第5章−11


「ぎゃーーー!!…、あれ?」
いつもの癖で頭を押さえてしゃがんでみてから、風が自分に吹いてこないことに気が付いた。
あたしは恐る恐る顔を上げる。
ぼそりとメグが言った。
「やられ慣れすぎなんじゃない?」
「……。そうみたい…」

考えたらシュウはあたしの目の前でシロンさんをリボーンしてて、今いるここは、シロンさんの足元なのだった。
隣にメグとアンナちゃんがいて、近くにマックもいる状況で、あたしに攻撃が来るわけなかった。
ポジション取りのおかげで助かったみたい。
同じくこっち側にいたダンディーも無事だ。

顔にかかる網を振り払いながら状況を確認していると、シロンさんのからかうような声が降ってきた。
「ほら、お仲間が飛ばされてったぞー。探しに行けよー」
「…………」
あたしは網をかぶったまま、しばらくぼんやりシロンさんを見上げた。
シロンさんのおかげで助かったような気がするけれど、シロンさんには別にそういうつもりはなくて、いつものように華麗に邪魔者を吹き飛ばしただけじゃないかって気もする。お礼を言うべき状況なのかどうか、良く分からない。

一体誰が敵なんだろう。何をするのが正しいことなんだろう。
今回は改めて色んなことを考える機会が多かったけれど、結局のところ、あたしにはいつも良く分からないのだった。
迷った挙句にぺこりと頭を下げた。
「…ありがとうございます」
「おう。っつーか、お前らもいい加減懲りろよなあー」


「ダンディー、今日のところは引き上げよう。部長たちを探しに行かなくちゃ…あのさ、これ、取ってくれない?」
ダンディーがやってきて、絡まった網を外すのを手伝ってくれる。声を低めてあたしに聞いた。
「つーかあれ、ウインドラゴンじゃん…。俺らの仕事って、あれ相手なの?」
「うん、そうだよ。…それが何か?」
あたしが聞くと、ダンディーは微妙な顔になって首を振る。
ウインドラゴンだと、一体何なんだろ。
ロープのもつれたところをダンディーが無理やりちぎってくれて、ようやく網がほどけた。
「…とれたぜ」
「…ありがと。えーと」
あたしは網から這い出て立ち上がり、ちょっと辺りを見回した。
部長たちも見ていないことだし、どうせならアンナちゃんに退職届を渡してから去りたい。

「了解しました。こちらですね」
どこからともなく現れた総務さんが、あたしの荷物の中から書類のファイルを拾い上げた。そういえばこの人も来てたんだ。
「後の処理はこちらで行いますので、お任せください」
いつでも神出鬼没な総務さんのテンションは、どんなときでも変わらない。あたしに向かって慎ましやかに頭を下げると、てきぱきとアンナちゃんの横に行って書類を見せている。
「こちらにサインとハンコをお願いします。はい。…はい、以上で完了です。それでは、この書類はお預かりしておきますね」
今まで悩んでいたことが嘘のように、アンナちゃんの手続きはその場であっさりと済んでしまった。

「…よかったじゃん」
様子を見守りながらダンディーが言った。
このよかったじゃん、にはあたしも同意できそうだ。
「うん!よかったね」
これで一件落着だ。
アンナちゃんは何だかぼんやりした表情でその場に立ち尽くしている。色んなことが済んだから安心したのかな、とあたしは最初思ったが、それとは少し雰囲気が違った。
その視線は、じっとシロンさんに向けられている。
「驚いたね…。ウインドラゴンじゃないかい」

アンナちゃんもダンディーと同じことを言った。シロンさんがアンナちゃんの方を振り向いた。
「あぁん?何だよ、俺を知ってるのか」
「アンタのことを知らないレジェンズなんかいないさ」
何だろ。一件落着のはずなのに、あんまり笑えない空気。
会話を横で聞きながら、あたしはぼそりとダンディーに確認してみた。
「…そういうもんなの?」
「うん。そういうもんなの」
「へー…」

「アンタがウインドラゴンなら、もしかしてシュウは、…――『風のサーガ』なの?」
尋ねる声が固かった。シロンさんが不思議そうに首をかしげて、軽く答える。
「ああそうだ」
シュウは風のサーガ。シロンさんをリボーンできる特別な人間。シロンさんにとっては多分、それ以上でも以下でもない意味の言葉で、でもそれを聞いたアンナちゃんははっきり分かるくらい青ざめた。

何てこったい、と呟いて、アンナちゃんはうつむいた。
その深刻そうな様子で、何となくあたしは悟る。
「ダンディー。もしかしたら、アンナちゃんってさ…」
「ああ」
ダンディーが頷いた。
「アイツも、昔の記憶が残ってるのかもなあ…」

ダンディーがそうだったみたいに、もしかしたらアンナちゃんもレジェンズウォーのことを知っているのかもしれなかった。
サーガに選ばれた子供が辿る運命のことも。


そしてシロンさんだけが、多分あんまり分かってない。
「どういう意味だ。こいつがサーガで…それがそんな、暗くなるような話か?」
「どういう意味って。まだ目覚めてないの?」
アンナちゃんは苛立ったようにした。
「教えてあげてもいいけど、他人から聞いても仕方ないと思うよ。…もしかしたら、アンタがそれを分かったときがそのまま始まりのときになるのかもね。アンタは、ウインドラゴンだからさ」

助けてやった相手に偉そうにそう言われ、シロンさんは何か言い返そうとして、実際知らない負い目のせいか、苦手科目の宿題に直面したヤンキーみたいな顔になって黙った。
「…………、……」
ダンディーが無言でアンナちゃんの話す言葉を聞いている。あたしも何も言うことができなくて黙っている。
いつか来る、レジェンズウォー。
その始まりを告げるのは、ウインドラゴン。
あたしも一度は目撃した未来。
シロンさんを眺めるダンディーはひどく静かな目になっていて、あたしはそれが怖かった。
吹く風が、少し冷たくなった気がした。

「どしたの、アンナー?」
当の風のサーガが、呑気にアンナちゃんに声をかける。
アンナちゃんは何かを言いたげにしながらシュウに一歩近づいて、途中で立ち止まってうつむいてしまった。まるで急にシュウとの距離が分からなくなったみたいに。

みんなが悩んでる。
みんなが心を痛めてる。あたしは知ってる。
一体何をどうしたらいいのか、いつだって分からないことばっかりなのは、きっとあたしだけじゃなくて。

「…でも」
アンナちゃんが呟く。
「アタシは、シュウに会ったから。…前とは違うアタシだから」
それがアンナちゃんの結論みたい。顔を上げた。
とすとすとす。アンナちゃんの鳥の足が、軽い足音でシュウに歩み寄る。今度は大胆なくらいに距離をつめ、アンナちゃんは小さな顔を大切そうに覗き込んだ。

「シュウ、――もしもいつか…いつかこの先、アンタに悲しいことがあったときは、アタシが絶対シュウを助けに来るよ。約束する」
「へっ?」
「意味は分からなくてもいいんだ。助けに来るよ。忘れないでね?」
アンナちゃんはきっぱりと言うと、ふわりと青い羽を広げてシュウの肩を抱き寄せた。不思議そうにするシュウの頬に、唇を近づけ――
二つの影はひとつに重なる。
「うひょーーーーーー!?」
シュウが素っ頓狂な声を出す。メグが歯ぎしりしながらあたしにメグチョップを放つ。
「あっ!やめて!あたしに当たらないで!!っていうか今やるんだ、色仕掛け!?

それで何だかその場の空気は全部うやむやになってしまった。

アンナちゃんがさっぱりした笑顔で羽を広げる。
「じゃーね、シュウ。いつか、アタシと一緒に風になろうね!」
広げた翼にいっぱいに風を受け、アンナちゃんは地面の軽い一蹴りであっという間に宙に舞い上がった。
空を滑って、そのまま小さくなっていく。シュウが浮かれて手を振った。
「ばいばーい、アンナちゅあ〜ん!!また、会おうよねえーーー!!」



ダンディーが肩をすくめてあたしを促した。
「ま。行くか」
「あ、うん。そうだね」
とりあえずまあ、アンナちゃんが無事DWCを辞められてよかったよ。その後は、あたしたちとはあんまり関係ない話なのだった。
エンディングの余韻に浸るシュウたちを残し、あたしとダンディーは部長たちが吹き飛ばされただろう方角へ早足で歩き出す。
何となくダンディーが言った。
「――次って多分、俺の番だよね」
「あ」
あたしはびっくりしてダンディーを見た。

そこまで頭が回ってなかった。アンナちゃんがタリスポッドを奪えずに終わったのだから、次のレジェンズの出番だ。
今まで一緒に行動してたから、これからもずっと一緒にいる人みたいな気がしてた。

「そう…、だねぇ…」
「ちょっと…何で今から辛気臭い面してんのよ。俺はだいじょぶだって〜」
ダンディーは溜息をついてちょっと後ろを振り返った。
「しっかしまあ、…――ウインドラゴン、か」
「…………」

シロンさんはまだアンナちゃんの去った空を見上げている。
アンナちゃんの言葉に何を思ったんだろう。あたしたちのいる場所からはただ、風に吹かれる背中が見えるだけだった。


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