第8章−6


ダークウィズカンパニー、いつものオフィス。

始業までまだ少し時間がある。
部長の姿が見当たらない。デスクに荷物が置いてあるから、もう出社はしてて、社長のところに命令をもらいに行ってるんだろう。JJさんたちはソファでお喋りに夢中で、部屋の反対側では、猫ちゃんが我が物顔でPC前に座って何やらカチカチやっている。
このだらだらした空気。
ドクター・Qの研究室を覗いた後だと、ほっとするね。
「おはようございまーす」

「おはよー、新人」
「おはよー。…あれ?それ、持って帰ったんじゃなかったの?」
「えへへ。ちょっと、用事がありまして」
JJさんの追及をかわしつつ、あたしは猫ちゃんの机に歩いていって声をかける。
「博士。見てもらいたいもの、持って来ました」
「ああ。ワタシに相談があったんでしたっけ」
あたしは頷き、持ってきた金属板を、ごとりと机の上に乗せた。

コンラッド博士はマウスを弄る手を止めて、しげしげとそれを眺める。
「…………。何コレ?」

直球で聞かれた。
説明に困った。
こうして目の前にあるモノ自体は、単なる金色の板きれだ。
中途半端にもてあます大きさの。微妙にカーブがかった。
「カネルド・ウインドラゴンの装備品なんです。こう、首の下の飾りのとこの…板の一個が外れた感じの」
「ははあ。にゃるほど」
猫ちゃんは眼鏡をきらりと光らせてあたしを見た。
「分かりました。さてはアナタ、レジェンズアイテムのコレクターですね」
「違うよ」

あたしはちょっと息を吸い込んだ。
「博士なら軽い気持ちで聞いてくれると信じてお話しますが。これは、この先起こるレジェンズウォーのときに、レジェンズキングダムで拾った物なのです」
「……。この先起こる?」
「そうです。元々あたしは、螺旋の世界の外から来たから…って、呼んだ人たちが言ってたから。スピリチャルレジェンズクラブっていう光のレジェンズたちに呼ばれて、レジェンズキングダムに行ったのです。この板は、その時拾いました。…」
これダンディーに話してたら、何て言ったかな。
ダンディーが会社に残ってくれていたらなあ、と今更思った。
コンラッド博士は、オッドアイの目を見開いてあたしの顔を見つめている。

それから、にやりと表情を崩した。
「またまた、ご冗談を〜」
猫ちゃんは笑いながらにゃんにゃんと手を振った。
「アナタ、昨日は『道』の話にめちゃくちゃ驚いてたじゃないですか。『そんなまさか』って言ってましたよ。螺旋の外から来たのに?」
「き…気にするところはそこなんですか。まあいいけど…」

そういう人だと見込んだからこそ、あたしも相談しているわけで。
「仮定の話でいいんです。意見が聞きたいだけだから。これがただの板切れではなく、螺旋の運命に関わる重大な何かであるとして」
それはそれ、これはこれ。と、ジャスチャーしながら説明すると、猫ちゃんは了解したようにこくりと頷いた。
つまり、異端の学説の可能性を考えるときと同じように、博士にとっては思考のシミュレーションだ。
「なるほど。そう仮定するとしまして。…で?」
コンラッド博士はさばさばと話を合わせてくれる。

「つまり、これは、とても大事な…」
金色の表面に指で触れながら、あたしはしばらく言葉を探した。
これはウインドラゴンの胸飾りだけど、これを見るとき、あたしはいつもシュウのことを思い出す。
――ありがと、おねーさん!!拾ってくれてありがと!
周りのことも目に入らずに、板切れ目指して真っ直ぐこっちに走ってきた。あのレジェンズウォーのドンドンドン詰まりのステージで、それでもシュウは何かをしようとしていた。
シュウの信じたように、シュウの手が触れた瞬間、強い光を放ってねずっちょに変わって――

これは、希望になるはずだったもの。
届けることはできなかった。

「あの未来にあった、ウインドラゴンの心…だと思う」
と、あたしは言った。
にべもなく博士が否定した。
「レジェンズに心なんかありませんよ。人間じゃないんだから」

とんでもない方向からすごいパンチが来た。
あたしは思わずのけぞった。
というか、あたしは今ものすごく重大な秘密を告白しているというのに、何で猫ちゃんじゃなくあたしが驚く側なのか。
「心がない…!?ないって、ないの!?博士もっ!?」
コンラッド博士が爽やかに答える。
「当然です」

いや当然じゃないよ。初めて聞いた。
衝撃的にもほどがある。
「……。えーと、えーと、ちょっと待ってください」
ここ最近の展開には付いて行けないものを感じる。
びっくりしすぎて、何を相談しようとしていたか忘れそうになった。
ふらふらしながら頭を抱える。
そのまま思考が停止しかける、ギリギリのところで、あたしはカネっちょさんが言っていたことを思い出した。
「で…、どっ…、でも。ハートのピースだって言ってましたよ。ハートって、心でしょ?」
「ハートなら、心臓でしょ。レジェンズに心はありませんからね」
「心臓…」

あたしとコンラッド博士は、二人でしばらく机の上を眺めた。
「…心臓のピースには、どうも見えませんねえ」
と、猫ちゃんが言った。
「…でしょ?だからこれはね、ウインドラゴンの心なんですよ」
「うへぇ」
猫ちゃんは面白くなさそうな相槌を打った。
「それでね、コレを『片付けろ』って言われてるんです。博士だったら、どうします?どこに片付けたらいいと思う?」
「ふーむ。心…心ねえ…」
納得いかなそうな顔のまま、コンラッド博士は、眼鏡を押し上げながら板切れに鼻面を近づけた。
ちょっと持ち上げてみたり、肉球の手のひらでぺちぺち叩いて感触を確かめてみたりする。
「ないと思いますけどねえ。あるはずもないものの――と、言うと…」

「ふむ!」
確信を得たようにひとつ頷き、くるっとあたしに顔を向けた。
「片付けるなら――燃えないゴミですニャ!」

ダメだこの人。まるで使えねー。

「いや、違うんです。捨てたらダメらしいんですよ!捨てる以外の片付け方、何かないんですか?」
あたしが言うと、猫ちゃんは不満げな顔をした。
「何です、理不尽な」
「だ、だよねー…。あたしもそう思ったんだけど…」
あたしもカネっちょさんに抗議してればよかった。あの人、シュールすぎるんだもん。
コンラッド博士は肩をそびやかすと、さくさくと代案を出してくる。
「捨てちゃいけないんだったら、ウインドラゴンに返してくるんですね。ウインドラゴンの物なんでしょ?」

それは博士を頼ったかいのない、まるで知性を感じない意見で。
子供みたいにシンプルな思い付きに聞こえた。
「!!」
しかし逆に、その発想はなかった。

両手で板を持ち上げ、改めてまじまじと眺めてみた。
「そっ、そんな簡単なことでいいんですかね?だってこれ、未来の…」
「だって。それで片付くでしょ」

あの未来で、ウインドラゴンに届けることができなかった。
ここにあるのは、こっちで届けろってことなんだろうか。筋は通っているような気がする。
「じゃあ、シロンさんに渡せばいいんだ!?任務でちょくちょく会うんだし、それなら簡単、…」
言いながらシロンさんの顔が思い浮かんで、
「……、でもないような…」
出かけたやる気がしぼんだ。
金属板を持ち上げる手をしょんぼり下ろして、あたしはそのままうつむいた。

博士が怪訝そうに突っ込んだ。
「…なぜ黙るんです」
あたしは小さな声で言った。
「う…………。ウインドラゴンって、ちょっと苦手で」

シロンさんが苦手っていうか。
ウィング・トルネードが苦手っていうか。
はたかれたり、つままれたりするし。
「何ですか。大層な話をしてたくせに、いきなり子供みたいなことを」
「そんなこと言ったってだって!博士はウィングトルネードを食らったことはありますか!?あれ、おっかないんですよ!」




色々言いたかったけど、そこでBB部長がオフィスに戻ってきた。
始業の時間だ。話は一旦止めにして、あたしは金属板をその辺に片付けた。

「何だかねえ。そんなに簡単に正体が割れたんなら、さっさと捕まえて来いって言われちゃったわ」
と、部長は言った。
「正体って、昨日調べた侵入者の件ですか」
「シュウゾウ・マツタニの学校の先生だったっていう」
「そう。なので今日は、引き続き正体の判明した侵入者を確保!危険な情報を手に入れていないかどうか尋問でーす」

話がいかにも悪っぽい雲行きになってきたので、あたしは溜息が出そうになった。
シュウを狙わなくても済む、せっかくの別任務だったのに。結局、物騒なことをやらされるみたいだ。
「さっ、今からターゲットの捕獲に向かうわよ!」
部長が張り切って号令をかけ…あたしの隣で、コンラッド博士が気乗りしなそうに欠伸した。
「いやぁ。ワタシはそういう、腕ずくでどうこう…ってのは、どうもねえ〜」
そういえば博士は肉体労働が嫌いなのだった。
部長がむっとした顔になったが、博士は余裕の表情だ。
「…焦って動くまでもないでしょう。便箋と封筒はありますか?」

全くだ。焦って動かないに越したことはないよ。
さすが賢い猫。基本頼りにならないようでいて、時々やっぱり頼もしい。
猫ちゃんが勿体ぶってデスクに向かう。
横から覗き込みながら、あたしは聞いた。
「何かいい作戦があるんですか?」
「ええ。昨日の映像から推測するに、彼女は熱狂的なレジェンズマニア。レジェンズについて少しでも多くのことを知りたいと思っていて、そのためならば危険を顧みずDWCに潜入するほどの情熱の持ち主です」
コンラッド博士はペンを手に取り、ちょっと考え込んだ後、さらさらと次のような文章をしたためた。

[突然のお手紙失礼します。私は長年レジェンズを研究している者です。
よろしかったらお茶でも飲みながらレジェンズについて語り合い、お互いの知識を深めませんか?
下記の住所で、お待ちしております。  ドクター・コンラッド]

「…と、このように」
書き終わったところで、コンラッド博士はぺしぺしと手紙をたたみ、封筒を舐めて糊付けした。
「レジェンズの研究者を装って、彼女をおびきよせるんです」
「なるほど」
猫ちゃんが封筒を差し出し、部長が受け取る。
受け取りながらにやりと悪の笑いを浮かべた。
「これを読ませれば、獲物は自分から網に入ってくるってわけね。情報を聞きだすのも簡単になると」
猫ちゃんは目を細くしてやはり意味深な笑いで答えた。
「…にゃん」

「…………」
これはこれで、ものすごく悪っぽい展開のような気がする。
まあでも、暴力的なことにならなくてよかった。

こっそり息をついていたら、部長がその封筒をあたしの鼻先に突き出した。
「――
「?はい」
首をすくめて避ける。
部長がぐいっとこっちににじり寄ってきた。
「何避けてるの!これは、あなたに頼むのよ!」
「どっ、どーしてですか!?」
「シュウゾウ・マツタニの学校の先生なんでしょ?あなたが通りすがりの小学生を装って校内に潜入し、職員室にこれを置いていらっしゃい」

ぐるりと部屋のメンバーを見渡して、J1さんが呟いた。
「…うん。そういうことなら、新人の出番でしょうね」
「だね。俺らじゃ目立つし」
J2さんも頷く。
なるほど。見た目の問題か。
校内で不審者っぽく思われないためには、確かにあたしが一番適任かもしれない。
「だけどいくらあたしだって、小学生を名乗るのはきついですよ!色々!」
「だ〜いじょうぶよ。アメリカの小学生は大きいのよ!」
「そんな適当なことを…」

「私たちも今度、潜入用の衣装を用意しておくから。今回は一人で頑張ってちょうだい」
と、部長が言ったので、急に反論の言葉が思いつかなくなった。
衣装があったらやるつもりなんだろうか、部長が。小学生のフリ。
「…………、……」
己の小ささを恥じる気持ちが沸き起こった。
部長の覚悟に比べたら、あたしがちょっと校内に行って来るくらい、全然どうってことはない。
「わ…分かりました。小学生のフリって言うか…要は、見つからないよう紛れ込めればいいんですよね?」

覚悟を決めて封筒を受け取る。それから、別のことにも気がついた。
――シュウがねずっちょを学校に連れて来ているかもしれない。
その場合はつまり。

「どうしたの。やっぱり一人じゃ心細い?」
「いえ!そんなことはないです。ただちょっと、…」

つまり。
さっきの今で、ウインドラゴンに会える…しかもあたし一人で会えるチャンスが、巡って来たということになる。
手紙を置いた帰りに、シュウに声をかけてみたら。
渡す板も持ってきてる。
こんなに色々都合のいいタイミングってあるだろうか。
「苦手とか…言ってる場合じゃない、のかも…」
会って話そう。
そして、ウインドラゴンの胸飾りをウインドラゴンに返すんだ。

思えばこっちに来てから今まで、あたしはシロンさんとまともに話をしたことがないのだった。
話してみたら、何かが変わるだろうか。
シロンさんにあの未来のことを話したら。あの時届けられなかった大事な物を、今、渡せたら。
何を変えることができるのだろう。

急すぎて変な汗が出てきた。
「な、何だかドキドキしてきました…」
「だからだ〜いじょうぶよ。アメリカの小学生は大きいのよ!」
部長がもう一度適当なことを言った。

うん。
とりあえずウィングトルネードを食らわないように頑張る。


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