第8章−10




よほど驚いたのだろう。部長がものすごい顔になってJ1さんを見やった。

「…ちょっと、J1。どういうこと!?この人、CEOのお嬢さんなの!?」
「え、聞いてないっすよ、俺。…どういうこと!?」
話を振られたJ1さんは、あたしを見る。




「…………。……!!」
あたしは両手で口を押さえて横を向いた。
、うっかりしてた。
今、言ってはいけないことを言いました。

ユル・ヘップバーン、DWCの最高経営責任者。それは物語がレジェンズウォーの核心に近づく頃になって明かされる重大な秘密のような気がしてたけど、社員手帳で普通に顔出ししてたし、記者会見でテレビに出てるとも言ってたし、世間的には別段秘密じゃないことだったのだ。でも、それがハルカ先生のお父さんだってことはやっぱり秘密だったかもしれないような――


ぎりぎりするような沈黙の中
「ガッ!ガッ!ガガガ−!!!」
ねずっちょがハルカ先生の足元を走ってきて、テーブルの上に飛び乗り、反対側へと逃げていく。
「ニャニャーーー!!フギャアァァァーー!!」
四足歩行で完全に猫モードのコンラッド博士が続けざまにそれを追いかけ、二人はテーブルの上の物を全てひっくり返しながら嵐のように通り過ぎて行った。
「あっ、もしかして、話の邪魔した〜?ちょっとここ、狭いよね〜!」
部屋の向こうで、シュウががたがた窓を開けている。


「………い…」
随分経ってから、あたしはようやく言い訳の言葉を絞り出した。
「今のは嘘です」
「コラ」
すかさず頭をはたかれる。
「みょっ、苗字が同じだなって思ったんです。ええとほら、J1さんに教えてもらって、社員手帳に名前が載ってるのを見たばっかりだったから…」
J2さんが呆れたように言った。
「苗字が同じだからって、即親子ってことはないだろー」
「で、ですよねー…。考えてみたら、そうでした…」

部長とJJさんが一気に気の抜けた顔になって、空気が緩む。何とかあたしの勘違いってことにしてこの場を流すことはできないだろうか。

ハルカ先生が静かに眼鏡を外すのが見えた。
単純なその動作に、指がもつれて手間取る。
ただでさえ白い顔から完全に血の気が引いているのが見えて、あたしは、自分が口を滑らせた秘密がハルカ先生にとってどれほど重い内容だったのかに、今更思い至った。
「ハルカ先生、…」
痛々しいほど目を見開いて、ついでみたいに口も開いて、ハルカ先生は喘ぐように声を発した。
「ユル・ヘップバーンは確かに私の父です。…あなた方は、父の消息について何かご存知なんですか」


「あのあたし、本当にただ、……。ごめんなさい…」
なおも誤魔化す言葉を考えようとして、途中で心が折れる。
『消息』という言葉に、ハルカ先生はどれくらい長いことお父さんに会ってないんだろうと思った。
どうしよう。

事情があるのを感じ取ったのは、当然あたしだけではないだろう。
「えっ。同姓同名…?」
「もしや、生き別れの父娘とか…」
J1さんとJ2さんが顔を見合わせ、声を低める。
部長も、腕組みしながら眉を吊り上げ、怒ったような困ったような表情で考え込んでいる。これは、テンションが任務モードではなくなってしまったときの顔だ。
「残念ながら、私たちはあなたのお父さんのことは全っ然知らないわ」
と、部長はハルカ先生に言った。
「ただ、我がダークウィズカンパニーのCEO――最高経営責任者の名前も、ユル・ヘップバーンなのよ。偶然かしら。それとも、同一人物なのかしら?」

「CEO!?ダークウィズカンパニーの…?」
ハルカ先生は唖然としたように聞き返してから、信じられないと言いたげに首を振った。
J1さんが遠慮がちに聞く。
「見かけたことありません?経営方針の記者会見やるときとか、時々テレビに出てますけど…」
「いいえ…。私、ずっと世界各地でレジェンズを追っかけてて…一年かけてアメリカに戻ってきたもので、こっちのテレビを見る機会は全然」
ハルカ先生はしきりに首を振る。
「それでダークウィズカンパニーのおもちゃは、レジェンズの…でもそんな、まさか。パパはずっと研究一筋で、間違っても企業のトップが務まるようなタイプでは…」

「とにかく確認を取る必要があるわね。こっちとしたって、もしCEOのお嬢さんだったら尋問なんかできないわよ。顔が分かる物、何かない?」
「社員手帳だ。新人、お出しして」
「あ、はい」
おろおろしながら、促されるまま、あたしはカバンを探って社員手帳を取り出した。
ハルカ先生の前に広げてみせる。
「こ、ここなんですけど…」

それは表紙をめくってすぐ、王冠マークのDWCロゴが印刷されたページだ。
ダークウィズカンパニーは、子供のために。
ダークウィズカンパニーは、世界のために。
ダークウィズカンパニーは、未来のために。

ダークウィズカンパニーは、自分のために。
さわやかな社訓の下には、ダークウィズカンパニーCEO、ユル・ヘップバーンの笑顔の写真が輝いている。

「ぱ…パパ!?」
ハルカ先生があたしの手からひったくるように社員手帳を受け取った。
…そうしてなぜか、迷ったように視線が泳いだ。
「の、ようなそうじゃないような…」

「えっ。どっちなの」
「おかしいわ…。私の知っているパパとは何かが違うような…記憶の中で、何かが微妙に引っかかるような…」
ハルカ先生は頭に手をやって考え込んでいる。

「これ、書き込みしてもいいかしら」
「構わないわ、どうぞ」
多分あたしに聞いたんだと思うんだけど、即座に部長が許可を出し、ハルカ先生はさっきまでメモを取っていたペンを持ち直すと真剣な顔で写真の頭頂部を塗りつぶした。
そして、今度こそ確信できたかのように頷いた。
「――間違いありません。父です」

驚きと、驚きと同時に湧き上がるその写真の修正行為は一体何なのかみたいな突っ込むに突っ込めない疑問で、その場が静まり返った。
間髪入れずにどこか外の方で、沢山の猫が一斉に鳴くとんでもない声がした。

「?」
顔を上げると、部屋の向こうで大きく開け放たれたままの窓が目に入る。
博士たちは忽然と姿を消していた。
どうもさっきから静かだと思ったら、庭に出たのか。
「…今の、コンラッド博士ですか?」
「それにしては何だか数が多かったような…」
J2さんが首をかしげながら窓の方へ歩いて行く。

「どうしてもやり遂げなくてはいけない仕事があるって、父は私に言ったんです」
ハルカ先生が呟いた。

「きっと今父は、人生をかけてやらなければならないという、その仕事をしているんでしょうね。…レジェンズを追いかけ続けていれば、いつかまた会えるとは思っていました。――」
身じろぎもせず、自分が落書きした写真をじっと見つめている。
つまり、昔はふさふさだったってことだね。でも、それを見つめるハルカ先生の表情は固くこわばっていて、あんまり笑える雰囲気でもない。

ハルカ先生が全然嬉しそうに見えないので、あたしの内心の動揺は頂点に達した。
ひたすらレジェンズ大好きなばっかりの、陽気な人に見えたのに。どんな事情があるのだろう。蒼白な顔はさっきより緊張を増したようにさえ見えるのだ。
もうちょっと喜んでくれてたら、あたしだって、うっかり口が滑ったけどハルカ先生のためにはこれでよかったよね、みたいに思えたんだけど。

「まっ、意外な展開だったけどこれはこれでよかったわ!」
部長が頼もしくその場の空気をぶった切った。
「予想してた以上に価値のある報告ができそうよ。…このこと、私たちから報告しても構わないわよね、ハルカさん?」
「ええ。…」

「おわっ!」
外の様子を確認に行ったJ2さんが、慌てた声でこっちを呼んだ。
「大変です、部長!!外がえらいことに…!」




我々がうっかり重大なネタバレに迫ってしまっていた間に、博士は博士で、えらいことになっていた。
「ニャーッ!!」
「フギャーッ!!」
一体どこから湧いて出たのか、おびただしい数の猫が屋敷の庭に集結していた。一匹一匹を見れば可愛い猫ではあるけれど、庭を埋め尽くすほどの数、てんでに殺気立った不気味な鳴き声を上げていて、辺りは異様な雰囲気に包まれる。
「みーんなー!来るニャー!!」
…コンラッド博士が呼んだみたいだ。群れの中心で仁王立ちし、天に向かって両手を突き上げながら雄叫びを上げている。

「何やってるんですか、博士!?ちょっと牽制しといてくれるだけでよかったのにー!」
「うるさーい!!ネズミは!あのネズミはどこニャーッ!!キシャー!!」
どうやら獲物を追いかけ回しているうちに野性の本能が覚醒してしまったようだ。
かわいく見えても、猫って意外に凶暴なんだなあ。

「うわー!!猫、多すぎー!!」
「ンニャガッ!!ガーガガガガガガ!」
シュウは悲鳴を上げていて、ねずっちょがフガフガ言いながらやたらめったらシュウの顔を蹴っ飛ばしていて、
「やっちまい、ニャー!!」
コンラッド博士がしゃっと腕を振った。
凶暴な目つきの猫ちゃんたちが、いっせいに毛を逆立て、雪崩を打ってシュウとねずっちょに襲い掛かった。

そういう任務じゃなかったはずなのに、結局いつもの襲撃パターンになってる。
と、いうことは、この先の展開は薄々いつものようなことになるだろう予想がつくわけで、あたしとJJさんは思わず顔を見合わせた。
しかしやっぱりというか何と言うか、部長は少しも怯まない。
勢いよく窓から身を乗り出す。
「これは行けるわ!CEOの娘をゲット、ついでにタリスポッドもゲットして今度のボーナス倍額よっ!」
そのままノリノリで戦いの場へ走り出る。仕方がないので、あたしたちも後に続いた。
「シュ、シュウ!大丈夫ー!?」

猫に轢かれてよれよれになったシュウが、へろへろしながら体を起こした。
「だからさ〜、ガガガじゃ分かんねーって、…シロン、カムバーック!!リボーン!」
シュウの声と同時に、ねずっちょが吸い込まれるようにタリスポッドの中に納まり、周囲の風も光も一気にそこに集約したかのように、ごおっと風が唸って、空が蔭る。
嵐を思わせる空の下、青白い光を放ちながらシロンさんが元の姿を現した。
羽を広げてすうっと宙に浮かび上がる。
「……………」
シロンさんは自分を追い回していた猫の群れをぎろりと見下ろし、ついでにこっちを睨み付けた。
最初にここに来たときから、シロンさんは割と機嫌が悪かったのだった。
今は、もっと怒ってるように見える。

「う、ウインドラゴン…!!そういえばウインドラゴンだった…!」
コンラッド博士がぐっと息を飲んで後ずさる。そういえばて。
しかし次の瞬間には再び毛を逆立て、シロンさんを真っ向から指差して叫んだ。
「しかーし!例えウインドラゴンでも、ワタシを馬鹿にした罪、許さないニャー!!」

博士を見てると、頭のいい人って実はあんまり頭が良くないんじゃないかって気がしてくるんだけど。
それでも、ダンディーが延々葛藤してた壁を一瞬で乗り越えてるのは、素直に尊敬に値する。
「お、おおぅ…ナイスガッツ…?」
「最初からこっちの任務で来てもらっても良かったのかもしれませんね…?」
JJさんたちも感嘆の声を上げる。
「ニャニャニャニャニャニャニャッ!!」
そのまま一気に攻撃モード。
コンラッド博士は意外な敏捷さで一気に中空に飛び上がり、シロンさんに激しい猫パンチを食らわせた。
「ニャニャニャニャニャニャニャ、ニャニャニャニャニャニャ」
「フン!」
ぺしっ。
シロンさんが片羽を軽く動かし、あっさりそれをはたき落とす。
現実は非情である。

「…………、なるほど。よーーーーく分かった。まともに付き合っただけ、無駄だった」
宙に浮かんで腕組みしながら、シロンさんはドスのきいた声で呟いた。
「バカバカしい。最初っからこーしてればよかったんだよ」

あ。
嫌な予感。
白い翼が大きく広がり、巻き起こる風と同時に辺りが更に一段暗くなる。

「ウィング・トルネーーーードッ!」

シロンさんの翼から吹き落とされた風の渦は、地面にぶつかって水平方向へと滑り、草を引きちぎり巻き上げながら一瞬でこちらに迫る。
そのまま激突する。
「ニャー」
「ニャー」
「ぎゃー」
あたしたちはくるくる回転しながらあっさり宙へと打ち上げられた。
とばっちりを食ったコンラッド博士のお友達たちが一斉にものすごい悲鳴をあげ、洗濯機にかけられたみたいにきり揉みされて、体のあちこちに猫がぶつかる。

阿鼻叫喚の猫の渦の中、あたしは呆然と考えた。
あんなこと喋っちゃって、ハルカ先生にちゃんとフォローをすることもできないまま話が終わってしまいそうです。
どうしよう。
っていうか、いくら何でもシロンさんに嫌われすぎじゃない?

溜息さえも周りの風に巻き上げられていく。
あたしは、隣で同じように飛ばされていく博士に向かって空しく声を張り上げた。

「ねっ!?ウィングトルネード、おっかないでしょー!?」
「やっぱり肉体労働は、苦手だニャアア〜…」




――言い訳するとここ最近のあたしは、調子の歯車狂いっぱなしだった。
ダンディーはいなくなり、見るもの聞くもの、今自分の立ってる場所が改めて分からなくなる気分になるようなことばっかりだった。
そうやって集中力が切れているから、普段だったら絶対やらない間抜けなミスをする…するんじゃないかとは、ちょっと前から薄々思っていたのです。

投げかけられて波紋が波紋を生むための、ひとつの小石。
あたしという存在がこの世界にあることによって変わるもの。

随分後になってから、あたしはこの日のことをものすごく後悔することになる。


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