第6章−1


再びダークウィズカンパニーのオフィス。
アンナちゃんが去って、ダンディーの番が来た。

オレンジ色の模様が入った二本の太いワニ尻尾が、やる気満々に床を打つ。
ダンディーは腰に手を当て、かっこよくふんぞり返りながらレジェンズ班一同を見渡した。
「俺は…ネゴシエーターになるぜぇ」
と、ダンディーは宣言した。
「ネゴシエーター?」
「つまり、巧みな話術でこじれた揉め事を話し合いで解決する交渉人のことよ」

「交渉人…」
「じゃ、また『レジェンズが交渉』で行くんですか」

「そりゃそ〜よ。アンナの時の様子を見るに、全然話が通じない相手って訳じゃあなさそうだぜ。ウインドラゴンを向こうに回して戦うよりは、絶対うまく行くって」
ダンディーは相手がウインドラゴンと知って、何が何でも戦いたくないと考えているようだ。見た目は強面なのに、ちょっと意外。シロンさんって、レジェンズの間ではそんなに強くて有名なんだろうか。
とにかくまあそれで、交渉路線を踏襲することがすんなり決まる。

「アンナの失敗は相手に入れ込みすぎたことだ。ターゲットに思い入れちゃーいけねえよ。親しみをこめた態度で相手の警戒を解きつつ、本音はあくまでクールに、こっちの要求を呑ませる。交渉人の腕の見せ所よ」
頼もしい。もう、その説明からして既に頼もしい。
JJさんたちが思わず拍手する。ダンディーは得意げに鼻の穴を広げる。
そうしながら、何気なくあたしに目を止めて聞いた。
「…も行く?」
「……。いいの?行く!!」
あたしは挙手して即答する。
先日のアンナちゃんの件では、会社に非協力的な行いをしてしまった。分かっててやったこととはいえ、ちょっと悪いなあとも思ってた。機会が与えられるなら、前回の分まで役に立ちたい。




「…マツタニさんちは、あそこだね」
「だな。じゃ、行くか」
ブルックリン地区南、落ち着いた雰囲気の住宅街の一角にシュウの家はあった。
手入れの行き届いた花壇に囲まれた一軒家。
リビングに電気がついている。シュウは学校から帰ってきているようだ。

呼び鈴を押す。
「こんにちはー。ごめんくださーい」
「はーい?」
明るい子供の声。パタパタ言う足音。
ドアチェーンの隙間からシュウの顔が覗いた。
「うぉ、したっちょ」
「うぉ、その呼び名定着しちゃったんですか」
ちょっと悲しい。

「シュウ、何してるのー」
「お客さんなのかな?」
奥の方から、マックとメグの声もした。遊びに来ていたみたいだ。
シュウを追いかけて玄関にやってきたメグは、あたしを見つけて嫌な顔になった。
「何なのあなた。こんなところにまで」
メグがあっさりとドアを閉めようとする。

「ちょ…待って、閉めないで!!用事があって来たんだから!」
「どうせまたタリスポッドの話でしょ!いりません!よそを当たってください!」
「お…押し売りじゃないんだから無茶言わないでよ!よそにはないよ!」
ドアを閉めようとするメグ、閉めさせまいとするあたし。二人でドアを押しこくりあっていると、あたしの後ろでダンディーが声を上げた。
「なーにをごちゃごちゃやってんだよー」
がっ。
ダンディーがドアの隙間に鼻を突っ込む。
「嫌だ、またワニがいるじゃない!?こんなとこにまで連れて来たの、あなた!?」
「ああああん!?ワニ言うやつがワニじゃあぁーーーー!!」
「ちょっとダンディー!やめてよ、話が!話が進まないよ!」

ダンディーが顎を開いて叫んだ勢いでドアチェーンの留め具が吹っ飛んだ。そのままぐいぐい体を押し込んで、ぱぁんとドアが開く。
強引だなあ。
「…………」
「…………」
「…………」
目を丸くして黙り込むシュウたちを前に、あたしはとりあえず営業スマイルを作って挨拶した。
「ど…どうも〜。ダークウィズカンパニーのです!こっちはダンディー。今回ダークウィズカンパニーから派遣されました、ネゴシエーターレジェンズ!です!」
「こんにちはー。はっなしあいにー。来ました〜!」

「…何なの、そのテンション」
子供たちが圧倒されている。というか、呆れられている。多分。
何にせよ、いい感じでこっちのペースだ。
ダンディーがのしのしと玄関の奥に入っていこうとしたところで、シュウが慌てたように両手を振ってダンディーを遮った。
「いやいやいや!だからって、何でウチに来んの!?父さんたちが帰ってきたらまずいじゃん。俺、父さんや母さんにおめーらのこと絶対見られたくないんだよね!」
と、シュウが言った。

なぜか、すごく焦ったような表情。そわそわ足踏みしながらあたしたちの前に立ちふさがって、一歩も奥に通さない気満々だ。
ちょっと面食らってあたしは聞いた。
「見られるとまずい…?でも、本当に話し合いに来ただけなんですけど」
「いやあ、特に何がどうってことはないよー!でもすっげー嫌なんだよー!絶対ダメなの、わかるー?」
「?」
あたしはダンディーと顔を見合わせた。全然分からない。
何なの、この。一刻も早く目の届かないところにやらなくちゃいけない変なモノみたいな扱い。
一体何が「絶対ダメ」なんだろう。シュウにとっては、あたしたちが自分の家の中にいるという状態が理屈ぬきで落ち着かないようだった。
あたしたちってそんなに、両親に見られてしまうと恥ずかしいような存在だろうか。

ダンディーは首をひねって悩んだ後、ぼそりと言った。
「…エロ本?」
「なるほど。エロ本…」

しっくり来たけど。
嫌な例えだ。

マックが気づかわしげにシュウを見やって提案した。
「場所を変えようか、なんだな?」




エロ本的存在があっても大丈夫な場所。
それは秘密基地。

イーストリバー沿いの一角に、再開発の波に取り残されたみたいな時計台付きの廃ビルが建っている。
あたしたちはシュウたちの後について外付けの非常階段を登り、扉を塞ぐ板切れを外して内部に入った。窓には全て外から釘が打たれているから、廃墟のビルは昼間から静まり返って薄暗い。手探りで中の階段をさらに上り、時計台に上がって歯車の隙間を進んで行くと、空間が少し広くなって、奥の方から光と外気が流れ込んでくる。
多分ここ、ビルのてっぺん近くだと思う。あたしたちは壁に丸い穴の窓が開いた小部屋に辿り着く。そこで通路は行き止まりだった。

「はー。中はこんなになってたんですねー…」
「そうよ〜。どうよ〜?すっげーだろ〜」
「つーか、道、せまっ…」

仕事でシュウの後をつけていたときに、外からこのビルを見張っていたことがある。まさかこんな秘密空間があるとは思わなかった。
薄暗くて古ぼけていて、大人は知らない、秘密の場所。結構快適そう。以前JJさんが運んでいた豹柄のソファーが置いてある。
丸い窓のふちでは、ねずっちょ姿のシロンさんが風に当たって昼寝をしていた。
マックさんが声をかける。
「こんにちはなんだな、シロン」
もぞもぞと起き上がったねずっちょは、あたしとダンディーを見てつぶらな瞳に険しい表情を浮かべた。
「ガガガ!?ガー、ガガガ?」
「あ、どうもー。お邪魔してますー」

窓のふちに手を掛けて外を覗くと、今いる場所が時計台の盤に開いた小さな覗き穴なのが分かった。ブルックリンブリッジとイーストリバーが見える。
「すごーい。いい眺めー!」
「だろ〜?」
思わず感嘆の声を上げると、シュウが得意そうに胸を張った。
ねずっちょも得意げに顎を上げて、うっとりと目をつぶる。
「ンガ…ガ〜ガガガー」
い〜い風だなー。と言いたいんだろうな、多分。
初めてリボーンされたとき以来、それがシロンさんの口癖だ。
「うん、風も。いい風ー。ちょっと、強いけど…」
吹き込んでくる風がもろに顔に当たる。目をしぱしぱさせて周りの景色を眺めながら、あたしはふと腑に落ちない思いに囚われた。
どうしてシロンさんは、ここに吹く風が好きなんだろう。
気に入る理由は何だろう。
だって自然が美しいとかものすごく空気が綺麗とかじゃないと思うんだよね、ここ。

丸い窓から身を乗り出せば、風を感じる。
音も聞こえる。車の音だ。
せわしく人の行き交う気配。遠くのクラクションの音、誰かが張り上げている声。密集した色んな喧騒が楽しげなざわめきになって、川を流れて海に出る。

ここはニューヨーク州ニューヨーク市。
――世界で一番、人の集まる街の風。


「……???」
シロンさんは、この街の風が好き。あまりにも当然の設定として刷り込まれていたせいで、今まで気付かなかった矛盾。
実は結構、不思議なことのような。
とても大切なことのような。
あたしが一人で悩んでいるうちに、シロンさんは風を浴びるのに飽きたらしく、窓のふちから身を乗り出してぽよんと床に飛び降りる。
「ガガ、ガガガー」
マイペースにぽてぽてと床を走る白い体を
「うわっ、ネズミいる」
「ガニャッ!?」
ダンディーの太い足がぺしっと蹴り飛ばした。

あたしがちゃっかり外の景色を楽しんでいる間、ダンディーの方はやることがなくて退屈だったようだ。つまらなそうにぽりぽり頭を掻いている。
「にしてもさー、何だか埃っぽいとこだなあ。ちゃんと掃除はしてんの〜?」
「ガガ!!ガニャッ、ニャッ、ガガガ!!」
「…ほれ、見ろよ。ネズミもうろちょろしてるしよぉー」
蹴り飛ばされたシロンさんが、憤慨した鳴き声を上げながらダンディーにまとわり付き、ダンディーはぶつくさ言いながらシロンさんをもう一度つまんで捨てる。

何だか難しいことを考えるのがめんどくさくなった。
「あーもー、喉がイガイガするー。つーか、背中掻いてー」
「いいよー、ちょっと待ってー」
ダンディーは溜息をつきながらあぐらをかいて床に座り込む。あたしは窓から離れてダンディーの後ろに回る。
「俺、水だからさ。体乾くと、かゆくなっちゃうんだよね。ん〜、そこ、そこ…」
「ここ?この辺?」
しょっていたローラーボードをソファの横に立てかけ、ダンディーの背中のとんがりを掻いていたら、メグがもう勘弁ならないと言った勢いであたしたちの前に立ちはだかった。
「掃除は、ちゃんとやってます!!ていうかアンタたちは!一体、何しに来たのよ!?」
メグが怒鳴った。
そういえばそうだった。

「…こ…交渉です」
「…です」
あたしが答え、ダンディーが答える。
メグがフンと息を吐いて腕組みした。
「じゃっ、用件をどーぞ」


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