第8章−3


制服姿の社員さんたちが廊下を行き交う。
会社のほとんどの人は、おもちゃ会社としての普通の仕事をしていて、レジェンズが本当にいることも、ここが本当は悪の組織だってことも知らない。
螺旋の運命に関わることが起きてるなんて思えない。いつも通りの、どこにでもある職場の風景。
前を歩く猫ちゃんの尻尾が、ゆらゆらと楽しげに揺れていた。

「ねー、博士。歩きながらでいいから教えてくださいよ。結局何なの?ウィルドルーツっていうのが、ドリームマシンなんですか?」
ドクター・コンラッドが驚いたようにあたしを振り返った。
「何ですか、アナタ。もしかして何も知らないのに、見に行きたいんですか?」
「そうなのです」
ちょっと気が引けて言い訳する。
「…知らないから知りたいなと思って。ダメですか?」
「とんでもありません。なかなか感心な姿勢です」
博士はうんうん頷きながらあたしを褒めてくれた。頭のいい人の感心のしどころはよく分からない。



「『ウィルド』というのは、地球を守る星の意志のことです。これはその、ルーツの話です」
と、猫ちゃんが教えてくれた。
「我々のリボーン源、と言えばいいんでしょうか。『幕を引く』前、地球の自然と未分化であるときのレジェンズたちが存在している場所がありましてね」

峻烈なる風、清冽なる水。灼熱の炎と静寂の大地がひとつところに存在する場所。それぞれの属性のレジェンズたちは種族ごとに群れを作り、伝承としきたりを重んじる原始的な社会を形成している。
地球の悲鳴が高まったとき、レジェンズたちは慣れ親しんだその地を離れ、各々が属する自然の象徴として人間の社会に具現する。…今がそう。
「言うなれば『レジェンズたちの世界』ですかね。我々全員の故郷みたいな、そういう場所があるのです」

「そんな話、聞いたことない…」
「かもしれませんね。リボーン後とは、だいぶ感じが違うところですから」
総務さんはゲームの設定だと言っていた。
あたしはアニメは見てたけど、ゲームのことはよく知らない。ニューヨークが舞台の話なのに、それだと丸ごとファンタジーの世界みたいだ。
「別の世界のことみたいでしょ。丸ごとファンタジーの」
と、博士も言った。
「実はその場所が、我々がリボーンされる『この世界』と地続きなのかどうか、はっきり分かっていないんです」

「分かってない?でも、元々はそこに住んでるんでしょ?博士も」
「住んでますけど、行ったことはありませんね」
博士は真顔で訳の分からないことを言った。
「世界の意志であるからには、この星の中心に存在してるはずなんですけどね。土や火のレジェンズが地球の内部を探しても、どこにもウィルドを見つけることはできませんでした。恐らくかの地は、レジェンズキングダム同様、物理的な方法では辿り着けない特殊な次元に存在し。リボーンによって行き来する以外、あの場所へ行く道はない、ってことなんじゃないかと」

それであたしは、猫ちゃんが「道探しの件」と言っていたことを思い出した。
「じゃあ、プロジェクトってその道を探すものなんですか?レジェンズの故郷でレジェンズが沢山いる場所へ、道を見つけて、行こうとしてる…」
つなげて推測しているうちに、あたしの胸を不安がよぎる。
レジェンズが沢山いる場所へ行こうとしてる。これまで世界各地のソウルドールを集めてきた、ダークウィズカンパニーが。
常識的に考えるとこの場合、博士の語る「道探し」の先にあるものは。
「ド…、ドクター・コンラッド!それってあんまり、良くない計画のような気がするんですけど!」

「まっ、良くない目的なんでしょうねえ」
コンラッド博士が肩をすくめた。
「いちいち人間の手でリボーンしなくても、道が開けばあちらにいるレジェンズたちを群れごと呼んで来れるわけですからね。リボーンされる力の流れを邪魔して、既にこっちにリボーンされているレジェンズを無理矢理封印することも可能でしょう。行ければ何だってできます。全てのルーツですから」
「そ、そんな…」
さらりと語られる事の重大さに、あたしは唾を飲み込んだ。続ける言葉が出てこない。
悪の組織が、無限の戦力資源を手に入れようとしている。
典型的な悪の野望だ。
ドリームランド・プロジェクトなんてドリーミーな名前だけど、悪のプロジェクトだ。

が、コンラッド博士は
「目的なんてど〜〜だっていいのですよ!」
あたしの心配をあっさりと斬って捨てた。
「このプロジェクトが真に興味深いのは、目的を実現する、その方法です。マニアの間ではちょっと有名な、異端の主張なんですよ。口にするだけでも闇を招くとされてきたのに、実際に試してみようとするなんて。何考えてるんですかね?闇になりたいんですかね?」

しきりにあたしを振り返って説明してくれるので、歩く方がおざなりになって、コンラッド博士の進行方向はだんだん斜めに逸れて行く。あっちにふらふら、こっちにふらふら。
とうとう廊下の壁にぶつかった。
気にする様子もなくそのまま立ち止まり、壁に体をこすりつけ始める。
「…何してるんですか?」
「…随分昔のことになりますが、螺旋の運命について非常に冒涜的な学説を唱えた、あるレジェンズがいましてね。彼だけはあの場所へ行く方法を見つけた…彼自身は見つけたと主張していたと、伝えられています」
コンラッド博士は神妙な表情でしきりに首を振り、廊下の壁に顔をこすり付けている。
テンションの上がってきた猫に似ている。
何してるのかはよく分からないけど、多分、博士にとって大事な話題だということなんだろう。
「根源への道を見つけることができないのは、探す場所を間違えているからだ、というのが彼の見解でした。世界の意志が星の深部に眠るものだと考える――それは螺旋の運命に支配されているが故の盲目である。世界をありのままに認識するならば、我々の故郷は自然ではなく人間の夢の中に見つかるだろうとね」

「夢…。だから、ドリームランド・プロジェクトなんですか?」
「ええ。だから、ドリームランド・プロジェクトなんです」
博士が頷く。
「本当に道が見つかり、『レジェンズたちの世界』に行くことができるなら、証明される。…彼がガリレオ・ガリレイだったのかどうか。肝心なのはそこなんです。行った後で何をするかなんてくだらない話は、どうでもいいのですよ」
「へ…へええ…」
頭のいい人の考え方はよく分からないなあ。あたしは普通に、目的の方が心配なんだけど。
ちょっと考えてからあたしは聞き返した。
「……、地動説の?」
「…この歴史の人間で例えればね」
こしこしするのに飽きたのか、コンラッド博士はふいっと壁から体を離す。ずれた眼鏡をちょこんと直した。
「偶然にしても面白い符合ですね。今回の人間の歴史には、彼の主張を連想させるいくつかの断片を見ることができます。アプリオリな意識世界。運命の変わる形。コペルニクス的転回、あるいはパラダイムシフト」



そんなこんなでだらだらしつつ、あたしたちはビル1階の正面玄関までやってきた。
受付の横には、王冠マークのついた会社案内のプレートが設置されている。コンラッド博士は歩いて行ってしげしげとそれを眺めた。
それから言った。
「…でっ、そのプロジェクトは、どこでやってるんでしょうね?」

正直、意表を突かれた。ふかふかした絨毯に靴先が引っかかって思いっきりつんのめる。
「ちょ…博士は知らないんですかっ!?そこまで言っといてっ!?」
「何せ、極秘のものですからねえ」
博士が何を驚いているんだと言いたげな顔であたしを見ている。
分かってた。この世界には変な人しかいないんだよ。あたしは、前から知ってたよ。

猫ちゃんは案内プレートを見ながら悠然と考え込んだ。
『ダークウィズカンパニーのダークな七不思議』って、聞いたことあります?」
「…は?」
「この案内図では、このビルは地下2階までしかないようですが。噂では、更に地下深くに立ち入り禁止の謎の空間があるそうなんですよ」
「へ…へええ…」
七不思議って言うからには、色んなバージョンがあるんだろうな。あたしがJJさんたちから聞いたのは、地下じゃなくてビルの上に、人喰いの獣が住んでるって話だったよ。
っていうか地下の話の場合は、あんまり不思議じゃなくない?
「それ、カードキーを持ってる人しか行けない地下階のことじゃないですか?」
と、あたしは聞いてみた。
「レジェンズ絡みの開発をやってる部署とか、ソウルドールの金庫室とか。そういう企業秘密的なモノは、普通の社員の行けない階にあるんだそうですよ」
あたしも下っ端とはいえレジェンズ班所属なので、そういう秘密を知ってる側だ。その七不思議だったら別に怖くない。人喰いの獣がほんとにいたら嫌だけどね。

「ああ…そっか。極秘プロジェクトをやってるとしたら、そっちの地下かもしれませんね?」
「ですねぇ。そのカードキー、持ってます?」
持ってるわけがないです。
「部長は多分、持ってると思うな。…最初にそれを言ってくれたら、報告に行っちゃう前に頼めたのに」
「ほほう。これは、間が悪かったですねえ」
「…………」
もしかして頭がいい人って、ちょっと頭が悪いのかもしれない。と、あたしは思った。
目標変更。部長が戻ってくるのをオフィスで待つことになって、あたしたちは来た道を戻る。



「太陽が地球の周りを回っていた時代、人々は、地球の一番近くにあるはずの星々を宇宙の法則に当てはめることができませんでした。地球が太陽の周りを回る時代においては単純な楕円で表すことができる星の軌道が、当時の人々にとっては『説明の付かない動きを見せる、惑う星』であったのです」
「はあ」
あたしも学校でそんなことを習ったような気がする。
人間の歴史まで知ってるなんて、この猫ちゃんは何て言うか、無駄に博学だなあ。実際の行動があまり賢く見えないのは、無駄なところに頭脳を使っているせいかもしれないよ。
「ある理論では説明のつかない矛盾が、範囲を拡張した新たな理論の獲得によって克服される。――我々の世界にもそうした事象の種が存在すると言えなくもないのです。それも、我々の存在の根本に関わる部分で」
ドクター・コンラッドは淡々と言い切った。
「サーガです」

「人間の手から地球を守る行為に人間が必要なの、謎だと思いませんか。それも、最も浄化されるべき種類の人間が」
あたしは一瞬ぽかんとした。
「ええと…今、何て?」
「最も浄化されるべき種類の人間、です」
あたしに分かりやすいように、猫ちゃんは丁寧に繰り返してくれる。
「あらゆるレジェンズウォーにおいて、サーガは文明の中核をなす都市か、その周辺に現れます。…今回なんかは、ちょうどこの街の辺りかもしれませんね」
「……。それは、当たってるかもしれませんね…」
「言い換えれば、レジェンズウォーにおいて粛清される何十億という人間の大部分は、サーガほどには地球を害していないということです」
窓から見える摩天楼を指差しながら、博士がのんびりと指摘した。
「生まれる前から文明の恩恵に浸り、環境を汚染する以外の生活を知らない子供。サーガはこの星にとってかけがえのないサーガであると同時に、連綿と地球を汚し続ける破壊の血統の、真正の後継者でもあるのです」
「…………」
その通りだともそれは違うとも返答しかねて、あたしはその場に凍りついた。
人間とレジェンズは違う考え方をする生き物なんだということを、こっちに来てからたびたび思い知らされる。どっちのせいで、どっちが悪いってことでもないんだけど。
コンラッド博士はそのまま窓際ににじりよって目を細め、喉を鳴らして陽射しを堪能した。
「これは、レジェンズの倫理からは説明がつかないことのように思われます。サーガの存在が運命の必然ならば、浄化のために最も浄化に反した存在を必要とする必然のルールとは、果たしてどのようなものなのでしょうか?」

あたしは引き気味に聞いた。
「レ…レジェンズがそんなこと言っちゃっていいんですか」
「レジェンズにも色々いるんですよ」
と、博士が答える。
「戦いが好きな者もいれば、ワタシのように肉体労働が苦手なのもいます。運命が不可解な形をとって現れることに、疑問を持たない者ばかりじゃないわけです」

あたしも窓の外を眺めてみる。一面のビル群が広がる景色。
確かにここからサーガが生まれるってのはおかしいといえばおかしいかもなあ。でも、もともとそういう設定で始まってる話だしなあ。
ここはニューヨーク州ニューヨーク市で。世界で一番、人の集まる街で。
…この腑に落ちなさ、覚えがある。
あたしは、前にも似たような違和感について考えたことがあったような気がする。

あたしはぎこちない動作で猫ちゃんの方に顔を向けた。
「つまり…『当然の設定だと思い込んでたけど、よく考えると変なこと』?」
「『設定』とはまた、架空の話みたいな言いようですね。アナタにも心当たりがありますか?」
「…………」
あたしも思った。
シロンさんはなぜブルックリンの風が好きなのだろうかと。

シロンさんお気に入りの丸い窓を覗かせてもらったときに気がついた。
シロンさんは、その本質の中に、レジェンズウォーの目的とは矛盾する設定を持っているんじゃないだろうか。
だって、あの窓から見える景色には、人間がいる。ブルックリンの風は、人間の街に吹く風だ。
もしかしたらそれはレジェンズが人間を滅ぼさなくても済むかもしれない、可能性みたいなもの。

同じ種類の矛盾に気が付いている人がいた。
同じ種類の矛盾を語っているはずなのに、猫ちゃんの言葉には、あたしの願望とは正反対のひどく冷たい響きがあって、安心するより緊張するのだった。

「レジェンズとて、世界の全てを知っているわけではないのです」
考え込んでしまったあたしを見て、コンラッド博士も考え込むような目になった。
「世界の意志を知ってはいても、我々は神ではない。被創造者にとっての理解とは、結局のところ、与えられたさまざまな事象から一定のパターンを推理し、法則らしき仮説を共有することでしかありません。ワタシたちは文明の黄昏時に現れて幕を引き、人間の手から地球を守る存在なんだろう、とね。――観測される矛盾は、『今我々が理解している世界』の限界を示しています。だから、彼がガリレオ・ガリレイだったかどうかが問題になるわけです」
「……、地動説の」
「ええ。全てを必然として説明できる別の理論が、あるいは存在するのかも。それを、ワタシたちがまだ知らないだけなのかも。太陽が地球の周りを回っていた頃、天動説の中にいた人々に惑星の軌道が見えなかったようにね」

ドクター・コンラッドにとっては、よほど興奮を覚えるテーマらしい。話しながら、瞳孔が暗闇にいる猫みたいに真ん丸に開いていく。口にするだけでも闇を招くって言ってたことを自分で思い出したのか、博士は途中でちょっと我に返って、首をすくめた。
「そして地球と太陽のように、レジェンズの中にこう考えた者がいたのです。レジェンズは世界各地の神話や伝承に残る『伝説の存在』だ。それは従来考えられていたように『レジェンズがいたから、人間が伝説を語り継いだ』のでは実はなく――『人間が伝説を語り継いだゆえに、レジェンズが生まれてきた』のではないだろうかと」
あたしはまばたきして聞き返した。
「伝説を語り継いだゆえに、生まれてきた…?レジェンズが??」
つまりそれは、太陽が回っていると思ったら、回っているのは地球の方だったみたいに。
さすがに意味が分からない。
「…どうやって?」
「…伝説が語り継がれることによって。これはワタシじゃなくて、そのレジェンズの、異端の学説ですけどね」

あくまでも彼の主張によればですよ、と前置きしながら、博士は興味津々な顔で語る。
「人間は心の奥底に無意識の世界を持っていて、その世界で時間や空間を越えて繋がっていると言われています。このプロジェクトの言う『ドリームランド』ですね。…ドリームランドの存在は、夢見る行為によって呼び出され、その人間の心の中に現れます」
それが、人間一人一人の見る夢になる。自由な風の峻烈さ。水の無限の清冽さ。全てを焼き尽くす炎の灼熱や、大地の深い静寂なんかについての夢。呼び出されたイメージは語り継がれ、共有されて心の中に深く根を下ろし、世界各地の伝説になる。
「『人間の精神の働きによって世界の壁を超え、形あるものとして現れる』。これが人間が伝説レジェンズを所有する構造であり、これはつまり――リボーンなんですよ」
と、博士は言った。
「リボーン。…」
「ええ。リボーンです」
ドリームランドの存在は、夢見る行為によって呼び出され、その人間の心の中に現れる。
ソウルドールに宿り、タリスポッドを媒介にすることで、レジェンズたちは夢ではなくて現実世界に具現する。

「この考えに基づいて、彼は世界のいくつかの謎に明快な回答を与えました。レジェンズがサーガを必要とするのは、人間のための物語には人間の参加者が必要だからであり。浄化を担う資格のない人間ばかりがサーガになるのは、サーガを選ぶ基準が『人間にとって、もっともらしいもの』に過ぎないからであり。…我々の故郷が星の内部に見つからないのは、レジェンズが星から生まれてはいないからなのです」
「…………」
レジェンズが星から生まれていないって、どういうこと?…とは、もうあたしも聞かなかった。
博士の言おうとしていることがじわじわ理解できてくる。
だけど、どうしてこんなに救いようもない話みたいに聞こえるんだろう。

「回っているのが太陽ではなく地球だと、言うに等しい。もしもドリームランド・プロジェクトが『道』を見つけることができたなら、レジェンズを生み出し、導く意志は人間の中に存在していることになります。我々は地球ではなく人間から生まれた、人間の精神の代弁者だった。てことに、なるわけですよ」
「…………」
完全に固まってしまったあたしを見て、コンラッド博士は満足そうに手でヒゲをしごいた。
「肝心なのは目的ではなく方法だということが、これでアナタにも分かりましたかね?」
「分かりました…分かりましたけど…」

あたしはまじまじと博士を凝視した。
「だけどそんな…まさか。だって、レジェンズウォーは?」
左右で色の違う瞳が、不思議な目つきであたしを見返す。
「何で?レジェンズウォーも。…まっ、何度も言うようですが、これは異端の学説ですからニャー」

あたしは突っ立ったまま、しばらくその言葉の意味を考えた。




ウィルド【wyrd】空白のルーン。宿命、または全ての可能性。

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