第8章−8


勢い込んであたしは言った。
「渡したい物があるんです。車に置いてあるんで、今取ってきます!」

急いで車に戻ろうとしたところで、廊下の方で何やらばたばたした気配がして足を止める。
誰か来た。

すごい勢いでドアが開いて、アップテンポの黄色い絶叫が響いた。
「見て見てー、シロンさんっ!!」

戸口に仁王立ちしたのはハルカ先生@変装バージョンだ。
いつの流行だか分からない顔いっぱいの大きさのぐるぐる眼鏡に、アップにまとめたお団子頭、地味な色のスーツ。スカートからすらりと伸びた黒タイツの脚がきれいで、そこにだけ、ふじこちゃんばりの美人の面影が残っている…、などと観察している場合ではない。

あたしはぎょっとなって聞いた。
「どっ、どうしてここに?授業中じゃないんですか?」
「あ〜?そんなの自習よ、自習!そんなことより見て見て、シロンさんっ!」
ハルカ先生はあたしの質問をこともなげに一蹴すると、一直線にシロンさんに駆け寄る。
右手にぴらぴらさせているのは、四つ折にたたまれた便箋だ。
「今ねっ!私の机の上に、知らない人の怪しい招待状が置いてあったのぉーーー!!」

シロンさんの目元がぴくりと引きつるのが見えた。
じりっとハルカ先生に顔を向ける。
「…怪しい招待状、だと?」
「そーなのー!どうして私のことが分かったのかしら、『ドクター・コンラッド』これは一体誰かしら!?レジェンズについて語り合い、お互いの知識を深めませんかって!シロンさん、一緒に行きませんっ!?」

「………………」
目を剥いたまま、発する言葉も思いつかずに、あたしはそろそろ後ずさって二人から距離をとった。
コンラッド博士の推測通りだった。
ハルカ先生は手紙の怪しさを疑いながらも、危険を承知で誘いに乗り込む気満々だ。
それはいい。それはいいけど、せっかくあたしを信用しかけていたシロンさんが、ここでハルカ先生の件を知ってしまうのはまずくないだろうか。あたしの今までの行いが行いだけに。良くない連想をされて疑念を持たれることは容易に想像できるわけで、…

恐る恐る横目で様子を伺ってみると、
「………………」
悪い夢から覚めたように、シロンさんの顔つきが元に戻っていくところだった。
ああ。
せっかく一歩前進した友好関係が、がらがら崩れて元の木阿弥に戻る音が聞こえる。ような気がします。

「どう考えても怪しいな、それは。…何かの罠なんじゃねえのか」
ゆっくりとシロンさんが呟いた。
「そういうことをしそうなヤツに。ちょうど今まさに、心当たりがあるぜ――…、なあ?」
言いながら、シロンさんの目は、さりげなく部屋から立ち去ろうとするあたしをじろりと睨みつける。

シロンさんがひゅっと体をひねった。翼で風が巻き起こる。
ぱしーん。尻尾があたしをひっぱたき、バランスを崩したところに大きな腕が伸びてきて、あたしはあっけなく首根っこを捕まえられてしまった。
「なーにを企んでんだ、何を!」
「ぎゃー、ごめんなさいー!」



シロンさんが溜息をついた。
「行くのは止めとけ、カワイコちゃん。そいつは罠だ…今、犯人が自白した」

シロンさんが猫の子みたいにあたしをぶら下げ、ハルカ先生の鼻先に突き出してみせる。
そこであらためて、この場にシロンさん以外の人間もいたことに気が付いたらしい。ハルカ先生はぐるぐる眼鏡を押し上げながら目を見張った。
「あらぁ!この子って、確か本社に潜入したとき見かけた…」
「ああ。例のダークウィズカンパニーの、下っ端したっちょだ。しょっちゅううろちょろしてやがんだよ、コレが」
「ちょ、シロンさんまでその呼び方ですか…ひどい」
弱々しく抗議してみるが、シロンさんの目はどこまでも冷たい。

「俺と先生を別々の手でハメようとしてた訳か。油断も隙もねえ野郎だ」
「いや、これには事情がありまして…っていうかさっき『信じよう』って言ったじゃん!決心変わるの早すぎない!?」
「なら『ドクター・コンラッド』ってのは誰なんだ。答えてみろよ。どーせ新手のレジェンズなんだろ、あーん!?」

シロンさんからすれば、DWCが自分とハルカ先生に別々に誘いをかけ、名前まで使い分けていたように見えるだろう。いかにも心象の悪い話だった。
シロンさんが凄みの効いた声で釘を刺す。
「どうして先生に目をつけたのかは知らねえが、狙うなら俺だけにしとけよ。元々彼女には、俺から頼んで色々調べてもらってんだ。レジェンズのこととか、お前らダークウィズカンパニーのこととかな」
「あ。そうだったんだ…」
「そうなのよ!レジェンズ追っかけ25年!ハルカ・ヘップバーンでーす!」
あんまり空気を読まないハルカ先生が、賑やかに解説を入れた。じゃあ、本社に潜入してたのもそれが理由だったのかな。

ぶら下げられてぷらんぷらんしながら、あたしはしょんぼりと下を向いた。
「し…シロンさんに話すの、違う日にしとけばよかった…」
「あぁ?反省するのはそこなのか?」
シロンさんの目つきがまた鋭くなる。
「だって、タイミング悪すぎなんだもん…!シロンさんだって、一瞬でもあたしを信じていいと思ったんなら、ちょっとくらいあたしの立場も考えてくれるとか、何かこう…」
シロンさんが呆れたように鼻を鳴らした。
不意にぐるんと体が回転し、シロンさんと向き合わされる格好で降下して、足が床に着く。
「ったく、何だかなあ…バカなのかアホなのか判断に苦しむぜ…」
「それって、どっちも同じことなんじゃぁ…」
襟首はまだ捕まえられたままだ。
「まあ…そーだな。もしかしたらお前にもお前の立場ってもんがあって?事情を聞けば、俺もそっちを考えてやれるかもしれねーな?」
シロンさんがぶっきらぼうに命令する。
「さあ。言い訳を聞こうか」
「……………」

手紙の件は罠だけど、シロンさんにした話は嘘じゃない。
そこのとこをよく説明すれば、今からだってあたしの誠意を証明することはできるよなあと思った。
その辺のあたしの微妙なスタート地点の事だって、もともとシロンさんに打ち明けるつもりだったのだ。
どういう計画で招待状を出したか話して、ハルカ先生に謝って。自分の立場を正直に話せば、シロンさんのことだし、あたしをもう一回信じる気になってくれるかもしれない。

つまり、シロンさんに信用してもらうためにレジェンズ班を裏切る。
やれなくはない。
アンナちゃんのときにも一度、任務を失敗させても構わないと思ってあたしは行動してる。
あたしはレジェンズウォーを止めたいと思ったからここに来ている。何かを変えられるかもしれないチャンスが来たのだから、どちらを優先すべきかは言うまでもないのだ。
悪の組織の任務なんて、元々あたしにとっては――
どうでもいい…――

「何だよ。黙り込んで」
「……………」
でも、そうやってこの世界に来た最初の日に、目を回したあたしをJ1さんがおんぶしてくれたこととか、J2さんがベッドを作ってお布団をかけてくれたこととか、部長があたしのほっぺたを撫でてくれてそれがすごく気持ちよかったことなんかが思い浮かんで、敵に情報を売った後、車に戻って皆に嘘をつく自分を想像することがあたしにはできなかった。

困ってる同僚を助けるのと、敵に情報を売るのは違う。
よくないことだ。
あたしはDWCの社員なので、社訓に従い、いいことっていうのはいつだって自分のためにもいいことであるべきだと思っている。大きな理想を言い訳にして自分を見失ったりしないように。

…カネっちょさんだって「間に合いさえすればいつでも構わない」って言ってたもんね。と、自分に都合よくあたしは考えた。
急ぐ話じゃないはずだ。今回はちょっと、タイミングが悪かった。
日を改めて出直した方がいいだろう。



出直すためには、まず、シロンさんにがっちりホールドされて逃げられそうにない今のこの状況をどうにかしなければならないわけで、あたしはふらりと顔を上げ、力なく笑った。
「分かりました。…でも、今から話すことはシュウにも聞いて欲しいな」

ハルカ先生に聞いてみる。
「シュウってまだこの近くにいますか?シロンさんがここにいるって、シュウに聞いて来たんでしょ?」
「そうよ。いるんじゃないかしら〜。ねー、シュウくーん?」
ハルカ先生が廊下に向かって呼びかけると、そろそろと、細めにドアが開いた。
シュウが遠慮がちに顔を出す。
「何だよもうー。ハルカ先生もしたっちょもシロンシロンってさあ…」

あたしはシュウを手招きした。
「入って入って。これは、シュウにいてもらわなきゃ困る話なんです」
「おい!」
シロンさんが険しい声を上げたが、今回は無視する。
シロンさんと、ハルカ先生。二人に加えて、シロンさんをカムバックできるシュウにもこの場にいてもらうことが必要だ。
目的は、このメンバーが揃った状況で
「…けど、この部屋に4人もいると狭いですね。シュウ、一旦シロンさんをカムバックしてくれない?」
自然な流れに見せかけてこのように提案することです。

シュウがこくりと頷いた。
「そーだな。シロン、カムバック!!」
シロンさんがタリスポッドに吸い込まれ、しゅるしゅる縮んでねずっちょ姿になった…途端にハルカ先生がひっくり返るような悲鳴をあげた。

「ぎいやああああああああああああ!!!ネズミぃーーーーーー!!?白い、ネズミぃぃーーーーーーー!!」

「ンガガっ!?」
ぱしーん!!振り回した手がシュウのタリスポッドに当たり、シロンさんはタリスポッドごと吹っ飛ばされて床に転がる。
「ちょ…ちょっと!ハルカせんせぇ?」
「いやあああああ!!ダメッ!!私、ネズミはダメなのよぉぉーーー!!」

だよね。
そうだろうと思った。

こういう作戦をとっさに思いつく辺り、あたしはいつか部長が言ってたとおり、意外とおっそろしい策士なのかもしれないよ。全然ポジティブな使い道じゃないのが残念だ。
「ニャガッ、ガガガ!」
足元に転がってきたねずっちょが何やら食って掛かってきたので、ハルカ先生の顔面めがけて放り投げる。
「ぎゃーーーーーーーー!!ちょっと、何なのおおおおお!!?」
その駄目押しで完全にパニックになったハルカ先生は、絶叫しながら手当たり次第に物を投げつけ、部屋中を駆けずり回る。

この混乱に乗じて撤退します。
「え、えへへ…ええと、皆さんお忙しいようなので、この辺で失礼しますねー…」
この手の逃亡のお約束に従い、あたしは窓際へと走った。
「話を聞きたかったら、招待状の住所にいらしてください!お待ちしてます!」
鍵を外して窓板をいっぱいに持ち上げる。手紙のことがうやむやになったら困るので、お約束な捨て台詞を残しておくことも忘れない。
それから、開いた隙間をくぐって校舎の外に飛び降り、一目散に逃げ出した。

「ちょっとー!ハルカ先生ってばぁあー!」
「だってイヤアアアアアア!!ネズミいいいいいーーー!!」
「ガガガッ!!!ガガッガガガッガガガガー!!!」
ハルカ先生の絶叫に混じって、シロンさんの怒りの叫びが聞こえるような気もするけど、気のせいだろう。
気のせいだといいな。

「――ふっ。本当は、こんなつもりじゃなかったんだけどな…」
遠い目になりながらあたしは呟いた。
「なーんて言っても、信じてもらえないだろうなぁ…」

疑われたそばから罠にハメてしまった。
シロンさんと次に会うのが怖いです。


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