第2章−1


次の瞬間、吹き付ける風は止み、あたしは柔らかな青空の下に立っていた。
「シュウ…、?」

さっきまであたしを取り巻いていた暗い光景は嘘のように消えていた。
風の音も雄叫びも、もう聞こえない。
辺りは静まり返っている。
空気と一緒に時の流れまでもが止まり、緩やかになったかのように思えた。

きっと、遥か昔にこの場所は、ひとつの巨大な神殿だったのだろう。
あたしには想像もできない長さの歴史の中で風化して崩れ落ち、神秘的な面影を残す無数の浮島となって天空を漂う――今あたしがいるのは、その浮島の一つだった。
異国風の白い石柱がそこかしこにそびえたつ。
ところどころに神殿だった頃の土台を残す石畳。
途切れた地面の先には青く透明な空がどこまでも広がり、真珠色の雲が緩やかに流れていく。

まるでラスボスステージからボーナスステージに飛ばされたみたい。
おお よ しんでしまうとはなさけない――
そんな感じの天の声でも聞こえてきそうな。

「これも、夢…?」
思わず声に出して呟いたとき、あたしの横を丸い光がふわりと横切った。
『君には夢。僕たちには、現実』
光の球はぱちりとはじけて、緑の髪のパンが現れる。
『やあ、

『食パーン』
『キムチー』
『イカスミー』
『まいどどうもー』
妙な掛け声と共に、あたしの周りに次々と光が出現していく。さっきの世界にもいた精霊たちだ。
「あなたたちは――」
登場キャラが同じということは、あたしはまださっきの夢の続きにいるのか。

『自己紹介が遅れたね。僕はパン』
『私はエルフ』
『僕はオベロン』
『カーバンクル』
『セントール』
『ユニコーン』
『ペガサスー』
最後に現れたのはひときわ神々しい光だった。虹色の光輪をしょった天使が静かに赤い瞳を開く。
『そして私が、シルフ。全員合わせて、スピリチャル・レジェンズクラブだ』

『またの名を、不思議世界の住人!』
『また、またの名を、ステキな魔法使い!』
『またまた、またの名を、希望宅配人!』
『わー、ぱちぱちぱちぱちー』

何だか内輪で盛り上がってらっしゃる。
展開についていけないあたしは呆然とするばかりだ。

緑の髪のパンは、あたしを見て、ふと気の毒そうな顔になった。
『――ごめんね、怖い思いをさせて』
「え?」
謝られて初めて、自分が泣いていたことに気が付く。
あたしは慌てて手で顔を拭いながら、とりあえず、聞いた。
「あなたたちは…あなたたちがあたしをここに連れてきたの?さっきの酷い世界も、そうなの?」
『そうだよ、
白いタキシードに身を包んだオベロンが答えた。
『あれは”レジェンズキングダム”と呼ばれる世界。レジェンズウォーの舞台となる、浄化と終末のための国だ』
「レジェンズキングダム…。浄化と、終末…?」
あれが終末。
あたしの横で泣いていたシュウのことを思い出して、胸が痛んだ。
ねずっちょを元に戻せなかった。シュウがあんなに叫んでたのに、ウインドラゴンに声は届かなかった。
あの後どうなったんだろう。
きっとあのまま戦いは止まらずに――

『ていうかさあー。そもそもさあー』
少年のような声を上げたのはバンダナを巻いたカーバンクルだ。頭の後ろで腕を組みながら、口を尖らせる。
『僕たちがを呼んだタイミング、ちょーっとばっかり、遅すぎたんじゃない?レジェンズキングダムって、レジェンズウォーのドンドンドン詰まりのステージじゃん。あーんなとこに呼んだってさー。むしろ、手遅れ?』

エルフがせわしくあたしの顔の周りを飛び回る。
『そうだね〜。せっかく呼んだのに、ってば全然役に立たなかったね』
『走るの遅かったよね。むしろ、風のサーガの邪魔になってたかもね』
『うん。風のサーガ一人だったら、最後の竜王を呼び出す前にウインドラゴンに追いつけてたかもー』

全く状況を飲み込めないなりに、あたしはちょっとむっとした。
「ちょ…何ですか、その言い方。さっきの失敗、あたしのせい?」

『あ、気にしないで。のせいじゃなくて、投入のタイミングの話だからー』
『9回裏2アウト2ストライク、見逃し三振の球がキャッチャーのミットに収まろうとする5センチ前――って感じの遅さだったもんね。あそこにを呼んだって、逆転するのは無理でしょー』

シルフが穏やかに口を挟んだ。
『あれはあれで正しい選択だったかもしれないよ。にあの未来を知ってもらえた、という意味ではね』
どうやらこの人が精霊たちのボス…というか、この場を仕切るリーダーのようだ。一番光ってるし。
あたしはシルフの方を向いて尋ねた。
「あたしにも分かるように説明してくれませんか。どうして、あたしはここに呼ばれたんですか?」
『ふむ…そういやその説明を忘れてたな…』
ボス精霊は優雅なしぐさで顎に手を当てる。忘れてたのかよ。
『だが、夢の世界から来たそなたなら、この物語について”夢として”聞き知っているところがいくばくかあるのではないかな。我々のことや、我々の願いのことについて』
あたしは頷く。
何年か前に見ただけだから、何もかも手に取るように知ってるってわけにはいかないけれど。
「…レジェンズウォーを止めたい、んですよね?確か、そういう人たちでしょ?」
『そう。そなたが先ほど見たあの未来を、我々は変えたい。だから、世界の外からそなたを呼んだ。”螺旋の運命”を変えるために』

「螺旋の、運命…」
だからって、何であたしを?
言葉の意味は良く分からないが、重い話に巻き込まれそうな予感がした。
『そうそう。光のレジェンズは、螺旋の運命については詳しいよー』
と、パンが言った。
『何てったって、ずっと見てきたからねー』
『本まで書いちゃったもんねー。売れなかったけど』

『僕らの世界は』
『私たちの世界は』
精霊たちが声をそろえる。

『螺旋でできている』

シルフが静かに片手を上げて、言った。
『そう――世界は螺旋でできているんだ、
その手のひらからキラキラした光の粒がこぼれ出て、空中に螺旋を描いた。
『この螺旋は、時の流れ。一定の間隔で文明の黄昏時が訪れ――』

ぐるぐると渦を巻いて伸びてゆく光の螺旋の上に、やがてぽつりと点が生まれる。
ぐるりと一回りして、その点の真上に、もうひとつ。さらにその上にも。
『このとき起こるのが、レジェンズウォーだ。レジェンズキングダムが生まれ、人間の文明はジャバウォックと共に滅び、地球は浄化される。世界は再び螺旋の上を進みはじめ、やがて次の黄昏がまた訪れる』
次々に明滅する光の点を生みながら、螺旋はどこまでも上方へ伸びていく。

『我々は文明の黄昏時に現れ、幕を引く――過去から未来へ、レジェンズウォーからレジェンズウォーへ、定点が訪れるたびに我々は目覚め、文明を滅ぼし、地球を浄化する』
一本の光が、点と点を繋ぎながら下から上へと伸びた。
螺旋と直線が絡み合う。
『これから先も未来永劫続く。これが、世界の形』
あたしはぽかんとしながら、ボス精霊の手のひらから生まれたミニチュア世界をしばらく眺めた。
「これが、世界の形…」
そんな抽象的な話をされても、困る。

ボス精霊は自分の描いた光の軌跡をしばらく見つめてから、言った。
『――渦巻く風と、吹きぬける風の形でもある』

螺旋は渦巻く風。
螺旋を貫く直線は、吹きぬける風。
ボス精霊の作った「世界」は、確かにそんな形を表しているようでもあった。
あたしにはやっぱり意味が良く分からないけど。

シルフは祈るような表情で目を閉じ、あたしにひとつの預言を告げる。
『渦巻く風と吹きぬける風。真にひとつの風となるとき、新しい世界の扉が開かれるのだという』





この空気の中でツッコミを入れるのは勇気が要った。
「………で?」

そういう話の流れの中で、呼ぶのが何であたしなの??っていう、ね。
結局そこが分からない。

「戦いの歴史とやらを変えたいなら、この場でこの話を聞くべきなのはあたしじゃないのでは?」
何年か前の話だから、あらすじしか覚えてないけど。
本来この場に呼ばれるべきは、さっきの世界で空を飛んでたあの白いドラゴンなんじゃないだろうか。
あたしの冷静なツッコミに、光の精霊たちは互いに顔を見合わせる。
『ウインドラゴンのこと?そっちも考えたんだけどねー』
『なぜ、そなたは風のサーガの言葉を聞こうとしなかった?ってね』
『双六で言うと6マスくらい、戻したらどうかって、ねー』
「うん。筋の通ったいい考えだと思うけど。何でそれ、やらなかったんです?」

『可能性、かな』
ボス精霊が静かに言った。
『この世界を変えたいと願う我々は、そもそも存在としてこの世界の一部だ。螺旋の中で生まれ、抗うもの。それはウインドラゴンとて同じ――だが、そなたは外から来た。螺旋の外から世界を変えることができる』
「外から…まあ、そういうことになりますか」
でも、あたしはウインドラゴンとは違う。
あたしはレジェンズみたいな力は持ってない。ただの女子高生だ。シュウみたいにサーガでもないし。
「せっかく呼んでもらったのに申し訳ないのですが…外の世界から来たとはいえ、運命を変えるためにあたしにできることなんて、特に何もないと思うんですが…」

カーバンクルが頬を膨らませて怒った。
『んもー!やる気ないなあ、は!』
『そうだよそうだよ。夢の世界でくらいガッツを出してもいいんじゃない?』
『全く、最近の若者はこれだから…』
口々に妙なダメだしが続く。何て言うか、この人たちのノリって一種独特なものがある。
「でも、本当に何もできないんだってば!さっきだって何にもできなかったでしょ!?」

『できるよ、なら大丈夫。今度のレジェンズウォーでは、色んなことが今までと違ってきているんだから』
パンが明るく言った。
『そう、昨日の僕らと今日の僕らは同じじゃない』
『今日のと明日のも同じじゃない。ほんの一瞬先でも、僕たちは変わってく』

『ウインドラゴンの覚醒のずれ、風のサーガの不思議な力、コニーアイランド特製スペシャルガーリックハンバーガー』
『運命は揺らいでる。は投げかけられて波紋が波紋を生むための、ひとつの小石』

精霊たちの勢いに押されて、あたしは弱々しく頷いた。
「小石…そうだね、小石くらいになら、なれるかな…」

『そうだよ、なれるよ。基本はピースが足りないだけなんだから』
『ウインドラゴンが二つに分かれてやりくりしたところで、元々のカウントって一体だもんね』
『うんうん。これはやっぱり、螺旋の外からじゃなきゃ埋められないね』
『あれ?でも、それってほんとに大丈夫?それだとウインドラゴンの半身の分はが――』
『こら!滅多なこと言わないの〜』





あたしだって、皆さんの役に立ちたくないわけじゃない。
さっきの夢で、泣いているシュウを見た。あたしも悲しかった。
あの未来がもし、あたしに止められるものなら。
「――分かりました。いや、よく分かんないけど、とりあえず。やるだけやってみます」
『ありがとう、
ボス精霊が微笑んだ。
『では、そなたを再び”分岐点”に送ろう。先ほどそなたを置いた場所は遅すぎたから、今度はもっと遡って』


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