第12章−11
――内容は覚えてないけど、何だかひどく嫌な夢を見た気がする。
皆死ぬのよ。
あなたも死ぬの。
どうして違うと思ったの?
だって夢だから。
これは夢だから、だから――
ピピピピピピピピ
ピピピピピピピピ
鳴り響く電子音があたしを悪い夢から引き戻す――だけど、これは「あたしの部屋の」目覚まし時計の音じゃない。一人暮らしのアパート、会社と家とを往復する生活だから、家の中の物があまり増えてない――目覚まし時計の代わりに、毎朝7:00に携帯のアラームを鳴らしてる。
その音。
目が覚めた。
あたしは腕を伸ばして携帯を掴み、アラームを止めた。
「夢…」
こうやって目が覚めても、あたしはまだ、ニューヨーク州ニューヨーク市にいる。
これは夢だ――
そもそもの最初、突然レジェンズキングダムにいる自分に気が付いたあの時、あたしは、これを夢だと思ったのだ。
記憶をさかのぼってみて、首を振る。
それだって随分昔のことのような気がした。
自分の周りの色んなことに突然確信が持てなくなった気分だった。
とにかく今日は月曜で、あたしは会社に行かなきゃいけなくて、始業は9時だ。
やらなきゃいけないルーティンがある、それが、とりあえずのよりどころ。
ダークウィズカンパニー、携帯用扇風機部。
出社して程なく、いつものように電話が鳴った。
「くんはいるかね?新しい扇風機を、懐中電灯を用意して、至急持ってきてくれたまえ!」
「分かりました。新しい扇風機と、…懐中電灯ですか?」
「至急だ!よろしく!」
懐中電灯を要求されるというのは新しいパターンだ。
備品の倉庫に寄って非常用のを借りていたら、ちょっと時間がかかってしまった。
「あら、じゃない」
「部長!…おはようございます」
社長室の前に着いたら、ちょうどBB部長が中から出てくるところだった。
驚いたあたしは、ちらりと扉に目をやった。ランシーンさん、中にいるのかな。
「昨日は?あれからちゃんと家に帰れた?」
「ええ。まあ…。部長たちこそ、大丈夫だったんですか?あそこからどうやって降りたんです」
「ふっふっふ。そりゃもう大変だったわよ。今もそのことで、社長と直談判してたとこ」
部長は肩をすくめる。
「一度や二度の失敗で給料減らされたんじゃ、チームの士気に関わるわ…。ボーナスは会社員の命、心と体のよりどころ。私はともかく、JJたちには役職手当もないじゃな〜い?ボーナスカットは死活問題!と、あのおっさんに訴えたわけよ!」
「へー…」
あたしがレジェンズ班にいた頃からして、失敗は一度や二度ではないと思う。部長は朝から元気だなあ。
「その結果!」
じゃーん。
部長は鼻高々と、『ボーナスカット取り消し条件書』とプリントされた紙をあたしに見せてくれた。
「紛失したソウルドールとタリスポッドを探し出せば!ボーナスカットを取り消しにするって条件を勝ち取ったのよ!」
「へー…良かったですね」
あたしは適当に相槌を打った。
あたしはもう皆とは別の部署だし、元々ボーナスのない立場なので、その話題にはあんまり関係がないのだった。
「ていうか…ソウルドールとタリスポッドって、あのとき落ちちゃったやつのことですか?あのまま見つかってないの?」
「見つければいいのよ!これからね!」
部長は胸を張ってみせるけど、大丈夫かなあ。あんな場所から落ちた物が、今更見つかるだろうか。
引き気味に考えてたら、部長がつとあたしの両肩に手を置いた。
「」
ぐいっと近寄り、顔を覗き込んで、不思議そうに目を見開く。
「やけに元気がないわねぇ。どうかした??」
「…………」
あたしは返事ができなかった。
何て言ったらいいか分からなかった。
「まっ。も仕事頑張りなさい!こっちのボーナス出たら、奢ってあげるからね!」
部長はあたしの頭をぽんぽん撫でると、レジェンズ班のオフィスに戻って行った。
「限定リングは〜〜私の物よ〜」
部長は部長で忙しいのだった。ほんとに見つかるんだろうか。
「遅くなりましたー。携帯扇風機部の、でーす」
「遅い!入りたまえ!」
首を縮めながら社長室の中を覗く。…そうしてちょっと驚いた。ランシーンさんがいない。
「来たね、くん」
いつもの陰気なプレッシャーがぽっかり抜け落ちた部屋は、がらんとしているようにさえ見えた。社長が一人、机の中央で丸っこい影になって座っている。
そういやBB部長も何も言ってなかったもんね。部長は、ランシーンさんとは顔を合わせなかったんだと思う。
ほっとしてあたしは聞いた。
「ランシーンさん、今日はいないんですか?」
「ここにはね」
社長は難しい顔をしている。
「ご自分のお部屋にいらっしゃる。つまり…こういうときは、誰かが、扇風機をお届けに上がらないといかんのだよ」
そう言って、社長はじっとあたしを見つめた。
「誰かがね。…」
社長につられて、あたしも難しい顔になった。
「ここまでくらい、自分で取りに来ればいいのに…ほんとにワガママだなあ…」
「くん!違うでしょ!偉い人に対する態度は、そうじゃないでしょ!」
「それで、どこに届ければいいんですか?」
肩をすくめて小言をやり過ごすと、
「うん、まあ。話が早いね」
社長はリモコンを取り出し、壁に向けてボタンを押した。
壁の一部がすうっと奥に沈んで、タイルの継ぎ目だと思っていた縦横の線が音もなく左右に割れて開いた。
隠し扉だ。
「ここがあの方のお部屋に直通だから、お届けしてきなさい。機嫌が悪いんだから急いでね!」
「はあ」
あたしはおざなりに頷いて奥へ進んだ。
あたしだって今日は機嫌が悪いのだ。
ちょっと歩くとすぐに突き当たりで、隠し扉と同じような大きさのエレベーターが待っていた。
階数ボタンが4個しかない。
ここと、ここより上の階2個。地下階が1個。他のエレベーターでは一度も見かけたことがない数字だった。
だって、社長室がこのビルの最上階なのかと思ってたし。地下も、カードキーがないと行けないあの地下階より更に下だ。
CEOやランシーンさん専用のVIP階層、といったところだろうか。
上昇が数秒。
ドアが開くと、いきなり辺りが暗かった。
「…なるほど」
懐中電灯は届けるわけじゃなく、ここで使えってことですね。
抱えた扇風機をいったん置いて、懐中電灯のスイッチを入れ、ぐるりと周りを照らしてみる。
――そこは洞窟だった。
照らし出される、ごつごつとした灰茶色の岩肌。壁も床もなく、ただ岩が丸くくりぬかれたようになった空間だけがある。ごろごろ礫の転がった地面は傾斜の付いた上り坂で、トンネルになって奥の方へ続いているようだ。
ビルの中に洞窟。
シュールすぎてくらくらする。
しばらく呆気にとられた後、そう言えばランシーンさんってこんな感じの場所をねぐらにしてたよな、と、思い直す。
テレビで見たことがなかったら、何かの間違いかと思って引き返してるとこだよ。
それで、あたしは懐中電灯で足元を照らしつつ、そろそろと前進を開始した。
ごうごうと響く風の音。
進んでいくうちに、憂鬱そうな誰かの唸り声が混じっているのが聞き取れる。
「んぬぅ…ふううう…」
地を這うようなテンションの声は、どこまでも続く洞窟の岩の壁に跳ね返り、幾重にもこだまして、訳の分からないわんわんした残響になって暗闇の中にわだかまる。
あたしはふと、ずっと前にJ2さんに聞いた話を思い出した。
登ってみるとそこは真っ暗。
10年前に工事が止まったきりだから電気はつかないし、壁も床もないままだ。
一面の暗闇の中を手探りで進んでいくと、空調の音に混ざってどこからともなく不気味な獣の唸り声が…――
「そうか…ダークウィズカンパニーのダークな七不思議!」
正体はランシーンさんの鼻歌だったのか。
ま、分かったから何がどうってこともないです。
遠くに丸い明かりが見える。
洞窟の行き止まりに穿たれた丸い穴。そこから外の光が差し込んできているのだ。
外から見た本社ビルを思い浮かべる。社長室の一階上、タワーの最上部。
DWCの巨大なロゴでほとんど隠れている吹き抜けの空間。外からは見えないあの部分にわざわざ岩を持ち込んで、トンネルを作ったわけか。
ビルの端の部分で、トンネルは行き止まり。床から天井まで届く巨大な換気口が丸い口をあけている。
出口じゃなくて、換気口なのだ。どうやって作ったんだろうと思うような四枚羽の巨大なファンがはめ込まれ、ゆっくりと、羽ばたくような音を立てて回転している。
ばさっ。
ばさっ。
「…………、………」
換気口の脇で、ランシーンさんが社長室にいるときと同じポーズでうずくまっていた。
ようやく到着。
あたしは扇風機を下ろして息をついた。
この明るさなら懐中電灯はもう要らない。片手にぷらぷらぶら下げる。
「よっこらせっと。ランシーンさーん」
「…………、………」
ここだけまともに外の光が差し込むから、逆光を浴びたランシーンさんはいつもよりさらに黒々とした影になっている。
明るさに慣れようとあたしは目をしばたかせる。
さっきまで鼻歌が聞こえていたのに、ひどく静かだ。
ばさっ。
ばさっ。
巨大な四枚羽がゆっくりと回転し、差し込む光が落とす影はあたしの上をゆっくり斜めに横切っていく。
ランシーンさん。反応がない。
寝てるのかな。
換気されて流れ込んでくる風が頬に当たる。あたしは何となく、いつかシュウたちが連れて行ってくれた時計台の秘密基地のことを考えた。
あの丸い窓。窓辺に陣取って風に当たってたシロンさん。
何もかも違うのに、そうやって、いつもどこかが似ている。
足元まで近づいていって見上げる。
「ランシーンさん!ご要望のものをお持ちしました!!」
「…………!!」
大声を出したら、ようやく反応があった。
こちらを向いたランシーンさんは、あたしを見つけて急に目を見開き、びくりと全身を震わせた。
「お前は、……。なぜここにいる」
変な反応だ。多分、居眠りしてたら急にがくっとなって目が覚めるときの、アレだ。
ジャーキングって言うんだって学校で習いました。
やっぱり寝てたみたい。
「なぜここにいるって…ランシーンさんが呼んだんじゃないですか?」
近づいた分だけ素早く後ずさりながら、あたしは言い訳した。
「あたしだって、仕事じゃなかったらこんなところに来ませんよ…ご要望のものをお持ちしました」
いっそう大きく目が見開かれ、ランシーンさんはこちらに首を向けたまま動くのを止めた。
「…今、…何と言った?何を…」
困るわあ。
この場所、風がごうごう言うから、社長室より声が聞き取りにくいみたい。
あたしはさっさと箱を開け、持ってきた扇風機を差し出してみせた。
「ご要望の扇風機を!!お持ちしました!!」
あたしの姿をつくづく眺め、ランシーンさんが呆然としたように呟く。
「扇風機…」
「扇風機。頼んだんでしょ?」
歩いて行って腕の近くに押し付けると、ランシーンさんは目をつぶった。
「そう。……。そうだ…、そう言えばそうだった…」
「しっかりしてくださいよ、ランシーンさん」
ぎこちなく指が開いて、扇風機を受け取り、握りこんだ。
スイッチを入れることも忘れている。
扇風機の羽は、空気の動きでゆるゆる回ってから、止まる。
「夢をね。見るんですよ」
ランシーンさんはぽつりと言った。
「顔の見えない、女の夢だ…」
うなだれたまま影のようになったランシーンさんを見上げる。あたしは黙っていた。
ようやく、何となく察した。
「……。その人のこと、怖いんですね」
小さな声であたしは聞いた。
「どうして?」
多分本当は、触れない方がいい話題。ランシーンさんが腰を上げれば、爪の届く距離。
ちょっと前ならそうしてた。
でも。
ばさっ。
ばさっ。
巨大なファンだけが重たげに回り続ける。規則正しく光をさえぎり、影は斜めに横切っていく。
「…私を殺す」
逆光を浴びる影。暗く沈んで、ランシーンさんの形にわだかまる影。
そこから発せられる声はほとんど囁くようだ。
「…お前に似ている――」
この人の願いはこの地球にレジェンズウォーを起こすことで、もしその願いがかなってしまったら、あたしの未来はないのだ。
何十億の人間も。
「あたしに何ができるんでしょう」
あたしは唇を噛んだ。
「あたしだって。…もしかしたらって。だけど、あたしじゃ、どうやったってランシーンさんを殺せない…」
ランシーンさんの瞳が暗く光るのが見えた。目だけが動いて、じっとあたしを見ている。
睨むように見返す。
何とかしなくちゃ。
怒らせないことばっかり考えてごまかしてても、先がない。
「……、何も」
ランシーンさんはのろのろと唸った。
「お前には扇風機の交換以外、何もできはしまい。分かっている。…全てあるはずもないことだ」
「失礼な。他のことだってちゃんとやってますよ!掃除とか発注とか、それに…」
「運命が変わることなどあるものか。レジェンズウォーは必ず起こる…私がこの手で、必ず起こす」
ランシーンさんは、あたしの反論を完全に無視して扇風機のスイッチを入れた。
そのまま、あたしから顔を背けるようにして、丸い窓の外を見ている。
「私が。――私だ。…私は…」
ぶつりと言葉が途切れた。
「…私はウインドラゴンなのか」
「えっ。何であたしに聞くんです」
あたしはぽかんとした。
何とも言えない間の後で、ランシーンさんが身じろぎした。
おもむろに座り直す。
「…やっぱいい」
自分の手元で回る扇風機をじっと眺めながら、ランシーンさんは呟いた。
「何でもない」
「どういうことです。いいなら、いいけど…」
あたしは、ランシーンさんと同じ姿のウインドラゴンのことを思う。
一体何がどーなってんだよ、が口癖の。昔のことなんざ知らない覚えてないぜってスタンスの。あたしたちに襲撃されるたびに迷惑そうな顔をして、ゴミを吹き飛ばすみたいにあたしたちを吹き飛ばす。
軽やかに翼を広げ、真っ白い流線形になって飛ぶ。
シロンさん。
なぜだろう。
相似のように丸い窓辺で風を浴びながら、この人は影の中うずくまり、自分を疑い、悩み恐れている。