそっけなく言った。

「まあ、ほんとはいちいち報告なんかするまでもないんだけどね〜?」
アンナちゃんはフフンと笑って腕の羽を広げた。
「最初に言ったろ。あんな子供なんか、アタシの手にかかれば全然大したことないよ。アンタたちの方こそどうなのさ?アタシがタリスポッドを取り返してきたとき用の報告書は、もう作ったの?」
と、アンナちゃんはあたしに言った。相変わらず偉そうだ。

シュウと一緒に授業を受けるアンナちゃんが本当に楽しそうだったのを、あたしも部長たちも見ている。緑の芝生で過ごす昼休み、膝枕をしてあげているうちにシュウが寝てしまい、絶対気付かれずにタリスポッドを盗めるところまで行ったのに、迷った末に諦めていたこともあった。笑ってシュウの頭を撫でてたときの嬉しそうな顔。
あたしがいつか見た話でも、アンナちゃんはそんな風にシュウと仲良くなるレジェンズだった。

アンナちゃんは鼻をつんと上向かせ、いかにも勝気そうな表情をしている。
強がっているのかと思ったら、あたしはいたたまれなくなった。これは、組織に本心を見抜かれまいとしている孤独な女スパイだ。
「えーと…知らないの、アンナちゃん?」
「何が?」
「あたしたち、アンナちゃんの潜入の様子を毎日外から見張ってたんです。だから、実はあんまり任務が進展してないの、もう知っちゃってるって言うか…」
アンナちゃんは顔をこわばらせて、ちょっとその場に足を止めた。
「監視してたのかい。陰険だね」
「……………」

「嘘は…嘘はついてないよ、本当に順調さ。シュウにはうまく近づけたし、疑われてもいないんだ」
アンナちゃんが口ごもる。
「シュウと…仲良くしすぎなように見えたんだろ、アタシが。でも、色仕掛けなんだから。別におかしなことじゃないだろ?アタシにはアタシの、やり方ってもんがあるんだよ」
あたしに言い訳しても仕方がないのに、アンナちゃんはつっかえながら焦ったように言葉を探す。見ている方が気の毒になる。
「っていうかさ、監視で様子が分かってるなら、アタシに何を報告しに来いって言うのよ!?」
しまいに逆切れした。
「それは…」

そうこうしているうちにあたしたちは廊下を歩ききり、レジェンズ班のオフィスに着いた。
あたしはドアを見やる。あの向こうには、部長が待っているはずだ。
「怒られるんじゃ、ないですかね…」
「うん、まあ、そっか…」



「随分楽しい学校生活を送ってるようじゃな〜い?ほんっとーに、やる気はあるんでしょうねっ!?」
アンナちゃんの前に仁王立ちしながら、部長が怒鳴った。
やっぱり怒られてる。
「…うるさいなー。あたしにはあたしのペースってもんがあるんだよ、好きにやらせておくれよ」
アンナちゃんはふてくされたように腕組みして、窓の外を見ている。

「…………、どうぞー」
あたしはとばっちりを食らわないように横からそろそろとお茶を出す。オフィスに漂う空気は息詰まる重さで、JJさんとダンディーは既に机の後ろに避難済みだ。
「新人、こっちこっち…」
J1さんが手招きしてくれて、あたしも逃げるようにそっちに合流した。

「ダークウィズカンパニーを甘く見ないでちょうだい?こっちはね、あなたの行動を全て見張らせてもらってるの」
「……。知ってるよ」
「あら、知っててサボるとはますますいい度胸じゃない。それなら言わせてもらうけど、シュウのタリスポッドを奪うチャンスは、これまでにいくらでもあったはずよね?」
「…………」
「何のためにあなたがリボーンされたのか忘れてもらっちゃ困るのよ。それともまさか、あの少年に情でも移った…なーんて、言わないわよねえ?」
部長が悪役の雰囲気全開でねちねちとアンナちゃんに迫る。
アンナちゃんが痛いところを付かれたように下を向く。
「…それは、分かってるって。ただ、アタシは――」
そこまで言って、アンナちゃんはこみ上げてくるものを飲み下すようにした。
首を振る。強がることに決めたらしい。
アンナちゃんは鼻を鳴らして椅子に腰掛け直し、思い切り顎を上げなら部長を見返した。

「ハン!これだから余裕のない女は…」
と、よりにもよって一番言ってはいけないことを、アンナちゃんは言った。
部長の顔が一気に引きつった。
「あぁん、何ですって!?」
「これだから余裕のない女は嫌だねえー。って、言ったんだよ。ほらほら、そーんな顔してると化粧がボロボロ剥がれるよ〜」
「ムキーーーーッ!!なんっって可愛くない!憎たらしー!トリ!この、トリーー!!」

ああ、どっちも悪い人じゃないのに、会話してるとどんどん空気が険悪に…
アンナちゃんは強がっていちいち挑発的な態度だし。部長はそれを、いちいち真に受けるし。

JJさんとダンディーとあたしは、身を縮めながら二人の言い争いを見守った。
「こっええー…」
「おっかねー…」
「この世で一番恐ろしくてたちが悪いのは女同士の争いだって、うちのばあちゃんが言ってた…」
「そ、そうなんですかー…」
「お前も気をつけろよ、新人…」

「フ、フン。余裕がないのはどっちなのか、よ〜く考えた方がいいんじゃないかしら?」
部長は歯ぎしりしながら紫色のタリスポッドを取り出した。
「こっちはいつでもあなたをここに!」
アンナちゃんに向かってタリスポッドを突き出す。一声「カムバック」と言えばそのままアンナちゃんをカムバックできる距離。
「戻すことができるのよ!?」
「…………」
アンナちゃんが息を飲む気配がした。大きな瞳がぎこちなく動いて、突きつけられたタリスポッドを凝視する。
ソウルドールに戻るのって、やっぱりゴブリンさんじゃなくても嫌なものなのかな。

「あなたをこの世界に解き放ったのはダーーークウィズカンパニーなのよ!?利用価値がないと分かれば、本社はあなたをソウルドールに戻し、封印してしまうでしょうね。ここに閉じ込められて、次に目覚めるのは…何億年後かしら?ひょっとしたら一生そのまま眠り続けるのかもね…?」

あたしは思わず呟いた。
「うわあ、えげつない…」
今日の部長はいつになくみなぎってるな。何日も待たされた鬱憤が、それだけたまってたんだろうけど。
ゴブリンさんにもこんな風に言ったんだろうか。
何となく隣にいるダンディーの顔を盗み見てみる。
あたしの視線に気が付いたのか、ダンディーがこっちを向いた。
「…何?」
「…ううん、何でもない」
後で聞いてみようと思う。今は、とてもそういう空気じゃない。

部長の脅しにアンナちゃんが何を思ったのか、あたしには分からない。あたしはレジェンズではないので。
表面的な態度は、いっそう硬化しただけのように見えた。
「やるよ、やるって言ってるだろ!いいから見てなよ!」
アンナちゃんがそう吐き捨て、床を蹴るようにして席を立つ。つかつかと窓の方へ歩いていく。

「ちょ、アンナちゃん――」
あたしが言い終わるより早く、ガラスの割れる派手な音がした。
バリーン!!
アンナちゃんは何の迷いもなく窓ガラスを体当たりで突き破って、オフィスの外に飛び出した。
やけくそみたいな勢いでそのまま小さくなっていく。


2回目だよ。
しかも、前割ったのと同じ窓。応急修理したばっかりなのに。

J2さんがぼそりと言った。
「新人。…片付け」
「はい…」
ホウキとちりとりを取ってきながら、あたしは溜息をついた。


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