第13章−1


ダークウィズカンパニー、社長室前。
今日のあたしは、ちょっと困っていた。
「えーと、どうしよう…。携帯扇風機部の、ですー」
「入りたまえ!」

社長の机の横に座るランシーンさんに、いつものように扇風機を渡す。
憂鬱そうに宙を見つめるランシーンさんは、ほとんど無反応のまま、腕だけをこっちに伸ばしてくる。
あたしの手から扇風機を取り上げ、スイッチを入れる。
ぷるるるるる……。
無言で扇風機に当たるランシーンさんを見上げながら、あたしはひどく落ち着かない気分だった。

「あのー、社長」
そうっと社長の椅子の後ろに回り、こそっと脇をつついて話しかける。
あからさまにランシーンさんを気にしつつ、社長が囁き返してくる。
「…どうした、くん」
「申し上げておきたいことがあるんですけど。怒らないで聞いて欲しいんですけど。実は」

「………ふーん。ふーん?」
こそこそしているあたしたちに気付いたランシーンさんが、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「……ああ。これ、ダメだねえ」
ゆっくりと腕を動かす。
「風が、来ないねえ…」
その指先に明らかに不穏な力がこもり始めたので、あたしはダッシュでランシーンさんの手元に飛びついた。
「ちょっと待ったーーっ!!」
ランシーンさんがうざったそうに手を振るけど、負けずにしがみつく。
腕を回して抱え込み、扇風機の安全を確保。
「壊さないでください!この扇風機、最後の一個なんですよっ!」

「なにぃ!?」
素っ頓狂な声を出したのは社長だ。
がたりと椅子を動かし、のけぞる。
扇風機を押さえこんだままあたしは説明した。
「申し訳ありません。在庫を切らしてしまいまして…今言おうと思ったのも、そのことで」
「…………、……!」
社長は天井を仰ぐほどのけぞった後、今度は胃を抑えながら前屈みになって、机の上にうつぶせた。
わなわなしている。
くん、君は…君って子は…、一体、何しに会社に来てるのかね…??在庫管理も君の仕事でしょ!!?」
「申し訳ありません!電話したから明日には届くとは思います!…だからこの扇風機は壊させないよう気をつけてくださいねって、今、社長に言おうと思って」
ばーん。
勘弁ならなくなったのか、社長が机を叩いて叫んだ。
「どーーーーーやって気をつけるのかねっ!?」

そこで社長とランシーンさんの目が合った。
ランシーンさんはゆっくりと言った。
「…そうだよねえ。気をつけられない、よねえ」

「ひぃ!申し訳ありません!!」
即座に社長が謝った。
別に社長が謝るところじゃないと思うんだけど。ランシーンさんに長年間近で接しすぎちゃった人の、よく訓練された条件反射である。
「申し訳ないよねえ…ほんと、いい度胸だよねえ」
しかもランシーンさんがそれに乗っかってねちねちとあたしを責める。
「飛ばされてきた平社員の分際で…ダークウィズカンパニーの仮にも社長たる男に、こんなに頭を下げさせてさあ」
言いながら、扇風機をあたしの上にぐりぐり押しつけ、重みをかけてこようとする。
上から押さえつけられたあたしは、がに股になって潰されまいと踏ん張った。
「ぐぬぬ…」
申し訳ないとは思ってるし。だから今謝ったし。
大体、ランシーンさんが使ってるのか壊してるのか分からないペースで扇風機を壊すから、納入が間に合わなくなったんだし。

「大体、ランシーンさ」
「もうやめてぇー!!」
口答えしかけたところで、社長が悲鳴を上げた。
「もうイヤ!こんな仕事!!」
机につっぷして泣いている。

「ふふん…ふんふんふーん〜〜」
そしてなぜかランシーンさんが鼻歌を歌い始める。なんつー嫌な上司。

くん。ほら」
社長は分厚い財布を取り出し、数枚のお札をくしゃくしゃとあたしに押し付けた。
「…ないなら、今から買ってきなさい。お願いだから」
「買うって、扇風機をですか。今から?」
「そうだよ!!」
鬼気迫る表情であたしに顔を近づけて、社長は言った。
「ここはツンドラ?コロラド砂丘?違う!ニューヨーク州ニューヨーク市だよ!このニューヨークに、一軒も電器屋はないのかねっ?」
「はあ。…」

明日になれば届くんですけど、と反論できる空気でもなく。
その場で外出届を書かされ、あたしはブルックリンの街へと出かけたのでした。




住宅街の電器屋さんに入り、渡されたお金で買える分だけの扇風機を買った。
「領収書ください。宛名は『ダーク・ウィズ・カンパニー』で」
「あいよー」
「カタカナ表記でお願いします。あと、ウィズのところは中点入れてください」
ついでに会社に配送してもらうよう頼む。

そんなに時間のかかる買い物でもありませんでした。
お礼を言って店を出る。まだ午後も早い。外はとってもいい天気。
路地を通り抜けていく風に吹かれて、あたしは溜息をついた。
「はー。次から気をつけよ…」
今日は今日できる仕事を、きっちりやらなきゃいけないよね。
今のあたしは、DWCの社員なんだし。――だけどあたしは、いつまでこうしているのかな。

世界の時間は流れて行ってる。
止めることができなければ必ず来る、その日に向かって。
その日が来たときあたしは死ぬのだろうか。

ニューヨークの街を眺めながら、ぶらぶら通りを歩く。
用事は済んだ。後は会社に帰るだけ。
平日昼間に外に出るのは久しぶりだから、ちょっと散歩気分。




「わ」
雨でもないのに水たまり。
ぼーっとしてたら、気が付かずに足を踏み入れてしまった。
濡れた靴先を引っ込め、けんけんして歩道の端に寄る。よくよく見たら、この辺の道路、一面水浸しになっている。
少し道を行った先で、マンホールのフタが、下から溢れてくる水でばしゃばしゃ浮き上がっていた。

「大変!下水道が溢れてる!」
「下水道が、溢れてるんだな!」

シュウたちがいた。学校の帰りかな。
同じように異変に気付いたところのようで、マンホールを指差して騒いでいる。

あたしが追いつくと、メグちゃんがぎりっとこっちを向いた。
「ちょっと!お宅のワニッ!」
「えっ!違うよ!」
いきなり話を振られた。とりあえず否定。
「きっと、水の流れがどこかでつまってるんでしょ…。そりゃー確かに、あの時はやんちゃして悪かったですけど…ダンディーはとっくに会社辞めてるし」
あたしが言うと、マックさんがにこにこしながら口を挟んだ。
「工事のバイト、してたんだな。僕たちも会ったんだな」
「おお、そ〜だそ〜だ。元気かね〜、あいつ」
と、シュウも言う。
「へえ、そうだったんだ〜」

その間にも水は弱まる気配もなく、じゃばじゃば溢れ続けている。
あたしは、どっちかっていうとダンディーじゃなくストームワームさんを思い出すね。ドブの匂い。

「どこかで詰まってるとしたら、どうするの、これ!」
メグが足を踏み鳴らした。
「何とかしなくちゃ!放っておいたらニューヨーク中が大洪水よ!」
「下水口に行ってみるんだな!」

うーん、小学生ならではのこの、思いつきとフットワークの軽さ。
3人が元気よくイーストリバーの方向へ走り出していくのを、あたしは突っ立ったまま見送った。

ぽゆん。
前触れもなく頭の上に乗っかってきた、白いもの。
あたしは上目になって挨拶した。
「あ。シロンさん。…こんちわ」
「ガガ」
頭の上で、ねずっちょのシロンさんが唸った。
珍しくあたしに怒ってない。というか、覇気がない。
しばらく考えてから、あたしは付け足した。
「……。こないだは、どうも」
「……。ガガ。……」
ハルカ先生からあんな話を聞いた後で、シュウたちとは微妙に一緒にいづらい気分になってたのに、何も知らない子供たちに連れ出されちゃいました、ってとこかな。
溜息をつく。

走っていったシュウが、走っていったランニングポーズのまま、逆ステップで戻ってきた。
「そこ〜!何してんだよ、置いてくぞ〜?」
「えーっ。あたしも行くんですか…??」


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