第5章−10


J1さんがホウキを置いた。J2さんがボートを岸につけて、陸に上がってくる。
それぞれがいつものように部長のやや後方の左右に陣取って、3人が揃ったところで、部長が腰に手を当てながらずいっと進み出た。
「やっぱりダメだったようね、アンナ」

「ああ、好きにしておくれよ。覚悟は出来てる」
「そうさせてもらうわ――ダンディー、出番よ!!」

「あー、はいはい。どっこいしょ〜」
部長に呼ばれて、ダンディーがのそりと立ち上がった。
あたしが何か言うより前に、ダンディーは笑って肩をすくめてみせる。
「…これで早いとこ決着が付くんなら、それはそれで、よかったじゃん?」

『自分もレジェンズなので、アンナちゃんがこれからどうするのか心配だった』。昨日そうあたしに教えてくれたときと全く同じように、何てことない軽い口調で、ダンディーは言った。
それであたしは、余計に途方にくれた。
「ダンディーが何を考えてるのか、あたしには良く分からないよ…」
「俺はねー、と違って大人なのー」
ダンディーは、気さくで親しみやすい人だ。そして、やがて来るレジェンズウォーのことを知っていながら、今、あたしたちとこうして過ごしている人だ。
悩みを見せずに。
全てを受け入れ。
さばさばした表情は何もかもを割り切っているように見えた。

「何なの一体。…仲間割れなの?」
眉をひそめてメグが尋ねてくる。
まっすぐな青い目に見つめられて、あたしは言葉に詰まった。
「いや、別に。そんな大袈裟なことでは…、ないと思うんですけど」
視線を合わせることができなくて下を向く。

あたしも大人になれたらなあ。
ダークウィズカンパニーは、自分のために。それは時々見失いがちで、初心に返れば簡単で、でも、いつの間にか煩雑なあれやこれやに阻まれて結局実現困難だ。全てをスマートに乗り越える方法が、あたしには分からない。

でも、メグちゃんはアンナちゃんのことをシュウに黙っていてくれた。
メグちゃんにそれをお願いしたのはあたしだから、そのあたしが今になってアンナちゃんを助けるのを止めるのは、やっぱり格好悪いだろう。

仕方ない。
あたしは立ち上がった。
ダンディーの進路をふさいで、それ以上前に出さないように、腕を横に伸ばして露骨に牽制する。
「おい、
「そこにいてよ、ダンディー。…そこにいてよ。邪魔しないでよ」

あたしは緊張した空気を突っ切るように早足で歩いて、アンナちゃんと睨みあう部長を横目に、すたすたと距離を詰めてアンナちゃんの隣に立った。
空気も読まずに攻撃の邪魔になる場所にのこのこ出てきたあたしに、部長が不思議そうな視線を向ける。
「どうしたのよ、。…トイレ?」
「…………」
あたしのことは疑ってもいない様子だ。
逆らう気だと分かったら、怒られるんだろうな。思わず溜息が出そうになる。

「アンナちゃん、ここはあたしに任せて逃げてください。部長には、あたしから話します」
アンナちゃんが呆れたように笑った。
「無理しなくていいよ、
助けに入ったつもりなのに、逆に慰められてしまった。

「この間から不思議だったんだけど。アタシ、にそんなに親切にしてもらう理由、ないと思うんだよね。何で?アンタに何にもいいことないだろ?」
「そうなんだよね…そうなんだけど…昔、ファンだった…みたいな…自分とスタート地点との折り合いをどうつけようか、未だに決めかねてるみたいな…」
アンナちゃんにぼそぼそ言い訳していたら、部長があたしを指差して怒鳴った。
!!トイレに行くならさっさと行きなさい!そこは、邪魔よっ!」
あたしは思わず首を縮めた。
「じゃ、邪魔なのは分かってますが!ここはちょっと、あたしの話を聞いていただけないでしょうか!」
「話?何よ、こんなときに」

「確かにアンナちゃんは、やっぱりダメでした。ダメでしたがしかし、ここまでターゲットを篭絡した手腕は、それはそれとして、認められるべきではないでしょうか!…みたいな…。何もわざわざ暴力的な形でペナルティを与えなくてもいいと思うんです。アンナちゃんをやっつけたところで誰が得するわけでもないし、もっとこう、平和的解決のための提案として――…」
「――そういうことなら、オレに任せな」


しどろもどろに場をつなごうとするあたしの言葉にかぶせるように、誰かの渋い声がした。
全然関係のない方向から。


「!?」
声のした方に顔を向けると、見覚えのあるがっしりした体つきのおじさんが、のしのしとこちらに歩いてくるところだった。
キャスケットを目深にかぶり、人の話を全然聞かなそうな不敵な笑みを浮かべ。
今回は前回にもまして重装備だ。先端に妙なもののついた棒を両手に持ち、背中にも何かを背負っている。

脈絡のない登場に、その場の全員がぽかんとした。
JJさんが顔を見合わせる。
「この人って確か、カニ獲りの…」
「リチャードさん?」

「やっぱり来たんだ…!?」
思わず妙なことを口走ったせいで、部長が眉をしかめてあたしに聞いた。
「…が呼んだの?」
「いえ、とんでもない…」
制裁役はダンディーになるのかと思っていた。その辺の整合性ってどうなってるんだろう。
というか、これはあたしにとっては良くない状況かもしれない。説得相手が増えてしまった。しかもこっちはダンディーと違って、他人の話を聞かない人だ。

「ふっ…カニ獲り名人のリチャードは、もういない。俺は鳥獲り名人のロバートとして生まれ変わったのよ…」
と、ロバートさんは言った。
意味が分かりません。
いつの間にか現れた総務さんが、ロバートさんの横でファイルを読み上げる。
「簡単なプロフィールとして、ロバート氏は1月20日生まれみずがめ座。趣味はベースボール」
「つか、それ、やっぱりリチャードさんじゃないですか…?」

「いいってことよ。俺に任せな」
ロバートさんは渋く言い放つと、アンナちゃんを見据えながら舌なめずりをした。
「照り焼きが好き…?から揚げが好き…?」

JJさんが後ずさる。
「ちょ…全然生まれ変わってないじゃないですか、この人」
「食う気ですよ、この人。また」
「どこが平和的解決なのよ、!?」
「だから、あたしが呼んだ訳じゃないですよ!!」

あたしたちが揉めている間に、ロバートさんは勝手に攻撃態勢に入った。
「スペシャル・ローリング・サンダーネッット!!」
叫ぶと同時に背中に背負ったネットが勢いよく射出される。
確かにロバートさんは生まれ変わったのかもしれない。必殺技が、本格的だ。
捕獲用の網が視界いっぱいに広がってこっちに迫ってくる。あたしは目を見開いて立ちすくんだ。
「くっ…!!」
飛び立つよりも早く、アンナちゃんの体はクモの巣のように広がる網に絡めとられて地面に引きずり倒される。
当然あたしの避けられる速度であるはずもなく、あたしも一緒に、網に絡まる。
「はははは!大漁じゃあー!」
「ちょっ…止めてくださいよ!あたしがまだ話をしてるのにー!」

「新人、お前ってやつは…」
「間、悪すぎ…」
JJさんが呆れた声を出した。
部長がこめかみを押さえながらロバートさんに頼む。
「ごめん、段取り悪くてトリじゃないのが混じっちゃったわ。黒服の子の方は、放してくれる?」

それに答えて、ロバートさんが叫んだ。
「これでしめて!」
「ぎゃーーー!!」
ロバートさんがぐっと腕を引く。獲物を捕らえた網がきゅうっと引き絞られ、あたしはアンナちゃんともつれ合いながらずるずる地面を転がった。
「そしてこれで!焼いて!」
部長の話は、全然聞いてないみたいだ。

「ちょっと…大丈夫なんですか、部長」
「それはさすがにグロくないですか…?」
JJさんが引き気味に言う。網を掴んであたしは叫ぶ。
「いや、グロすぎるでしょ!?早く助けてくださいよ!」


ベンチ裏の木陰の方から声がした。
「メグ、これを使うんだな!」
何とか首をひねってそっちを見ると、さっきあたしのいた場所でマックさんががさごそと紙袋を漁っている。
――あたしの荷物だ。
「分かった、任せて!」
大振りのハサミを手にして、すたすたとメグちゃんが歩いてきた。
捕獲網の硬いロープでも切れるような、丈夫なやつ。
必要になるかもしれないと思って、あたしが買っておいたものだ。本来知りえないはずの知識をあらかじめ持ってることだけがこの世界でのあたしのアドバンテージだから。
何だかんだでアンナちゃんには受け取ってもらえなかったし、ダンディーが制裁役に回るのなら結局使い道はないものかと――

じょきじょきじょき。
メグが手際よく網を切り開いてくれる。
「ありがとう、メグちゃん…」
「…どういたしまして」
役に立った。
役には立ったけど、それで助かることになるのが自分だとは思わなかった。微妙。

アーモンド形の目をまん丸にしながら、アンナちゃんが網から這い出た。
「な、何でアンタまでアタシを助けてくれるのさ…?」
「どーだっていいでしょ、そんなこと。ほら、これも」
メグちゃんがアンナちゃんにサラダオイルのボトルを渡す。

あたしも続けて網から抜けようとして、ちょっと手間取った。
先にアンナちゃんが抜け出した分、網が緩んで、あたしの体に落ちかかってまとわりついてくる。垂れ下がってくるのをかきわけようとして腕を振ったら、余計にこんがらがった。
「…………!」
あたしがどうでもいいことでじたばたしている間に、ロバートさんは次の武器を構えた。

「ウルトラ・トリモチ・アターック!!」
ロバートさんが両手に持ったトリモチを槍のように繰り出しながら突進してくる。
「アンナちゃん!」
「言われなくても。…さすがにもう、もらった意味は分かったよ」
オレンジ色の鳥の足が、サラダオイルのボトルを爪先に引っ掛けて飛び上がる。
アンナちゃんは突進してくるロバートさんを身軽な動きで飛び越え、
「でやー!」
サラダオイルをロバートさんの頭の上でひっくり返した。
「ぐわー!」
ロバートさんが油に足を取られて勢いよく転倒する。
アンナちゃんはロバートさんの上をばさばさと旋回しながら、トリモチめがけてボトルに残った油を全て撒き散らした。粘つくトリモチは油だまりに沈んで溶けて、ぬるぬるになる。
鳥獲り名人の武器は、これでどちらも無力化された。

マックがにこにこしながら網の中のあたしを振り向いた。
「こういう使い方で合ってるんだろうか、なんだな?」
「は、はい…合ってます」
はすごいんだな。とっても用意がいいんだな」
マックさんに褒められた。初めて。

ロバートさんを撃破したアンナちゃんが、静かに地面に降り立った。

油にまみれて倒れる鳥獲り名人。
なぜか網に絡まっているあたし。

誰がどうしてどうなってるのか。その場の全員が次の行動を決めかねて、ちょっと静かになる。
「…ちょっと!生まれ変わってもやっぱり全然役に立たないじゃないの!」
部長が足を踏み鳴らした。
「っていうか!!アンタって子はさっきから、一体何をやってるの!?」
「そうだよ。どーなってるのよ、この状況…」
「用意良すぎでしょ、あのトリ…」
JJさんたちも困惑気味だ。
ダンディーがあたしに顔を向けて聞いた。
「どーすんだ、これ。…やっぱ俺の出番なの?どうなの?」
「えーとえーと、えーと」
あたしはじたばたしている。アンナちゃんの味方みたいなことをやっちゃってるし、ロバートさんを妨害した荷物はあたしのものだし、部長が怪しみ始めている。初めてマックさんに褒められた、ちょっと嬉しい。そしてまだ網が取れない。

何だかもう、あたしも訳が分からなくなってきた。
混乱に乗じてこの場を収める方法とかないのかな。
それもなるべく、あたしが怒られなくても済むような――

たっ。
ぞうりみたいなサンダルを履いた足が一歩前に出て、地面を踏みしめるのがあたしの視界に入った。シュウだ。
「ナイス対策じゃん、メグ!――シロン、カムバック!!」
「ンガガ!!」
白いタリスポッドを握りしめてシュウが叫んだ。
ねずっちょがリズムよくシュウの頭に飛び移り、タリスポッドの中に納まり、
「リボーン!!」

いつものごとく巨大な白い竜が姿を現す。
風に吹かれて翼を広げる。

天の助けだ。いやレジェンズ班にとっては負けフラグなんだけど。
頼もしいと思っちゃいけないんだけど、頼もしい。
あたしは思わず拳を握る。
「シロンさん…!」
かがめた長い首を高くもたげるその途中で、シロンさんがちらりとこっちを見下ろして、網ごしに目が合った気がした。
いつもは厳しい青い目が今日は笑っている。期待に応えてやるぜ、と言わんばかりに。

「うわっ、まずい!」
「ま、まずいですね…!」
「逃げましょう…!」
条件反射のように及び腰になった部長たちをめがけて、シロンさんの翼が力強く一回、羽ばたいた。

「ウィーング・トルネーーードッ!!」

風が、全てのどさくさを吹き飛ばした。


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