第8章−9


こうして…あたしの悲しい挫折はともかくとして、レジェンズ班の任務の方は、無事に作戦開始にこぎつけることができました。
ところで、コンラッド博士があの手紙に書いてた住所ってどこのものなんだろう。
不思議に思って聞いてみると、猫ちゃんは当然のように答えた。
「ワタシの自宅です」

うっそうと木々の茂るゆったりとした広い庭の中に、おもちゃのお城みたいなデザインの青屋根のお屋敷が立っている。
元々は会社の保養所なんだって。言われてみれば、ポップな外観は本社ビルにも通じるものがある。『俺らよりいいとこ住んでるってどういう待遇!?』って、JJさんたちが驚いてた。

作戦の舞台は、レトロ調の書斎兼応接室。
くすんだ緑色のソファ。どっしりとした書き物机。2階分の高さの本棚には古めかしい本がずらりと並び、いかにも学究の徒の住まいらしく見えるはずだ。
お客様を迎え、テーブルの上では平たいティーカップに注がれた紅茶が上品な湯気を立てている。

全員それっぽい雰囲気を出すために白衣着用。

「ようこそいらっしゃいました」
猫ちゃんが和やかにお客様に席に付くよう促した。

いかにもこの場の主らしく、中央のソファに陣取ってちんまりと両手を組む。あたしたちはその後ろに並んで控える。
「ワタシがお手紙を差し上げました、ドクター・コンラッドです。こちらは助手の…」
BB部長が右手を上げて名乗った。
「ベティーでーす」
「え、偽名使うの。ジョン1でーす」
「ジョン2でーす」
「えーとえーと、助手・その4でーす」
レジェンズ研究者とその助手って設定になってます。皆でぺこりと頭を下げる。
ハルカ先生@変装バージョンがうっとりと手を合わせた。
「まあ、さすがは博士。研究員の数も充実していらっしゃる…」

「いやもうそーゆー猿芝居はいいから」

不機嫌な声がその場の空気をぶった切った。
シロンさんだ。既にリボーンされ済み。
どっかりとハルカ先生の横に座り、腕組みしてこっちを見下ろしている。
シロンさんをリボーンさせているためか、シュウもついてきてる。体の大きなシロンさんが悠然と幅を取るせいでソファに座る場所がなくなって、シロンさんの膝の上に乗せられてきょろきょろしていた。

部長が押し殺した声で囁いた。
「シュウゾウ・マツタニが一緒に来るとは好都合ね…!飛んで火にいる夏の虫だわ。この際ついでにタリスポッドも奪うわよ…!」
相変わらず無駄に強気でポジティブだ。
JJさんがびびりながら囁き返す。
「どっちかってとコレ、俺らの方が虫ですよね…?シュウゾウ・マツタニだけじゃなく、でっかいヤツも来ちゃってるんですけど…」
「しかも何か、めっちゃこっち睨んでる…」
「き…気のせいですよ、気のせい。あの人、元から目つきは怖い…」
おろおろしながらあたしが誤魔化していたら、シロンさんがずいっと首を伸ばしてきた。
「あぁん?何か言ったか、そこの『助手・その4』?」
「い。い、いいえぇ、とんでもないぃ…」
うわぁ。シロンさんの視線がまるであたしに突き刺さるようです。
そうじゃないかとは思ったけど怒ってるよ。めっちゃ怒ってる。そしてそれは、あたしのせい。
ほとぼりが冷めるまでなるべく顔を合わせたくなかったのに。もう会っちゃうとか、ついてない。

シロンさんが身を乗り出してあたしに掴みかかろうとしたのを、ハルカ先生が引き止めた。
「ウインドラゴンさんたら!お行儀よくしてくださいよ。レジェンズについて知れる貴重なチャンスじゃないですか!」
「アンタは何を言ってんだ…。状況をよく見ろよ。こいつらはなぁ、」
シロンさんが呆れた声でハルカ先生に説明しかけ、
「あーー!ほんとだよ、よく見たら!」
それを、シロンさんの膝の上のシュウが遮った。
シュウはシュウで、全然別のことに興味を惹かれたらしかった。食い入るようにコンラッド博士を眺め、遠慮なく指を差して声を張り上げる。
「なあなあなあ!アンタってさあ!猫だよね!?」
「ニャッ。ニャンの話ですかニャ!?」

もうカオス。

「シュウくんまで!失礼なことは言わないでちょうだい!あっこちら、私の教え子のシュウくんと、そのお友達のウインドラゴンのシロンさんです。すごいでしょ、本物のウインドラゴンなんですよ!?二人ともレジェンズについては以前から大変興味があるそうで、今回同席することに…」
ハルカ先生が慌てた様子でフォローに回る。
シュウの頭を押して無理やりお辞儀させ、シロンさんがいかにも気に入らなそうに鼻を鳴らしたのを、きっと睨んで黙らせる。
ていうかあたしたちはDWCの回し者なんだから、シロンさんみたいに警戒して当然だよね。よく分からない人だ。

この場はシロンさんさえどうにかすれば何とかなりそうだ。
J2さんの陰に隠れながら呼びかけてみる。
「ね、ねえ、そこのシュウくん…。室内なんだし、でっかい人はカムバックしといてもらった方が嬉しいな…なーんて…」
「ダーメーだ」
すかさずシロンさんが提案を却下した。
「こないだの今日で、いい度胸してるぜ。誰が同じ手に引っかかるかっつうの!」
シロンさんがあたしを睨みつけて凄む。
さすがに同じ手は二度通用しないか、とあたしが諦めかけたとき、シュウは膝の上からシロンさんを見上げ、なぜか、にんまり笑った。
「シロン!!カムバッーーク!」

「なっ…!?」
シロンさんが驚愕の表情でタリスポッドに吸い込まれていく。
「ちょ…っ、」
ちょっと笑えました。

座っていたシロンさんの膝が消えて、シュウはすとんと床に着地する。
タリスポッドに手を突っ込んでねずっちょを引っつかむと、もう片方の手をテーブルについて、身を乗り出した。
視線はコンラッド博士に釘付けだ。気になってしょうがないらしい。
「なあ!猫なんだろ!?」
「ははは、も〜。ほんとにおかしなことを言う子だニャァ…」
博士が否定しようとすると、シュウはねずっちょを博士の目の前で振り回す。
「ほーらほらほらっ!ネズミだぞう〜」

「ニャガッガガガンガガー!!」
逆さに吊るされたシロンさんが、みごみご手足を動かしながら険しい声で鳴いた。多分、俺はネズミじゃねえ、というようなことを言いたいんだろうと思う。
しかしその抗議する姿さえ、丸っちい白ネズミがじたじた悶えているようにしか見えないわけで。
獲物を目の前にぶら下げられたコンラッド博士が、ひくっと動きを止める。
「ウインドラゴンがネズミに…、ネズミがウインドラゴン…、ネズミ…!!?」
「そうそう!ネズミネズミ!ほれほれ〜」

そんなことのためにカムバックしたのか…。
シュウ的にシロンさんの扱いはそれでいいんだろうか…。あたしも人のことは言えないけど。
とりあえずナイス。

「ぎゃあああああーーネズミーーーーーー!!!」
ねずっちょを見たハルカ先生がまたもやパニックを起こしているので、これはどうにかしなければならない。
引き離すべく、シュウに水を向ける。
「ありがと、シュウ!さあ、あっちへどうぞ!」
部屋の空いているスペースを指差すと、
「おーっす!」
シュウがねずっちょをぷらぷらさせながら走り出す。
コンラッド博士がはじかれたようにソファから飛び上がり、一目散にシュウとねずっちょを追いかけ始めた。
「ニャッ…ニャーーーーーーーー!!!」
「ガガガガー!!!」

勢い余って棚の上まで駆け上り。
ランプシェードに頭を突っ込み。
ギリギリ追いつきそうになったところで、シュウがほいっとねずっちょを違う方角へと放る。

「…………」
あたしたちは、しばらく突っ込みも忘れて猫とネズミの追いかけっこを見守った。
部長がこめかみを押さえながらあたしたちに向き直った。
「フッ…さすがは天下のDWCの用意したレジェンズ。素晴らしい機転だわ。さあ、ケット・シーがウインドラゴンの妨害を排除しているうちに、こっちの用事を済ませるわよ」
J2さんが呟いた。
「いやあ、素じゃないですかね、アレ…」
あたしもちょっとそんな気はする。

ねずっちょは部屋の向こうに追い立てられて、あたしたちのいる場所からは微妙に距離ができた。
「ネズミーーーーー!!って、あら。あの方、猫…だったのかしら…?」
反応物が警戒範囲から外れて鳴るのを止めたサイレンみたいに、ハルカ先生が我に返った。
部長がわざとらしく咳払いした。
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないの。とりあえず、話は助手の私たちが聞かせてもらおうかしら」
猫ちゃんが座っていた椅子に、部長が座る。
邪魔が入らなくなったところで、ハルカ先生の取調べ開始だ。

「え、ええ。そうでしたわね!――今回お伺いしたのは、ここ数週間に私が目撃した事象について、専門の方と意見を交換してみたかったんです」
ハルカ先生は居住まいを正し、真剣な顔になった。
「実は最近、このニューヨークに本物のレジェンズが出没しているようなんです。それも、きわめて頻繁に」
「…………」
あたしたちは思わず黙った。
そりゃ出没してるよね。あたしたちの仕業だ。今もしてる。
ハルカ先生が尋ねる。
「ご存知でしたか?」
「ええ、まあ」
「それとなくは…」

「大量に現れたゴブリンが、ビルの屋上で群れを成しているところとか…私は、パイプ伝いにビルを上ろうとしたらそのパイプが折れちゃって、ギリギリどんな感じだか見られなかったんですけど」
「うぉっ。いたんだ、あの時…」
J2さんが思わず呟く。
「またある時は、何とイーストリバーにジャイアントクラブが現れて…まあ、私が見つけたときは海の彼方に泳いで行っちゃってて、ギリギリどんな感じだか見られなかったんですけど」
今度は部長が口を滑らせた。
「ああ…カニね。そんなこともあったわねえ…」
「いたんだ、あの時も…」
「イーストリバーではデヴォアクロコダイルを見かけたこともあって!あのハーピーが夕日に向かって飛んでいくのを見たこともあるんです!…どっちも目撃したときには遠すぎて、ギリギリどんな感じだか見られなかったんですけど」
「いつも、ギリギリどんな感じだかは見れてないんですね…」
どうもハルカ先生って、あたしたちレジェンズ班がやられて撤退した後に、現場に到着してるっぽい。そのギリギリで肝心なとこを見れてないタイミングの悪さが、30分アニメのオチになっていると思われます。
そういう立ち位置だとすると、あたしたちとはこれからもあんまり顔を合わす機会がないかもなあ。

あたしたちの反応が芳しくないのを、話を信じていないと思ったのか、ハルカ先生は足元に置いたカバンから瓶やらメモやら取り出し始めた。
「証拠は沢山採取したんですよ!ジャイアントクラブの殻でしょー!ハーピーの羽でしょー!もーこの数週間で貴重なコレクション増えまくりで〜」
ハルカ先生は鼻息も荒く、コレクションをあたしたちに披露する。「カニ」とか「トリ」とかラベルの張られた瓶がテーブルの上に並んだ。
「うわぁ…何という追っかけファン…」
「ていうか、ストーカー…?」
「JJさんってば。声が大きいですよ…」
こんだけ追っかけてて肝心のとこには居合わせないなんて、ある意味才能かもしれない。

ハルカ先生がふとはしゃぐのを止めて、眉をひそめた。
「助手の皆さんはどう思われますか。レジェンズとは、ほとんどの人間にとっておとぎ話でしかない、伝説の存在…長年追っかけをやっていた私でさえ、生のレジェンズを見ることはこれまで叶いませんでした。そのレジェンズたちが今、このように局地的にこのような頻度で出現し始めている。一体何が理由で、何が起ころうとしているのでしょうか?」
部長が「それは私がリボーンしてるからよ」と言いたげな顔になった。ハルカ先生は自分の思考に集中していて気付く風もない。
「ここだけの話、どーーもシュウくんとウインドラゴンさんが何かの鍵だと思うんですよねー。私が今ニューヨークでこういうことやってるのも、シュウくんを見かけたときの勘みたいなもんで…その勘が大当たり、張って大正解でした」
分厚い眼鏡の奥で、切れ長の瞳が鋭く細められる。
野暮ったい変装バージョンの下に隠された、行動派美女の姿が垣間見える。
「つまり――ウインドラゴンを中心にして、『何か』が始まろうとしているんじゃないだろうかと」

「何か…、?」
部長が探るような目になった。
「それはあなたが、一連の出来事の裏に潜む企みを感じ取っている…というようなことなのかしら?」
「企み?企みっていうのとは、ちょっと違うようなー…」
ハルカ先生が口元に手を当てながら首をかしげる。
「閾値を越えたが故の勃発期に、我々が臨んでいる…本物のレジェンズが爆発的に出現する、きっかけが何かあるんじゃないかと…そう…それは例えば…!レジェンズのお祭りみたいな!?」
鋭いんだか、ミーハーなんだか。
しかしまんざら見当違いでもないのがすごい。お祭りじゃなくて、戦争だけど。
自分で自分の言葉に興奮し、ハルカ先生のテンションは再び爆上がっていく。
「お祭り!キャー!!それってレジェンズカーニバル!?どうしよう!!そうなっちゃったらいよいよ生のレジェンズ見放題ー!!」

つまり、ハルカ先生は本当にレジェンズのことが好きなのだ。

その一点に関しては、我々全員、疑いようもなくよく分かった。
人生の全てがレジェンズのことで構成されてるみたいな。レジェンズ以外のことはひとかけらも考えてなさそうな強烈な愛と害意のなさがぐいぐいこっちに伝わってきて、部長もJJさんも押され気味だ。
そのままハルカ先生は、メモ帳を片手に熱心に質問を始める。
「そうそう、ちなみに助手の皆さんは、レジェンズの平均睡眠時間はどれくらいだとお考えですか?やっぱり1日3食なんでしょうか、おやつは食べると思います?」
とうとうこっちが尋問される側になってしまった。
「と…とりあえず。順を追って情報を聞かせて頂こうかしら」
部長がたじろぎながら話の腰を折った。
「こっちとしては、書類は作っておかなきゃいけないのよ…。まずは名前に年齢、住所から」

「まあ。これは失礼」
ハルカ先生は改めて頭を下げた。
「自己紹介が遅れました。私、ハルカ・ヘップバーンと申します。ニューヨーク州ニューヨーク市生まれのカリフォルニア大学ロサンゼルス校出身で、レジェンズ追っかけ25年の25歳。現在はブルックリン101小のアルバイト教師をしておりまして、住所の方は――」
あたしとシロンさんが揉めていた所に居合わせたのだから、この招待にDWCが絡んでるって分かってると思うんだけどなあ。部長の口調も微妙にその辺隠せてないし。
レジェンズについて知りたい欲求は全てに勝るのか、そもそも自分のことを隠す必要があるとは考えていないのか、ハルカ先生はどこまでも無防備に自分の身の上を喋り出す。
聞いてるこっちがどきどきする。
「ハルカ・ヘップバーン…、ヘップバーン?」
部長の横でメモを取っていたJ1さんが首をかしげた。
「ヘップバーン、って。どっかで聞いた苗字ですねえ」
J1さんが同意を求めるかのように周りを見回す。目が合ったので、あたしが答えた。
「ハルカ先生のお父さんですよ。ユル・ヘップバーン。って、こないだあたしにそれ教えてくれたの、J1さんですよ」
「あー、そうだったわ。トリの見張りのときな?」

「…………」
「…………」
「…………」

話の流れに微妙な違和感を覚えつつも空気はそのまま流れ、J1さんはメモ取りを続行し、
「……、えっ?」
しばらく経ったところで、ふと、全員が固まった。

あたしは自分がとんでもない失敗をしたことに気が付いた。


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