第1章−2


つまりこれは、全部夢なんだ。と、恐怖に立ちすくみながらあたしは自分に言い聞かせる。
繰り返される平凡な日常生活の中で無意識下に蓄積されたストレスが何かこう、変な方向に作用して、レム睡眠中のあたしにこんな世界を見せている。
それだけの話だ。それだけの話だけど、しかし随分とまた臨場感溢れる嫌な夢だ。

純白のドラゴンの周囲に四色のクリスタルが浮かび上がり、眩しい輝きを放つのが見えた。朗々と何かを呼ばわる声が聞こえる。
山が火を吹き、火の竜王が。
大地が割れて、地の竜王が。
海の底深くから水の竜王が立ち上がる。
それぞれの竜王が率いるのは、火に連なるもの、地に連なるもの、水に連なるもの。

個々の意識を完全に失い、たけり狂って彼方の闇だけを目指す彼らには、紛れ込んでいるあたしのことは目に入らないようで、だから、攻撃されるということはないのだが、大きな体や鋭い爪を持った彼らがあたしの存在などお構いなしに突進してくるのはそれだけで充分脅威だった。

風がいっそう強くなる。雄叫びは大地を揺るがすほどになって辺りを埋め尽くす。
夢だと分かっていても足がすくんで、思わずへなへなと体を丸めかけたとき、タイミング悪くそこに突進してきた生き物を避けそこね、突き飛ばされたあたしはそのまま2メートルくらい宙を飛んだ。
「ぎゃっ!!」
顔から地面に突っ込んで、勢い余ってごろごろ数回転がってから、止まる。

…痛い。
夢なのに痛い。強烈かつリアルに痛い。

感じた痛みと同じ分だけ強烈な恐怖が、今度は現実感を伴って、あらためて湧き上がった。胃の底がひっくり返りそうな気分だった。
何なのこれ。
何なのこれ。
夢なら早く醒めて欲しい。こんなところにいたら死んでしまう。

よろよろしながら起き上がろうとした時、とびかう怒号を切り裂いて、キン、と澄んだ金属音が耳を打った。
あたしの横の地面に『何か』が転がり落ちた音。

「……?」
拾い上げてみる。一抱えほどの大きさの、優美な曲線が彫り込まれた金の板だ。

何だろ、これ。
何かの装飾の一部が剥がれ落ちたもののように見える。

体の痛みにぼんやりしたまま、これは一体何のアイテムだろう、とあたしはしばらく考えた。
子供の絶叫が聞こえて、顔を上げる。
「うわああああああああああああああ!!!!」
黒髪のちびっこい少年が転がるようにこちらに駆けてくるところだった。異形のものたちをかき分け、涙と鼻水を振り飛ばしながら。
自然と名前が思い浮かんだ。――シュウ。




少年の顔を眺め、今自分が拾ったものを眺めてから、あたしはとりあえず叫んだ。
「シュウ!こっちーーー!!」
がばっと両腕を挙げて、気付いてもらえるように、拾った金の板を高く掲げる。

「お、追いついたー!つかまえたぞー!!」
黒髪のちびっこい少年…シュウは、あたしに飛びつくようにして金属板を受け取った。
「ありがと、おねーさん!!拾ってくれてありがと!」
シュウの指が触れたその瞬間、金の板は強い光を放って形を変える。
白くて小さくてぷにぷにした、丸っこいフォルムの生き物になる。ぼとりとあたしの頭の上に落ちる。落ちた勢いでぼてぼてと転がってあたしの頭からも落っこち、それを、シュウの両てのひらが受け止めた。

あたしとシュウはそろって荒い息を吐きながらその生き物を覗き込み、目を見開いた。
ネズミ、だった。
小さな頭に小さな飛行帽を被り、背中に羽根を生やしたネズミ。
つぶらな瞳を覆う薄そうなまぶたは、今は固く閉じられている。

あたしはこの生き物を知っている。
とっさに声が出なかった。
あたしは、この状況をまだ受け入れきれてない驚きで。
シュウの方は多分、今までずっとこの相棒のことを探していたのだろう。

「ねずっちょ…!」
シュウの瞳がうるんだ。
「何だよお前、こんなとこにいたのか…!」

ねずっちょはシュウの手のひらの上でぐったりしている。意識がないみたいだ。
「し、死んでる…んじゃ、ないよね?」
「ま、まさかー!おーい、ねずっちょ!…ねずっちょ?」
シュウが手のひらを揺すりながら懸命に呼びかけるが、ねずっちょは反応しなかった。
「どうしたんだ。お前ってもしかして、でっかいのと一緒じゃないとダメなのか…?」

あたしは空の向こうを指さして聞く。
「ええと…でっかいのって、あそこで光ってる白いドラゴンだよね?」
「そう、あのでかいのはね、でかっちょ!で、こっちがねずっちょ!」
シュウはシュウらしい勢いであたしにそう説明し、それからようやくあたしがこの場所にいる異常さに気が付いたのか、目を丸くして聞いてきた。
「っておねーさん、何でそんなこと知ってんの?てゆうか、誰?」
必死になっていて、周囲を確認する余裕もなかったのだろう。シュウは思いついたように辺りを見回して…自分が異形の者たちの戦場の真っ只中にいることにも今になって気が付いたみたいで、ねずっちょを手に持ったまま、ぎゃーとかひーとか叫びはじめた。
「っていうか!っていうか!何だこれ!?こえええええええええ!」
「うん、まあ多分、あたしの身の上を聞いてる場合じゃないよね…」

状況は限りなくせっぱつまっている。
あたしはもう一度周囲を見回し、ウインドラゴンの位置を確認する。…随分離れてる。
シュウとねずっちょを、あそこまで連れて行かなくちゃ。
いつかテレビで見た記憶が確かなら、そういう展開だったはず。
「とにかく行こう、シュウ。立てる?」

小柄なシュウの手を引いて、怪物たちを無理やりかき分けるようにしながら、あたしは走る。
足場の悪さに何度もつまづきそうになる。疲れる夢だ。

見上げる空に浮かぶ、六枚羽の白い竜。
今シュウの手のひらにいるねずっちょは、元々あのドラゴンの一部なのだ。胸元から零れ落ちてしまった、人間と共に生きようとする心。
あのドラゴンは今はあんな風で、無感動にレジェンズウォーを始めようとしてるけど、欠けたねずっちょの部分を彼に還したら、そうしたらあのドラゴンはきっとこの戦いについて考え直してくれて――

走りながらそこまで考えてみて、あたしは猛烈に嫌な予感に襲われた。
心臓がバクバクしてくる。
これ、本当にこういう話だったっけ?
今のこの流れで、本当に戦いは止められるんだっけ。
記憶を探るが、確信がない。あたしがテレビでこの話を見たのは随分前だ。

――結局これって、どう頑張ってもいい終わりにはならない話じゃなかったっけ?

思わず立ち止まりそうになる。
「おねーさん…?」
シュウが不安げな声を出した。
あたしはぶるぶると頭を振って、嫌な考えを追い払う。
「何でもない。もうちょっとだよ、頑張ろう!」
精一杯空元気を出してそう言うと
『うん、頑張ろう!』
なぜかシュウではない声が、あたしに相槌を打った。
「!?」
面食らって辺りを見回す。シュウが横にいる以外には、殺伐とした状況は変わってない。
でも、確かに誰かの声がした。

『頑張れ頑張れチャーシューメン!ラーメンタンメンタンタンメン!』
『ラーメンつけ麺僕イケメン!赤貝ミル貝ナイスガイ!』

何だろ。幻聴が聞こえる。
しかも、妙にハイな声。しかも、芸人混ざってる。

『急いで、!』
『急いで急いで、!キノコはノコノコ元気な子、エリンギマイタケブナシメジ、バターしょうゆにキムチ味!』

強烈過ぎる幻聴のせいで、視界までチカチカしてきた。
いや、違う。
いくつもの光る「何か」がいつの間にかあたしの周りに集まってきている。せわしなくまたたいている。

光は次第に強くなり、やがて目の前にはっきり姿を現した。
透き通った羽根を生やした華奢な妖精が。
緑の巻き毛の牧羊神が。
ケンタウロスが、一角獣が。
次々に現れて、きらきらと光りながらあたしとシュウを取り囲む。

「な…何、これ…!?」
あたしが目を剥いていると、細身の妖精があたしの顔の横まで飛んできた。
『私たち、光のレジェンズです、スピリチャル。ラーメンライス』
「俺、さっき会った!こいつらはラーメンの精だよ!」
と、シュウが言った。
「ら、ラーメンの精!?そう言えばそんな設定もあったような…」
『そうでしょそうでしょ!そういう設定、あったでしょ!』
『僕らのお願い、分かってる?』
「分かってるよ!レジェンズウォーを止めればいいんだよね?」
『そうそう、その意気!!』
『さすがは!』

『……いや』
空を見上げていたオベロンが、ふと表情を曇らせた。
『どうやら、もう間に合わないようだ。…始まってしまう』




上空にいるでかっちょの体が、再び強く輝くのが見えた。
『竜王を呼ぼうとしてるね…』
『全く、ウインドラゴンってヤツは。ほんとに頭が固いんだから』
火の竜王、土の竜王、水の竜王が復活した今、残る最後の一体は。
ウインドラゴンの爪が動く。中空に風の紋章が浮かび上がる。

「――風の竜王よ!我を導け!!」
「だめだ、でかっちょ!!!行くなあああああああ!!!」

ウインドラゴンが高らかに呼ばわったのと、シュウが絶叫したのとが、ほとんど同時だった。
天を突く風の柱が立ち上り、巨大な風の竜王が雄叫びを上げながら姿を現す。
「でかっちょ、だめだって!サーガの言うことを聞けー!!」
シュウはじたじたと腕を振り回して、なおも叫んでいる。

ウインドラゴンの姿がぐらりとぶれる。
あたしは思わずまばたきして目をこする。
ウインドラゴンの手前にもう一体、半分透けた幻のようなウインドラゴンが現れたのだった。固い表情で身構え、ジャバウォックを睨んでいる。
「何、あれ。ウインドラゴンが…二体…?」

『あれは、運命が辿るべき道を示した姿なんだ』
ケンタウロスが沈んだ声で言った。
『このレジェンズキングダムで繰り返し戦ってきた記憶。過去に何度も存在した彼』
『――そして、現在に重なる』

「重なるて!重なったらダメじゃん!!シュウ、急ごう!!」
あたしは強くシュウの手を引いた。
まだ間に合うはず。
まだ間に合うはず。
祈るように目をつぶって猛ダッシュする。
緩やかな坂を上りきり、視界が開けたところで
「あ――」
あたしは呆然と立ちすくんだ。
夢中で走っていたから、気がつかなかった。選んだルートが悪かったんだ。

あたしとシュウの目の前で地面は途切れ、深い深い谷底が口を開けていた。
道はそこで行き止まりだった。

「そんな…!!」
焦って空を見上げる。
ウインドラゴンは静かに目を閉じ、風の竜王の雄叫びを聞いている。
「過去の姿」と完全に溶け合った。

「でかっちょ、待てよ!!でかっちょってばあー!!」
シュウが涙と鼻水をたらしながら絶叫してるのに、何でそっちは聞こえてないんだろう。
ウインドラゴンは六枚羽をいっぱいに広げ、獣のような咆哮を上げた。
ジャバウォックめがけて飛び去って行く。
一度もシュウを振り返ることなく。

『終わってしまった…』
『間に合わなかったんだ…。レジェンズウォーはもう止められない』
「そんな…そんな…」
これは夢だ。と、呆然としながらあたしは自分に言い聞かせる。
これはただの、昔テレビで見た話。大丈夫。
あたしはだた悪い夢を見てるだけ――




「ねずっ、ちょ?」
金属板を手にしたシュウがぽつりと呟いた。
あたしはシュウを振り返る。
「シュウ…、それ…」
いつの間にかねずっちょがいなくなっていた。シュウの手の中には、元の金属板だけが残されている。
あたしたちは、本当に間に合わなかったのだ。
――消えてしまった。

シュウは一度大きく顔を歪ませた後、泣くのをこらえるようにして無理やりぎこちない笑顔を作った。
「いやあ、何だろうね、これ?どうなってんだろう、ね?」
上ずった声でシュウはあたしに聞いてくる。
しきりに辺りを見回す。
ありもしない救いを求めるかのように。
「ねずっちょ…ねずっちょはどこに行ったんだ!?どこ行ったか知らないっ、おねーさん!?」
「…………」
シュウが泣きそうになっているのが分かった。
何か返事をしてあげたいけど、あたしも言葉が出てこない。

シュウは信じられないといった顔で金属板を眺め、飛び去っていくでかっちょを長いこと眺めていた。
努力して作っていたのだろう笑顔がすうっと消えていく。
板を持つ手が小刻みに震えはじめる。
「何で…どうして、こんなことに……」

がらん。
うつろな音を立てて、金属板がシュウの手から滑り落ちた。
「どうしてだよ、でかっちょ…!ねずっちょ…!シロン――!!」

突然辺りが光に包まれ、視界は、塗りつぶされるように切り替わる。



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