第13章−2


結局、あたしはシュウたちにくっついてイーストリバーに繋がる下水口までやってきた。
大きなトンネルになっていて、排水路の左右に人が歩けるくらいのスペースがある。さっきの場所では溢れてきていた水が、ここにはほとんど流れてなくて、水路の底が見えていた。ここまで来る途中のどこかで下水がつまって、せき止められているのだろう。
「やっぱり…何かつまってるみたいね」
メグちゃんが言い
「水が、ちょろちょろしか流れてないんだな」
マックが言った。
「行ってみようぜ…!」
シュウが先頭になって、アグレッシブな子供ら3人は、ためらいなくトンネルの奥へ入っていく。
「えーっ。ほんとに行くの?えーっ…?」
その後ろから、テンション低めのあたしとシロンさんがついていく。

「な〜んっかドブくさ〜。っていうか、タ〜コくっさ〜」
今日のシュウは、すっかりいつものテンションだった。くねくねしながら即興の鼻歌を鼻ずさんでいる。
トンネルの中だから、その歌声がわんわん響く。
「シュウの家じゃないなら、一緒にいてもセーフなのかしら。ダメなの、家限定なのかしら」
あたしは独り言を言った。
「やっぱ分かんないわ…謎ルール…」
「ガガ、ガ。ガガ」
あたしに合わせてシロンさんが唸る。多分、相槌。

シロンさんがあたしの頭の上に乗っかっているのを見て、マックさんが不思議そうな顔をした。
「あれっ。シロンとは、いつの間に仲直りしたんだな??」
あたしはあいまいな薄笑いを浮かべた。
「うーん。仲直りっていうのとは、違うかも…」
「ンガガ…」
「元々あたしたち、喧嘩してたって訳でもないんですよ。…ほんともう、全然。シロンさんが怒りっぽいだけで」
「ガ。…ガガガ!?」

マックさんがふふっと笑った。たゆん、となで肩が揺れた。
「そうなのかな。なら、良かったんだな?」
「良かったのかな。…そうでもないかも。分かんない」
お母さんのような笑顔を眺めながら、あたしはぼんやり答えた。
「これからどうしたらいいか、全然分かんない。…っていうか臭い!何かここ、生臭くない!?」
「だから〜、さっきから言ってるじゃん、タコだよ!ここ、すっげ〜タコくさい!」
「そこ!うるさい!」

メグとマックが、そこでびくりと立ち止まった。
「何あれ…!?」
あたしとシュウは、喋ってよそ見していたので反応がちょっと遅れました。顔を上げる。
トンネルがいきなり行き止まりになってた――赤みがかってむちむちした軟体のモノが、下水道の丸い壁いっぱいにみっちりつまっている。
「ひえええええええええ!?タコ??」
「タコなんだな!?あんなに大きいタコ、初めて見たんだな!?」

なるほどタコだ。
でっかいタコの、丸い頭が、丸い下水道にぴったりフィット。それが栓になって、水の流れがつまってる。

「い、生きてるのかしら…?」
メグちゃんがごくりとのどを鳴らして後ずさった。
「し、死んでたらえらいことですよ…」
あたしもつられて後ずさる。
「死んだ魚の、腐った臭い…こんなところでトンネルいっぱいのタコが腐乱したら、そりゃもうものすごいことに…」
「いや〜!ニューヨーク、大ピンチすぎる!!」

シュウがかっと目を見開いた。
「シロン、カムバック!リボーン!」
「え、早っ!!」
あたしは、思わずのけぞった。
ねずっちょがしゅるっとタリスポッドの中に収まり、ソウルドールの形が青く光った後、渦巻く風が一気に吹き上がる。
レジェンズ関係ない用事だと、リボーンは割とお気軽に行われるのですね。
「つまってるんだろ?だったら、引っこ抜かなきゃだろ!?だったらここは、でかっちょの出番さぁ〜!」
シュウがてきぱき説明してくれる。
「えーっ。それは、そうだね…!?でも、シロンさんのそーゆー使い方、ありなんだ…!?」

「ねーよ。ったく」
腕組みしながら現れたシロンさんは微妙な顔をしていた。
青い瞳をじろりと動かし、あたしを一瞥する。
「…ひとつ言っていいか」
「…どうぞ」

シロンさんは干上がった水路の方に降りていくと、体をかがめて何かを拾った。
「これ、なーんだ」

タリスポッドだ。
おもちゃがいっぱい出回ってるし、タリスパッドなんて類似品もある。誰かが落としたおもちゃがここまで流れてきていても、おかしくはない。
しかし、辺りが薄暗いせいもあってはっきり判別できないけど、どうもあのタリスポッドは紫色っぽい…
「はっ!!」
ここで突然、あたしはスシパーティーの日のことを思い出した。

「ちょ!そのタリスポッド、もしかして!」
慌ててシロンさんに駆け寄ったが、シロンさんは別に渡してくれるつもりはないらしく、腕を持ち上げ、あたしの動きをひょいっと避ける。
「ちょ…っ、貸して!返して!」
「ほーれ。ほれほれー」
あたしの身長では手が届かない。
「結局喧嘩してるんだな…。シロン、をかまっちゃ、かわいそうなんだな」
「そう、その通り!マックさんもっと言ってやって!がふっ!」

空いている手であたしの脳天をがしっと押さえつけてから、
「これ、あの縦ロールが広がった女のタリスポッドか。落としたって言ってたな?」
と、シロンさんは聞いた。
「そうなんですよ!シロンさん、ウィングトルネードであたしたちやっつけたじゃん!あのとき、途中で落っこっちゃったんです」
シロンさんは奥でつまっているタコに目をやった。
「ってーことはつまり、こいつはレジェンズだ。あのときリボーンしかけてた」
「あ…」

と、そのとき。
つまったタコの頭の周りで窮屈そうにはさまっているタコ足が、ずるりと動いた。
そのうち2本が持ち上がり、なぜかキーボードを奏でる。
ぽろろ〜ん。

「あ」
「動いた!」
「生きてたんだわ!」

全員が凝視する中、
ぽろろ〜ん。
「オレはそう〜。ロンリィ〜〜ソルジャ〜」
タコは歌った。
「その名はぁ〜。ラッパ〜〜キング〜」

「ら、ラッパーキング??」
はまってるインパクトが強すぎて気付かなかったけど、よくよく見たら、このタコ、ひげが生えてる。口ひげとあごひげ。唇にピアスを開けてるし、大き目のサングラスまでかけている。
ソウルドール生まれヒップホップ育ち、って感じのタコだ。
「タコがしゃべったわ…!ていうか、歌った…!!」
メグちゃんが驚いている。
「随分、ゆっくりなラップなんだな…??」
マックさんも驚いている。
「メロウなジャンルの、タコですかね…?」

ぽろろ〜ん。
「イェェ〜イ〜」
ラッパーキングさんがくいっと足を動かして、メグちゃんを指す。
「いかすなぁ〜、お嬢ちゃん。ワッチュアネ〜イム?」
いきなり指名されたメグちゃんは、引きつつ答える。
「め。メグよ…」
「メグちゃんか〜。い〜い名前だねぃ!」
よく分からない食いつきだ。ロリコンなのだろうか。

「ど、どうもありがとう…ところで、ラッパーキングさんはなぜそこにはまっているの?」
好意に乗っかって、メグちゃんがずばり質問した。
「さあなあ〜。なぜだろうなあ〜。もう随分長いこと、こうしてるような気がするぜ〜」
ぽろろ〜ん。
基本、弾くのは同じメロディーの繰り返しなのね。哀愁溢れるワンフレーズ。

「そーんなところにはまられてたら、ニューヨーク中大洪水になっちまうよ!」
大きな声でシュウが抗議しても、
「てぇ、言われても。出られないもんはしかたない〜」
ぽろろ〜ん。
ラッパーキングさんはあくまでマイペースだ。
「いや…出られないなら、もうちょっと焦ろうよ…??」

出口を背にして逆光になった人影が、そのとき、不敵に微笑んだ。
「――そういうことなら、オレに任せな」
野太い声が丸い壁に跳ね返り、朗々と響き渡る。
現れたのはキャスケットを目深にかぶった、がっしりとした体つきのおじさんだ。
「オレに獲れねえ、タコはねえ…」

あたしは息を呑んだ。
「うわぁ、呼んでないのに…、お久しぶりです…」
この人が来ると、大抵話がもっとややこしくなるんだよね…。
「誰だよこいつ!?」
「うーん。前に、どこかで見たことあるんだな…?」
シュウたちが覚えていないようなので、あたしが皆に紹介する。
「ええっとこの人はですね…リチャードさんだったか、ロバートさんだったか…みずがめ座で趣味がベースボールの、ええと、ミスター…」
「スティーブよぉ!」
「そう。ミスター・スティーブ。…今回は多分、タコ獲り名人です」

「あのー。名人さんは、こんなにつまっちゃったタコでも取れるんでしょうか??」
と、メグちゃんが聞いた。
「おうよ!任せな!」
スティーブさんが威勢良く答える。
「俺に獲れねえ、タコはねえ!」

「いや〜よかった!助かるね〜ぃ!」
「いやちょっと待って!取るって言っても、この人の場合はね!」

スティーブさんは、皆を押しのけるようにしてラッパーキングさんの真正面に進み出た。
舌なめずりする。
「こりゃまた食いでがあるぜえ…」

やっぱり。

「これで焼いて!」
じゃきーん。名人が鉄板を構えた。
「これで返して!」
じゃきーん。先のとがったたこ焼きピックがぎらりと光る。
出来上がるたこ焼きを想像したのか、もう一度舌なめずり。

「大変なんだな!食べる気なんだな!」
「ひーーーっ!!」
「この人、いっつも思うんだけどさ!?レジェンズって食べられるのかな!?」

っていうかそうだ。このタコさんはレジェンズなのだった。
だったらこのトラブル、問題なく解決できるではないか。

あたしはきっとシロンさんを見上げた。
「シロンさん!タリスポッドです、早く返して!」
つまってるのを引っこ抜く必要さえない。
レジェンズなんだから、カムバックすればいいのだ。今はこんなに大きいタコだけど、手のひらに乗る大きさのソウルドールになる。
シロンさんにも当然その理屈は分かるはず。
苦い顔になったシロンさんに向かって、あたしは手を突き出し、ぴらぴらさせて催促した。
「ヘイ!返してってば!」
強気に出てみた。
シロンさんが溜息をついてあたしを睨んだ。
「…揉め事はナシだぜ」
「おっけー!」

シロンさんが指を離し、あたしの手のひらにタリスポッドが落とされる。
うん、部長のタリスポッドで間違いない。
スイッチを入れ、タコさんの髭先に突きつけ、あたしは叫んだ。
「カンバック!!ラッパーキーング!」

「イェェェ〜〜イ…」
ぽろろ〜ん。

あたしの叫びに合わせてタコさんがキーボードを奏で、哀愁っぽいジングルが鳴った。
いかにも滑った効果音。
しばらく待っても、何も起こらない。

「あっれ〜?おかしいな…」
タリスポッドを掲げたまま、あたしは首を傾げた。
「カンバック!カム、バーーック!!」
「イェェェ〜〜イ…!!」
ぽろろろ〜ん。
そのたびにタコさんが合いの手のメロディーを入れてくれるんだけど、求めているのはそういうリアクションじゃないんだよね。

シュウがばっさりと斬って捨てた。
「…、なーんだよ!全然カムバックしないじゃん!」
メグちゃんが眉をひそめる。
「壊れてるんじゃないの、それ?」
「そ。そうかもしれないです。落っことしちゃったし。……」
水にも濡れたし。
壊れちゃってるんだったら、カムバックできなくて当然だ。そしてあたしは、こんな風に考えたことが前にもあった。

――『さんには無理だったと言うのは、つまり、そういうことだったのでしょう。』

あたしは腕を下ろして考え込んだ。
「メグちゃん、あのさ…。ちょっと、メグちゃんがカムバックやってみてくれない?」
「はあ?」
「何て言うか、もしかしたらあたし、こういうの不得意なのかも…」
「こんなことに不得意とかあるの?ていうかやだ、ドブ臭い!こっちに寄こさないでよ!」
メグちゃんがぶんぶん腕を振って受け取りを拒否する。
そんなあたしたちの前に、スティーブさんがぐいっと体を割り込ます。
「なんでい!!邪魔立てする気かい!!」

この緊迫の状況の中、ラッパーキングさんはというと。
「流れる雲に〜聞いても無駄さ〜」
ぐんにゃりとタコ足を投げ出して歌っていた。
「海を越え〜。山を越えぇ〜」
トラブルの当人なのに、一番呑気そうです。

「ちょっと…アンタの会社の人でしょ、何とかしなさいよ!そもそもラッパーキングさん、アンタの会社のレジェンズじゃない!」
「分かってるよ!待って、ちょっと…ええと」
スティーブさんの雄叫び、ラッパーキングさんの歌、メグちゃんの怒る声。
全部が混ざって、トンネルの中にわんわん響く。
あたしは耳を押さえながら部長の携帯に電話した。
「もしもしBB部長?です!あの!こないだの休日出勤のとき、なくしたタリスポッドって――」




トンネルの反対側の天井で、がこがことマンホールをずらす音がした。
がこん。フタが開く。明るい外の光が差し込んで、その部分だけ光の筋を作る。
BB部長とJJさんは、一列になって梯子を降り、水路を挟んであたしたちと向かい合うスペースに到着した。
「よくやったわ、!!」
「おーっす、新人」
「こないだぶりー」

切ったばかりの電話を手に持ったまま、あたしは目を丸くした。
「早っ!」

「ふっふっふ。ちょうど近くにいたところだったのよ」
部長が意味もなく胸を張った。
「ボーナス。かかってますからね」
「ね」
JJさんたちもやる気に満ちた顔をしている。
それから自分たちの右側でつまっているものに気がついて、
「うわっ、タコ!?」
「でかっ!」
「キモ…」
3人は揃って仰天した。
「…このタコさんが、こないだリボーンしかけてたレジェンズなんじゃないかって。シロンさんが」
「…イェェ〜〜イ」
ぽろろーん。

「これが、究極のレジェンズ『メイズオクトパス』…」
部長が微妙な目つきになった。
「タコだったの??」
「そりゃあ、名前からしてタコですし…思いっきり」
「そんなこと言われたって。英語じゃ分かんないわよ」
うーんちょっと部長の気持ちも分かる。
このタコさん、大きいには大きいけど、究極って言うほど強そうじゃないのだ。ぐんにゃりしてて。

「まあいいわ!シュウゾウ・マツタニもいるとは一石二鳥!!やっておしまい、究極のレジェンズ『メイズオクトパス』!」
こっちを指さしながら部長が叫ぶ。
メグちゃんがそれに切れる。
「だーかーらー!!その究極のレジェンズラッパーキングさん、はまっちゃって動けないんだって!」

喧々諤々と会話が繰り広げられる中、ラッパーキングさんはというと。
相変わらずぴっちりと下水道にはまったまま。長い足をだらりと垂らし。
「オウ、イェェ〜…」
ぐんにゃりと宙を見ていた。
元気のない様子に気付いて、マックが声を上げた。
「ラッパーキングさん、何だかぐったりしてきたんだな!」
ぽろろーん。
「あ〜〜。な〜んか渇いてきちゃったなあ〜。おでこの辺りが、さ〜」
ラッパーキングさんが自分の眉間を足先でつんつんして訴える。
なるほど。自分の体で水がせきとまってるせいで、体のこっち側が水に浸れないでいるんですね。

ばしゃー。
スティーブさんがタコの顔面に勢いよく水をぶちまけた。
「なんてえ、世話の焼けるタコでえ!」
と、スティーブさんは頼もしく言った。

ちょっと見にはナイスアシスト、な行動なんだけど、この人は我が道を行くタコ獲り名人な訳で。
少し遅れて、つーんと鼻につく匂いがそこら中に立ち込める。
「この臭いは…お酢??」
スティーブさんがドヤ顏になった。
「こーやって身をきゅっ!と引き締めるんでい!」
引き締めるのは賛成だけど。
スティーブさんのは、違う気がする。
ラッパーキングさんが身悶える。
「んん〜…引き締まる…ぴりぴりするぅ〜」

「なるほど…酢ダコか」
「ってやっぱり食べることしか考えてないー!!」
「新人さあ!どーしてこの人呼んじゃったの!?」
「違うもん!あたしは呼んでないもん!」

部長がつかつかとスティーブさんに近づき、手からバケツをひったくる。
「究極のレジェンズ!食われてたまるもんですか!J1、J2!そこのでかいの!こいつを押さえて!」
「うぃーす」
「何でい!邪魔だてする気かい!!」
荒ぶるスティーブさんの前にシロンさんが立ちはだかって行く手をふさぎ、JJさんが左右から挟むようにして動きを止めた。今、どさくさにまぎれてシロンさんにまで命令してたような。

「水をかけなきゃ!さあ!バケツリレーよ!」
あたしたちは出口まで一列に並んだ。
部長がイーストリバーの水にバケツを浸し、J1さんに渡す。
J1さんがJ2さんに。
J2さんがあたしに。
「はい」
「ほい」
「はい」
あたしはマックに、マックはシュウに、シュウはメグちゃんに。
水の入ったバケツを回す。
高い位置から水をかけられるように、アンカーはシロンさん。
「なーんだかなあ。…」
ぱちゃん。
頭の上から水を浴びせかけてもらったタコさんは、満足げにシンセを鳴らす。
ぽろろ〜ん。
「あああ〜。生き返る、ね〜ぃ」
「よかった、ラッパーキングさん」
「いえええ〜ぃ。友情パワーだ、ね〜ぃ」

あたしにバケツをリレーしながら、J2さんが呟いた。
「うわあ、ちょっと、イラッとくるぅ…」
「分かります。なんつーかこの人、ノリが他人事なんですよねえ…」
「我慢だ、J2!ボーナス!ボーナス!」

メグちゃんが心配顔でラッパーキングさんを見上げた。
「だけどこれだって一時しのぎよ。ねえ、何とかそこから抜けられないの?」
「困ったもんだよ〜。るるりるら〜」
タコさんは歌っているだけだ。
メグちゃんは、今度はシロンさんを見上げて、頼んだ。
「シロン!ちょっとラッパーキングさんの足、引っ張ってみてあげて!」
「しょーがねえなあ。…うわ。これ、ぬるぬるすっわ…」
ぶつくさ言いながら、シロンさんが足の一本、根元近くを両腕でかかえ、
「ふん!」
全身の体重を乗せて引っ張った。
勢い余ってずるりと滑る。
「おっ!」
「あっ?」
「ちょっと動いた…?」

「よし!私たちもやるわよ!」
部長が号令をかけ、
「タコめし?タコわさ?タコきゅうり?」
「いいからスティーブさんも手伝ってくださいよ!」
スティーブさんをあしらいつつ、あたしたちもてんでにタコの足に取り付いた。
皆で引っ張る。

「いえええ〜い…」
ぽろろ〜ん。
ラッパーキングさんがシンセで歌う。
「無理なもんは、無理なのさ〜」

「無理って決め付けないで、ラッパーキングさん。皆あなたのために頑張ってくれてるのよ」
と、メグちゃんが言った。
「メグちゃんよ〜」
ぽろろ〜ん。
ラッパーキングさんがゆるゆる歌う。
「夢砕くようで悪いけど〜。頑張ればうまく行くとか〜努力は必ず報われるとか〜。そーゆーのは無理であ〜って。現実じゃないのよ〜〜」

「ノンキに歌ってる暇あったら出ようとしろよ、タコー!!」
「むきーっ!スティーブ!!もうこいつタコ焼きにしておしまい!」
部長もシュウもキリキリしてる。
「落ち着いてください、部長!ボーナスが!」
「今はナスじゃねえ!タコだ!」

究極のレジェンズのくせに、何て気性のぐんにゃりしたタコなのだろう。
でも、――それだってきっと、本当のことだ。

皆が皆、物語の主人公みたいなことができるわけじゃない。
頑張ったって、どうにもならないこともある。
「ちょっと分かるよ。ラッパーキングさん…」
あたしだけ、手が止まった。
「どうしていいか全然分かんない…。だって…、きっと絶対、どうにもならない…、……」

「ふざけんなーっ!!」
ばしっ。
メグちゃんの怒鳴り声に、あたしは我に返って顔を上げた。
ラッパーキングさんの顔面にメグチョップが炸裂してた。
ぴし。
激しいツッコミで、ラッパーキングさんのかけていたグラサンにヒビが入る。

「そ〜ゆ〜セリフはほんとに努力してからにしなさいよ…!」
メグちゃんは下を向いている。垂らされた手は固く握りしめられ、わなわなと震えている。
「やってもみないでうだうだうだうだ…そんなのただの言い訳じゃないっ!!」
最後はほとんど絶叫して、メグちゃんは言い切った。
容赦ない叫びが、トンネル中にきーんと響いた。
ずん。
タコさんのサングラスが、真ん中から折れて地面に落ちた。
ラッパーキングさん。
素顔は3の字みたいな目。ちょっと面白顔。

少しの間、辺りは静まり返った。

ラッパーキングさんは爽やかに言った。
「……。メグちゃんがそう言うなら、いっちょ頑張ってみるかぁ!」

何その突然の方針転換。
「早!」
「それに軽っ!」
「なーにメグの言うこと聞いてんだよ、タコ助!」
「でも、良かったんだな!ラッパーキングさん、頑張るんだな!」

「ほいじゃーいっちょいくぜぇー!」
ラッパーキングさんはじりじり足を動かし、小刻みに体を揺らして、つまっている胴体部分のポジションをずらそうと頑張り始めた。
つるんとした丸い眉間にシワが寄る。
「頑張れ、頑張れー」
「オーエス!オーエス!」
「ボーナス!ボーナス!」
あたしたちは声を合わせて応援した。

「あーと一歩!あーと一歩!」
「ふん!!」
タコさんがいきんだ。

きゅぽっ
べちーん。
「ぎゃーー!!」
ラッパーキングさんが飛んだ。
すっぽ抜けた体は、前方のあたしたちを弾き飛ばしながら、勢いよく宙に舞った。
どっと吹き出す水に押されて。
「うわーーーーーーー」
「出たぁーーーーーー」
つまりにつまって、逆流し、地上に溢れ返るほどだった下水が、出口を見つけて一気に吹き出してくる。
トンネルは一瞬で天井まで水に埋まった。

濁流に流され、ぐるぐる回って、気付いたときにはトンネルを出てイーストリバーに流れ出ていた。
もがいて何とか水面に出る。
それほど離れていない波間に、マックの上半身が見えた。
隣まで泳いでいって、お互いの体につかまる。
「マックさん、大丈夫!?」
「僕は平気なんだな。メグは?メグ、足の付かないところは泳げないんだな!」
「大変!」

水面が割れて、タコさんの丸い頭がにゅっと突き出た。滑るように岸に泳ぎ寄る。
伸ばした足の一本が、流されないよう、メグをしっかり捕まえているのが見えた。
持ち上げてそっと岸に乗せる。
メグちゃんはびっくりした顔でお礼を言った。
「ありがとう、ラッパーキングさん」

「礼を言うのは俺の方さ、メグさんよ」
ラッパーキングさんがはにかんだ。
「お前さんは軟体レジェンズの俺の辞書に、頑張るとか努力とか根性とか一生懸命とか〜?そんな言葉を書き込んでくれたさ…。俺らしくはないけど…悪くない気分だぜ〜」
「ラッパーキングさん…」
「あんまり見るなよ〜。照れるじゃないか…」
何だかいい雰囲気。

ばさっ。
「マック、大丈夫か?」
頭上からシロンさんの声が降ってきた。
既に拾い上げられたシュウが、シロンさんの小脇に抱えられている。
手袋をはめた大きな手がマックさんに差し伸べられ、
「……。ま、ついでか。掴まれ」
それで両手がふさがったシロンさんは、あたしに尻尾を差し出した。

「ありがとうございます、シロンさん」
「……。俺らって、こーゆーことやってる場合かね??」
「……。さあ」

ぺしっ。
岸まで連れて行ってもらったところで尻尾は振り解かれ、
「てっ」
すっ転ぶあたしの横で、部長とJJさんが泳いで岸に上がってきた。
いつの間にやら現れた総務さんが、名人に声をかける。
「スティーブさーん。お時間ですよー」
「お、もう時間か!総務に言われちゃーしょうがねえな!」
スティーブさんが颯爽と撤収していく。

J1さんが空を仰いだ。
「よく分かんないけど、良かった良かった…」
「ニューヨークの危機は救われた…」
J2さんがしみじみ続ける。BB部長が更に付け足す。
「ボーナスカットの危機もね!」

ラッパーキングさんは、今はイーストリバーの波にぽちゃぽちゃ揺られている。丸い頭が、浮いたり沈んだりしている。
好みのタイプの女の子に叱られて頑張った…、のかな。
それとも、ラッパーキングさんは水のレジェンズだから。これは、メグちゃんが水のサーガである証拠――
「さて!」
はしっ。
部長があたしの手からタリスポッドを奪い取った。
元気よく、高らかに。
「さあ、メイズオクトパス!あのシュウゾウ・マツタニのタリスポッドを奪うのよ!」

一瞬ぽかんとしてから、あたしは抗議した。
「えーっ。今から!?」
「ええ、今からよ!究極のレジェンズのリボーン!どんだけ待たされたと思ってるの!」
「それはそうだけど…」

「え〜!?そいつが俺の仕事なのかい?じゃー奪うぜ!」
しかも、これまでゆるゆるだったラッパーキングさんが俄然やる気だし。メグちゃんのおかげだね。
岸辺に立つシュウに素早く泳ぎ寄り、触手を伸ばす。
シロンさんが翼を広げて立ち塞がった。
「おいおい、ふざけんなよ…。散々お前に協力してやったってのに」
「申し訳ないが、仕事は仕事なんでね〜」
じゃきん。ラッパーキングさんがサングラスをかけ直す。

「やっておしまいなさい!メイズオクトパス!」
ぶしゅー。
ラッパーキングさんが墨を吹いた。
「ぶわ!」
顔に直撃。シロンさんが空中でよろめいた。
体の大きいタコだから、墨の量半端ない。
「うわーー!シロンがクロンになったー!!」
「強い!強いじゃないの、メイズオクトパス!」
「さすが究極のレジェンズ!!」

ぽた。
ぽた。
全身べっとり汚れて、真っ黒。
体中からタコ墨をしたたらせながら、シロンさんが口を開く。
「…言ったはずだよな。揉め事はナシだ、と」

「あっ」
あたしは目を見開いた。
ノリで返事して、忘れてた。
「えーっと、えーっと、ごめんなさい、つい…。だって部長に言う暇なかったし…」
シロンさんはあたしを見下ろし、しみじみ頷いた。
「おっけー。ウィングー」

ばさっ。
翼がひときわ大きく広がる。風の音が強くなる。

「トルネーーードッ!!」


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