第8章−7


ブルックリン101小学校、敷地前。
手紙をポケットにしまい、ウインドラゴンの金の胸飾りをしっかりと腕に抱える。
「じゃっ、行ってきまーす!」
「…ちょっと待て、新人」
ガラッとバンのドアを開け、外に滑り出ようとしたところで、J2さんが後ろからあたしの腕を引っ張った。
「えーと。何でその板持ってこうとしてんの?」
冷静な突込みが入った。気付かないでいてくれたらよかったのに。
「あ、これはですね…ちょっと、帰りに用事があって…」
あたしは金属板を背中の方に隠しながら言い訳を試みる。
助手席の部長が怖い顔で振り向いた。
「用事?用事って、何よ」
「……………」
答えられなくて固まっていると、J2さんがさっさとあたしの手から金属板を取り上げる。
「忍び込むのに、目立つだろ?預かっとくわ」

計画がいきなり挫折した。

あたしにとっては大事な用事でも、レジェンズ班にとっての本題は職員室に目立たないよう忍び込み、罠の手紙を置いてくることだ。あたしの都合が仕事の邪魔になってはいけないのだった。
あたしはしょんぼりしながら部長にお伺いを立てる。
「……。任務が終わった後だったら、それ返してもらって、あたしの用事を済ませてもいいですか…?」
「まあね。終わったらね」
「どうでもいいから、早く済ませて来いよー」
ごんごんごごん。J2さんが金属板を膝に乗せ、ぼこぼこ叩いてリズムを取りはじめた。
「そっ、それは大事なものなんですからね!罰当たりなことしないでくださいね!行ってきます!」

指差して何度も念を押してから車を出たが、不安が残る。
あまりJJさんたちを待たせると、あれ使ってフリスビーとか始めそうだ。早いとこ手紙を片付けてこよう。



授業時間中に校内を歩いていると、教室内から目撃されて逆に目立つかもしれない。そしてアメリカの小学生は大きい。
ということで、校内に侵入するのは玄関周りに人気のない授業時間中、その終了間際。侵入してから物陰でちょっと時間を潰した。程なくけたたましい音でベルが鳴って休み時間になり、廊下が生徒でがやがやし始める。そうなってから何食わぬ顔で子供たちに紛れて廊下を歩き、職員室に辿り着く。
「ハルカ先生の机ってどこですかー?」
「ハルカ先生なら、そっちの席だよー」
『伝説の生物の謎』。『レジェンズの歴史』。机には見るからに学校の授業と関係なさそうな本が積み上がっている。ここで間違いないな。すぐに気付いてもらえるよう、てっぺんの本の上にコンラッド博士の手紙を置いて、あたしは速やかに職員室を後にした。

こんな時じゃなければ相当緊張する任務だけど、そっちのことまで心配する余裕がなかったせいか、あっさり片付けることができた。
上手く行き過ぎて、逆に嫌な予感がするくらいだ。
あたしのやることが最後まで上手く行ったことってあっただろうか。大抵途中で何かしら失敗している気がする。
肝心なのはここからだ。
職員室の外の廊下で、用心深くあたしは考えた。
「ええと、休み時間のうちにシュウ探さなきゃだよね…でも、車に戻って板取ってこなきゃだから…」

「おっ、したっちょ?」

「うわっ」
陽気に声をかけられて振り向くと、いきなりシュウがいた。
思わず硬直する。
えーとえーとどうしよう。
戸惑うあたしを気にする様子もなく、シュウは体をくねくねさせている。
「何やってんの、こんなとこで〜」
相変わらず相手が誰でもフレンドリー。へらりとした笑顔に釣られて、あたしの緊張も緩んだ。
きっと大丈夫だ。
今日は別に、悪いことしに来たわけじゃないんだし。
「え、えへへ。こんにちはぁ。…シロンさんって今、一緒?」
「んー?いるけど〜」
「ンガガ!?」
シュウがベルトに吊り下げたタリスポッド入れから、ねずっちょをつまみ出して見せてくれる。

「よ…よし。いい感じ。ちょっとちょっとこっち来て、シュウ!」
あたしはシュウを手招きして廊下の角を曲がり、人目につかなそうな場所を窺った。
『社会科準備室』の札が下がったドアがある。覗いてみたら誰もいなかったので、そのまま中へ滑り込む。
教室の半分もない大きさの部屋に、丸めた地図や地球儀なんかが置いてある。
「…あたし、シロンさんに大事な話があるんです。ここでリボーンをお願いできますか?」
「んー?いいけど〜」
シュウは事情も聞かずに即答すると、白いタリスポッドを掲げた。
「シロン!カムバック、リボーン!」

ここまでの至近距離でウインドラゴンのリボーンを見るのは初めてだ。
巻き起こった風がぐるりと部屋を一周し、木の窓枠がガタガタ揺れた。
手を伸ばせば触れそうな近さで、青白く輝きながらシロンさんの形が現れ、体を伸ばして羽を広げる…途中で、天井につっかえて首が曲がる。
しゅうっと風が収まって、気が付けば、うずくまるような体勢になったシロンさんがあたしとシュウを見下ろしていた。
「…狭いな」

小さな社会科準備室が、シロンさん一人で半分以上塞がった。屋内で見るとほんとに大きな人だ。
…迫力満点。
今日は、別に悪いことをしに来たわけじゃないんだけど。
だからきっと大丈夫だと思うんだけど、だけど。
アンビバレンツな感情に包まれて、あたしは思わず後ずさった。
シロンさんはぐいっとこっちに顔を近づけ、やけに含みのある口調で挨拶してきた。
「よーう。この間はどーうもー?」

「えっ。こちらこそ、どうも…ごちそうさまでした…」
そこはかとなく嫌味っぽい声と仕草は、そのままあたしに、あのラーメン屋の空気を思い出させる。
あたしは穴の開くほどシロンさんを見つめてみてから、聞いた。
「じゃあ、この間のアレはやっぱりシロンさんだったんですか…!?一体全体、何がどうなってあんな副業やってんの??」
シロンさんが冷たい目になった。
「はぁ?」

あれ。
あたしの話に、心当たりがないっぽい。

とするとシロンさんの言う「この間」はラーメンの件ではなく、その前にあたしたちが会ったときのことであって、つまり。
がしっ。
シロンさんの大きな手が、あたしの頭を上からわしづかみにした。
そのままぐりぐりと頭を撫でられる…と、表現するとちょっと語弊がありそうな、嫌な感じの圧力がかかる。
「何だよ、もう忘れちまったのか?『よっしゃ弱ってる!ダンディー、チャーーンスッ!!』ってな。…ノリノリで背中っから止めを刺そうとしてくれたよなあ。この、俺に
「そ。そういえば、そうでしたぁ…!」

ぐりんぐりん頭を動かされながら、あたしは改めて訳が分からなくなった。
カネっちょさんのこと。シロンさんが覚えていないってことは、やっぱりあれはシロンさんとは全然別の人なのか。
けど、だったらあれは、一体誰?

ふっとシロンさんの手が離れる。
シロンさんはシュウに顔を向けて告げた。
「――コイツと話がある。お前は外に出てろ」

「ええー!?何でだよー!?」
シュウの口が一気にとんがった。
「いーーじゃん、俺にも聞かせろよー!俺がお前を運んでやったんだし、リボーンしてやったんじゃねーかよー!言うなら俺はご主人サマだよね、ご主人サマの権利ってもんがあるよね、なっ、したっちょ?」
「えっ!?え、ええと」
けたたましくまくし立てながら、シュウはいきなりあたしに話を振る。風属性ってフリーダム。
「…ごめん、シュウ。シロンさんの言う通り、外に出ててくれないかな?」

レジェンズウォーの話をシュウには聞かせたくない気がした。
シュウは誰にでも無警戒で、ふわふわ軽くて、いつでも呑気だから。そして一見無敵に思えるそのテンションが100%シュウを守ってくれる訳じゃないってことも、この前知った。
あたしは、シュウには笑っていてほしい。
そこで始業のベルが鳴って
「ほれ…もう授業が始まんぞ」
シロンさんはいい理由を思いついたとばかりにシュウを部屋の外につまみ出し、ぴしゃりとドアを閉めてしまった。



溜息をつくあたしを、シロンさんが微妙な表情で見下ろした。
「へえ…。おかしなところで気が合うもんだ」
「……。シロンさんは、あたしのことを色々誤解してると思うんですよ。あたしだって、シュウには心配かけたくないんです」

「誤解…ねえ」
シロンさんはこきこきと首を鳴らした。
「前から思ってたんだ。あの連中の――あの連中がなぜ俺を狙うのかってとこから、俺は聞かなきゃならんわけだが。おめーはたまーに、あの連中の中で一人だけ妙〜な動きをしてるよなぁ?」
「そ…そうですね。それにも、色々ありまして…」
あたしが話をしに来たはずなのに、問い詰められてる。考えてみれば、シロンさんの方だってあたしに色々言いたいことはあるだろう。

シロンさんの目。この距離で見ると、びっくりするくらい大きくて青い。
訝しむような視線があたしに落とされ、何を探そうとしたか見失ったみたいにふと焦点を失って、宙をさまよう。
シロンさんはけだるげな声で聞いた。
「アンタなら答えられんのか。…俺は一体、何なんだ」

そう質問するしかないことに、シロンさん自身が一番途方にくれているようだった。
あたしは少しの間ぽかんとした。
「何なんだって。何が??」
「俺は何者なのかってことだ。俺は何のためにこの世界に存在しているか。それが知りたい」
考え込みながら言い足し、シロンさんは閉めた扉の方を見やった。
「お前は風のサーガなのだ。なんて、偉そうにアイツに言ったくせにさ。…何も知らねーんだ、俺は」
「…………」

少し前のあたしなら、シロンさんの疑問に明快に答えることができただろう。
ウインドラゴンって何なのか。
「しかし、まさにそこが…あたしも最近、訳が分からなくなってきたというか…」
しげしげとシロンさんを見上げる。
本当にカネっちょさんそっくり。
そもそもウインドラゴンて、世界に一体しか存在しないはずだよね。まあ、あの店がこの夢とは全然違う世界の夢だったのかもしれないけど…でもカネっちょさんの方は普通にシロンさんのことを知ってたし…
とりあえずもう一度確認してみた。
「もしかしてシロンさん、皆に内緒でラーメン屋さん経営してたりしません?」

シロンさんはあたしを見つめ返し、静かに腕組みした。
「ほう。つまり、俺が何者かって言うと、ラーメン屋の店主で。何?俺がやってる店に、お前がラーメン食いに来たの?」
「あれっ、やっぱり覚えてるんですか!?ってぎゃっ!」
聞き返したら、再びがしっと頭をつかまれた。
「んなワケねえだろ!ふ・ざ・け・て・ん・の・かああああ?あぁああん?」
がしがしとあたしの頭を揺らしながら、シロンさんが凄む。
「ちょ、何で!?ひどい!っていうかシロンさんってほんっとガラ悪い!」

頭にかぶさるシロンさんの指を何とか引き剥がし、あたしはよろよろとシロンさんの手の下から転げ出た。
「ふ、ふざけてないし…!全然知らないわけでもないし…!」
「じゃ、何を知ってんだよ」
「えーと、えーと……」
シロンさんの知りたいことは結局、あたしがシロンさんに頼みたいこととも関係はあるのだ。
そのつながりをどう説明するのが正しいのか、みしみしする頭を抱えて、あたしはしばらく考えた。
「…知っているのは、あたしにまだ知らないことがあるってこと。だと思います。だから、話をしに来たんです」

――ウインドラゴンは、レジェンズウォーの始まりを告げる存在だ。

『あたしの知ってる範囲で言えば』、『今までのレジェンズウォーでは』、そういうことになる。はっきり尋ねる機会はなかったが、ダンディーやアンナちゃんもそれを知ってるようだった。周りで見ているしかない他のレジェンズたちの方が、ウインドラゴンについての記憶が残っているのかもしれない。
そして多分それだけが全てじゃない。
「この間、不思議な話を教えてもらいました。それは、ウインドラゴンについての話ではなかったのですが」
猫ちゃんの言葉を思い出して、呟く。
あたしはあの話をそのまま信じるわけじゃないけれど。
「きっと皆が、それぞれ違う場所から世界を見てて…もしかしたら、あたしたちが知ってると思ってることは、それぞれに『本当のこと』の一部分だけなのかもしれないって。だったらウインドラゴンは、本当は皆が考えてるのとは全然別のことのために存在してる可能性だってあるじゃないですか?」
「…………」

シロンさんがこの街の風を愛せるのはなぜなのか。
そして、カネルド・ウインドラゴンがラーメン屋をやっていたのはなぜなのか。
レジェンズキングダムで拾ったハートのピース…カネっちょさんは、ハートのピースって言ってた。あたしと一緒にここに来た意味。そういえばスピリチャルクラブの人たちも、ピースがどうとか話をしてた。
全てを説明できる本当のルールが今あたしが理解してる世界の外にあるなら、ウインドラゴンがレジェンズウォーを起こす存在なのも、地球のために人間の文明が滅びなくちゃいけないのも、そうと決まった運命って訳じゃないはずだ。
シロンさんは顎の下に手をやりながら窓の外を眺めている。
「意味分かんねえよ。全然答えになってないだろうが。だがまあ…、分かった」
低い声が唸った。
「アンタ。俺に、何かを知らせたいんだな。…」

あたしはごくりと唾を飲み込んでうなずいた。
「はい」

シロンさんがゆっくりとあたしに視線を戻した。何も言わないのは、あたしの次の言葉を待っているのだろう。
真っ青な目に、もう最初の警戒の色はない。代わりに、自分の探すものを見極めようとする強い意志の光が浮かんでいて、あたしは再びウインドラゴンの迫力に圧倒されそうになった。
ここで目を逸らしてはいけない。拳を握って、何とか視線を受け止める。
「シロンさん」
あたしはシロンさんを見上げて、精一杯訴えた。
「あたしが知ってることを全部話したら、シロンさんはあたしを信じてくれますか?…あたしと一緒に探してくれる?」

「…ラーメンをか」
「ラーメンラーメンしつこいよ。ラーメンのことばっかりじゃなくて」
「最初にラーメン言い出したのはアンタじゃねーか」

シロンさんはじいっとあたしを眺め、何か思い出すことがあったのかそれとも別の理由なのか、不意に息を吐いて、小さく笑った。
「俺、やっぱりどこかでアンタに会ったことあるのかな」
そして、静かに目を瞑って頷く。
「――いいぜ。信じよう」



「よっ…よかったああああああ!!」
返答の意味を理解した瞬間、あたしは握った拳を突き上げてガッツポーズを決めていた。
やった。やりました。ちょっと無理かと思ってた。
「さっすがウインドラゴン!かっこいい!!ありがとう、シロンさん!!」

「あ?ああ…いや。どういたしまして…」
あたしの喜び方が予想外だったのか、シロンさんは若干引き気味にそう答えた。


 BACK