第5章−2


で、どうやって色仕掛けをやるんだろうと思ったら、アンナちゃんは何とシュウと同年代のロリロリ鳥少女に変身して、転校生としてシュウたちの学校に潜入した。
あたしや部長を馬鹿にするだけのことはある。人間には不可能な離れ業です。

ブルックリン101小学校。
あたしたちは敷地近くの植え込みの横に車を止めて、アンナちゃんの任務の首尾を伺っていた。
結構、暇だ。

助手席に横座りして、双眼鏡を覗く。
一階の教室、最後列の真ん中へんの机にシュウがいる。アンナちゃんは隣の席だ。椅子をぴったりくっつけて教科書を見せてもらってる。
ちょっと首を傾けて、シュウに顔を寄せ、何か言う。
消しゴム貸して〜。うんいいよ、アンナちゅあ〜ん。
多分、そんな内容。
シュウは元々誰にでも無警戒で、特に、可愛い女の子への好意は隠さない少年だ。アンナちゃんに消しゴムを手渡しながら、てろてろ垂れて溶け落ちそうな顔になっている。丸いレンズの視界の端で、目を三角にしたメグが歯ぎしりしているのが見えた。
…メグちゃんって、やっぱりシュウのこと好きなのかな。
やきもちを焼いているのが丸分かり過ぎて、何だかほほえましい。相手がシュウでは、さぞかし苦労も多いことだろう。

テレビで見たときもこんな感じだったなあ…。
双眼鏡で覗き見しながら、あたしはのほほんとした気分に浸る。
今日はひなたぼっこに最適な、いい天気。アンナちゃんの仕事の様子をただ見ていればいいだけだから、今までになく楽ちんな任務だ。
あたしがテレビで見たときも、アンナちゃんって確か、こういう風にシュウと仲良くなるレジェンズだった。だから記憶に残っていたんだと思う。和やかシーンを生で見守れるのは楽しいな。
作戦は順調に行ってるみたいだなあ、と、にこにこしながらそこまで考えたとき、あたしの心をひやりとしたものが横切った。

知ってるキャラが登場した親近感で混乱してた。――あたしはダークウィズカンパニーの人間で、この作戦の目的は、アンナちゃんがシュウと仲良くなることじゃない。
アンナちゃんには、これからシュウを裏切ってもらわないといけないのだ。

今更のようにあたしは動揺した。
悪いことをしようとしてる。いやそれは前からなんだけど。飲み下して忘れていた後ろめたさが、今ごろになって喉からじわじわせりあがってくる。
この話って、これからどうなるんだろう。
あたしは一体、どうしたら。

「ああ、DVDが見れたらなあ…」
思わず独り言が声に出てしまい、その途端に側面からデコピンを食らった。ぴしり。

「な〜に言ってんの、この子は!」
後部座席の部長が、怖い顔になってあたしを覗きこんでいた。
「ちゃんと真面目に見張りなさい!やる気あるの?」
「あ、ありますよ!ちゃんと見張ってます!今言ったのはそういうことじゃなくて、…」
「お黙り!およこし!」
言い訳したけど、部長がぐいぐい助手席に移ってきて、双眼鏡を取り上げられた。

JJさんが顔を見合わせて溜息をついた。
「DVDか。新人にしちゃいい思いつきだ。明日俺、何か持ってこよ…」
「いいねえ。見張ってるだけじゃ、暇すぎるもんなあ」

部長のお尻に押しのけられて、あたしはうなだれながらJJさんの隣に移動した。
「…………、……」
ここの社員として頑張ると決めた以上、あたしの立場もやることも決まっている。迷うほどの選択肢なんてないのに、漠然とした嫌な予感が消えない。
改めて自分の微妙な立場を思う。
空はこんなに青いのに。風はとっても暖かいのに。教室の中の光景はあんなに和やかなのに、あたしは一体、ここで何をしているのだろう。
シュウがあたしを悩ませる。あたしがシュウを悩ませる――
みんながみんなを悩ませて、みんなが心を痛めてる――

ぐるぐる考えてみても、頭がちっとも働かない。
「ふああぁぁぁあ、あ〜〜」
溜息をついたつもりが、途中であくびに変わった。
J1さんが退屈そうに聞いた。
「どうした新人。睡眠不足か?」
そう聞きながら、自分も釣られてあくびをしている。

「最近どうも寝つきが悪くって…」
何とはなしに返事しながら、あたしは首を傾げた。
「うなされる…というほどでもないんですが、妙な夢を見るんです。ラーメンの」
「…ラーメンの?ラーメン、好きなの?」
「別にものすごく好きって訳では…だから余計にもやもやするんですよねー」

「お前、あのアパートに引っ越してきたばっかなんだろ?枕が変わったせいとかじゃないの」
「あー、あるある。ベッド変わって落ち着かないと、寝苦しくって意味不明の夢見たりするよなー」
「うーん。言われてみれば、そういうせいかも…」
JJさんのアドバイスに、あたしは考え込む。
ベッドを買い換えるお金はないけど、違う枕を買おうかな。ちょっと固すぎる気がしてた。

「こらあ、そこ!仕事中なんだからだらだらしなーい!」
部長が双眼鏡を下ろして声を上げた。
「全く…あのハーピーはなーにをやってるのかしら。あそこまで接近できたんなら、隙を狙ってタリスポッドを奪えばいいだけじゃない!任せとけって言った割にはちんたらちんたら…!」
ばしばしと窓枠に八つ当たりしている。
部長の気持ちも、それはそれで、よく分かる。アンナちゃん、えっらそうだったもんな。
何だか胸が痛んで、あたしは視線を逸らして何気ない風を装いつつ言った。
「……。そんなに焦る話でも、ないんじゃないですかね?」
「だよね。あのハーピー、なかなか頼もしいよ」
「初日としては上出来じゃないですか、部長。…見てる俺らは、暇だけど」
うまい具合にJJさんが同意してくれる。
部長が溜息をついた。



あたしたちは放課後まで学校に貼り付いて過ごしたが、結局その日は、何という事もなく一日が終わった。
シュウと並んで帰っていくアンナちゃんを見送った後、車で会社に戻る。
今日のところは潜入が上手く行っただけでも、良かったよ。
焦る話じゃないよ、きっと。

ダークウィズカンパニー、いつものオフィス。
帰り支度をしながら、J1さんが思いついたように言った。
「…ていうか、ラーメン食いたくなったなぁ」
「あ、俺も。これからみんなで中華食いに行かない?」
「いいですねー、行きたいです」
和やかな会話を交わしていたところに、総務さんが入ってきた。
いつもの青いバインダーを胸に抱え、手にはソウルドールを持っている。

「失礼します、支給の順番に異同があったそうです。お帰り前に、こちらをお渡ししておきます」
そう言って、総務さんは部長に新しいソウルドールを手渡した。
今はアンナちゃんがリボーンされて任務中だ。水晶の中身を透かして眺めながら、部長が怪訝そうにする。
「異同?…じゃ、昨日もらったハーピーは間違いだったわけ?」
「いえ、そういう意味ではございません」
総務さんは手にした書類に目を落とし、それから顔を上げて、なぜかあたしを見た。
「でも、本来ならばこちらのかたが4話でした」

何だか今とんでもないようなことを聞いたような気がする。
「よ、4話…?って、何ですか…?」
「………」
恐る恐る探りを入れてみたが、総務さんはにこにこしながらちょっと首を傾げてみせただけだった。返事をする気はないようだ。
可憐で慎ましやかな微笑みには、どんな突っ込みも許さない鉄壁の雰囲気が漂う。
「それでは、私はこれで」
総務さんは何事もなかったかのように去って行った。

不思議な人だよなあ。
いつものことだけど。

「まっ。もらったんだから、リボーンしといてみましょーかー」
部長が呑気な声で言って、タリスポッドにソウルドールをセットした。
「リボーン、『デヴォアクロコダイル』!!」

「うわ、…水だよ」
「また水かー…」
「水ですね…」
登場エフェクトを見たとたんに全員が憂鬱な顔になった。
正直、水属性のレジェンズには、これまであまりいい思い出がない。今度の人とは上手くやれたらいいんだけど。

現れたのはJ1さんより頭二つくらい背が高い、体格のいいワニだった。
ローラーボードをしょった、ストリート系のワニ。ちょっと赤ら顔。
ワニさんはがに股で腕組みし、ぽきぽき首を鳴らしながらあたしたちを眺めた。
「ん〜、外の世界は久しぶりだなー…って。何だよあんたら、浮かない顔して」
見た目はアンナちゃんよりごついけど、割とフランクそうな人だ。

「いやあ…ちょっと今までのことを思い出しちゃって…」
J1さんが言い、部長が言った。
「ま、それはそれ、これはこれよね。頼むわよ、ワニくん!」

部長がそう言ったとたん、ワニさんの瞳がぎらりと光って細くなった。
二股に分かれた太い尻尾がムチのように床を叩き、
「あああぁぁん!?ワニぃいいいい!?」
と、ワニさんはいきなりドスの利いた声で言った。怒らせてしまったようだ。
ワニさんは肉食動物の目になってあたしたちをねめ回す。
「誰がワニじゃ、誰が!?」
「……………」
豹変したワニさんの迫力にびっくりしていたら、うっかり目が合ってしまった。
ヤクザが因縁をつけるときそっくり、ワニさんはどすどすと音を立ててあたしの方へ歩いてくると、真正面から顔を近づけ、あたしの頭を噛み砕かんばかりの勢いでばっくり口を開ける。
「ワニ言うやつがッ!ワニなんじゃああああーーー!!」
「ええええ、それ、どういう理屈ーーー!?」
ワニさんが割れ鐘のような声で怒鳴る。
視界いっぱいにワニさんのきざきざ牙の生えた口腔が広がり、耳を押さえながらあたしも悲鳴を上げる。潮の匂いのする唾がぴしぴし飛んできた。
勢いに押されて、床にしりもちをつく。

ワニって呼んだらいけなかったみたい。
転んだあたしを見下ろし、ワニさんは鼻ピアスをした鼻の穴から勢いよく鼻息を吹いた。
「ダンディー、だ。クロコダイル・ダンディー。俺のことは、そう呼んでくれ」

JJさんたちがぼそぼそと言葉を交わす。
「ここって毎日、動物園みたいだよな…」
「うん。俺も前からちょっと、そう思ってたよ…」


上手くやれるかなあ、この人と…。
とりあえずワニさんも加わったところで、5人でラーメンを食べに行きました。


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