第8章−2


「ダークウィズカンパニー、社歌!」

ちゃらーらーら〜
ちゃらーらーら〜

「ダークウィズカンパニーは!」
「子供のために!」

「ダークウィズカンパニーは、世界のために!」
「ダークウィズカンパニーは、未来のために!」
「ダークウィズカンパニーは、自分のために!」

ちゃらーらーら〜
ちゃらーらーら〜
じゃーん。

部長がにこにこしながらタリスポッドをあたしの目の前で振った。
「今度のレジェンズは猫ちゃんよ、は、猫は好きかしら!?…ワニより」

部長の後ろで、J1さんが手で口元を抑えた。
「あっ。部長。何て余計なことを…」
J2さんが心配そうにこっちを見やって呟いた。
「どうせなら、同じ爬虫類の方が良かったんじゃないですかね。サラマンダーとか」

何とも反応しようがなくて、あたしは気の抜けた声で返事をする。
「はあ。……」
相変わらず気を遣われている。
それも何だか、見当違いのところで。
あたしの態度は多分心ここにあらずって感じに見えているんだろうと思うけど、それは本当は、全然別の理由なんだけど。

部長たちの言葉で、そう言えばもうダンディーがいないんだよなあ、と思い出して寂しくなった。
衝撃的なイベントが続いたもので、最初の方の悲しみをうっかり忘れかけていた。
ほんとは忘れるようなことじゃないんだけど。周りの状況に、自分の中の色んな回路が追いついてない気がする。
調子の歯車ガッタガタってこんな感じだろうか。
アパートを出るとき、ベタなドジッ娘みたいに人とぶつかりそうになったことを思い出した。
普段だったらやらない失敗だった。つまり、歯車ガッタガタのせいだ。集中力が切れているから、普段だったら絶対やらない間抜けなミスをする。
仕事でやらかして怒られないように、早いとこ立て直そう。


「と、いうわけで今回はいつもと別任務でーす!」
部長が廊下からダンボールを持ってきて、どさりと机の上に置いた。
箱の中には、CD-ROMやビデオテープが山ほど積み上がっている。
「社内の監視カメラに不審な人物の映像が残っていたそうよ。どうやら我がダークウィズカンパニーに忍び込み、レジェンズについて探ろうとした不届き者がいるらしいわ。残されたこの映像を手がかりに、何とかして侵入者の正体を突き止めるのよ!」

「へえー。…これはまた、途方もなく地道な作業になりそうですね」
「地道で、地味ですねえ」
「しょーがないでしょ、命令なんだから!たまにはいいじゃない。失敗続きで、テンション下がってたとこだったし」

「…俺ら、干されたんじゃないですよね」
J2さんがふっと不吉なことを言った。
部長がぎくりとした顔になる。
「やあねえ。違うわよ。…多分」
「何ですか…その、多分って」
オフィスに微妙な空気が流れる。

部長が腕を突き上げた。
「ええい、細かいことを気にするんじゃないわよ!リボーン、『ケット・シー』!!」
「にゃーーん!!」
土属性の緑のエフェクトとともに、黒っぽい毛並みの猫ちゃんが飛び出してきた。
後ろ足だけでちんまりとその場に立つ。背丈は人間の子供くらい。
着ぐるみを思わせる、絶妙の大きさ。

「ほ、ほんとに猫だ!かわいい!」
思わず声を上げると、部長が得意げに胸を張った。
「でしょ、かわいいでしょ!?撫でてもいいわよ、!」
「はい!」
あたしはいそいそと猫ちゃんの前にかがみこんだ。
毛足の長い、ふさふさの猫。顔の周りの毛だけがちょっと白くて、ぎざぎざした黒白のコントラストが星みたいな模様を作っている。
首には鈴つきの首輪をはめ、平べったい鼻の上には、インテリっぽい上品な丸い眼鏡。
おしゃれだ。おしゃれな猫だ。毛の手触りもすべすべで、洗い立てのぬいぐるみみたいな匂いがした。
あたしはそーっと猫ちゃんの頭を撫でつつ、
「にゃーん?にゃーーーん??」
意志の疎通を図ろうとしてみた。

左右で色の違う瞳がきょろりと動いて、あたしを見上げた。
「ど〜も。はじめましてー」
と、猫ちゃんは言った。

「しゃ、喋れるのっ!?」
びっくりしたあたしは、思わず失礼なことを口走った。考えてみれば、トリでもワニでも普通に喋ってたんだった。
猫ちゃんは偉そうに頷いた。
「喋れますよ。ワタシを誰だと思っているんです」
偉そうでありつつも、頭を撫でられて悪い気はしないらしい。ごろごろ喉を鳴らし始める。
「しゃ…喋れるんなら、ちょっとにゃーんって言ってみてくれますか!?」
「にゃーん」

JJさんたちが不安そうに突っ込んだ。
「…だけど、大丈夫ですか。こんなんで」
「ふつーにただの、猫じゃないですか。かわいいけど」
「失礼なこと言わないの!強力な、助っ人です!」
JJさんたちをたしなめつつ、部長も心配そうに猫ちゃんを見やる。
「……、そうなのよね?」

猫ちゃんは気取った仕草で鼻の眼鏡を押し上げた。
「ええ、ワタシでお役に立てることなら何なりと。…呼ばれたのって、例の道探しの件ですか?」

猫ちゃん以外の全員が、首をかしげた。
「例の…道探し?」
「人だよね。探すのは」
部長が机の上のダンボールを指差して、猫ちゃんに任務の内容を説明する。
猫ちゃんは半目になってふーっと息を付いた。
「そんな用事ですかぁ。じゃーワタシ、『ウィルドルーツ』のプロジェクトに呼ばれたんじゃ〜なかったんですね」
言いながら、ヒゲがちょっと垂れ下がった。猫ちゃん的には期待外れだったらしい。
「何の話よ?ウィ…何とかって」

そこでオフィスのドアがノックされ、
「失礼します」
総務さんがディスクが入った追加のダンボールを抱えて入ってきた。
ダンボールを机の上に置きながら、総務さんは当然のようにあたしたちに解説を入れてくれた。
「正式名称は『ドリームマシン・プロジェクト』。わが社の超・重要・極秘プロジェクトです」
部長が怪訝な顔になる。
「そんなことやってたの?私、聞いてないけど」

J2さんがもう一回言った。
「…俺ら、干されたんじゃないですよね」
「しつこいわね。違うわよ。…多分」
と、部長が答え、再び微妙な空気が流れる。
総務さんが説明になってない説明を付け加えた。
「こちらはゲームの方の設定になっております」

その言葉の意味を分かったのは多分あたしだけだ。
ぎょっとなって顔を上げると、総務さんもちょうどあたしを見ているところだった。
卵形の穏やかな顔。つぶらな瞳。
この人また、当然のようにメタなこと言ったよ。前にもあったよ。
その黒目がちの瞳の奥に底知れぬ何かが見えるような見えないような気がして、あたしは総務さんを見つめながら口ごもる。
「あの。それって一体…――」
「それでは、私はこれで」
総務さんは微笑みながら軽く頭を下げ、用事は済んだとばかりにさっさと出て行ってしまった。
取り付くしまもなかった。
ほんとに何者なんだろう。

猫ちゃんがあくびした。
「まっ、情報の分析ならワタシの得意分野ですよ。とりあえずその映像とやらをチェックしてみましょーか」
猫ちゃんに促され、あたしたちは今日の任務に取りかかることにした。


「まずは確認されている映像を再生してみましょう」
猫ちゃんは当然のようにPC前の椅子に陣取り、その左右から部長とJ1さんがモニターを覗き込んだ。
…あたしも覗いてみたかったのに、ポジション取りにあぶれてしまった。仕方がないのでJ2さんと一緒にダンボールに入ったディスクの整理に回り、添付のリストを読み上げる。
「これは、どこの映像なの?」
「食堂と休憩室です。食堂のおばちゃんの目撃証言から、侵入者は一般社員を装ってビルの各所に出没したと思われる。あと、地下1階の西通路。ここのカメラの同日午後2時すぎに、不審な動きの人物が映っているそうです」

部長とJ1さんがモニターを睨みながら話し合っている。
「うーん。顔は、結構はっきり映ってるわねぇ」
「だけど、顔だけ分かっても…この顔の女を、ニューヨーク中探して回るんですか?」
「そうとも限りませんよ」
二人の会話を冷静に遮ったのは猫ちゃんだ。
左右で色の違う目は、モニターの光を受けてらんらんと光っている。
「ある程度資料が集まれば、行動パターンを分析、目的を推測し、人物像をかなり絞り込むことが可能になります」
「へー…」
「ほー…」
カチカチカチ。
ぷにぷにの肉球の手がすばしこくマウスを操作し、映像を高速で早送りしながら、侵入者が映っている部分を見つけては止めていく。
「目撃証言からすると、他のカメラにも映像が残っている可能性が高いですね。同じ時間帯の本社ビル各場所を確認しましょう。それから、日付を遡ってみます。犯人が事前に下調べを行っているかもしれません」

J2さんが感に堪えないように言った。
「賢い猫だなあ」
「頼もしいですねえ」
あたしも頷いた。

そのまましばらく、淡々とした作業が続いた。
やがて、プロファイルできるだけの情報が集まったらしい。猫ちゃんが手を止め、おもむろに口を開いた。
「ふむ。…諸々の状況から推察するに、侵入者はこの会社に危害を加えようとか、レジェンズを使って利益を得ようとか、そういったことは考えていないようです」
「じゃあ、何が目的だって言うの?」
「ふむ。ずばり、これは…」
と、猫ちゃんの推理が核心に入ろうとしたとき、
「あれ?」
J1さんが空気を読まずに声を上げ、モニター前に身を乗り出した。
「見てください、部長。ここに映ってるの、新人じゃないですか?」
「あら。本当だわ。…どういうことよ、これ」

「え、あたしですか?何か?」
あたしは慌てて立ち上がり、皆の後ろからモニターを覗き込んだ。

画面は、会社の正面エレベータを映した映像だった。
あの狭い空間でどうやったらそんなことになるのか、中に乗っていたらしい3人が、折り重なって床に転んでいるところだ。ダンボールまで一緒にひっくり返り、辺りはとっ散らかっている。
「ほんとだ。この映ってるの、あたしみたいですね」
これ、アンナちゃんの外回りが続いて、あたしが社内で雑用をしていたときだと思う。
あんなところにカメラがあったんだなあ。
JJさんとお揃いぽい黒服があたしで、事務員っぽい七三分けのおじさんは、ゴブリンさん。それと、ハルカ先生だ。あの時は本当にびっくりした。ふと上を見たらすごい格好で天井に貼り付いてるし、何してるのか聞いたら落ちてくるし。
あれは一体何だったんだろう。
モニターを眺めながら何となくそこまで考えて、
「…ん?」
あたしはようやく気が付いた。
「ああ。侵入者って、ハルカ先生のことだったんですか?」

皆が一斉にこっちを向いた。
部長がすごい声で言った。
「知り合いなの、っ!?」
猫ちゃんがクールな解説を加える。
「にゃるほど。潜入の動機を持った人物が関係者の身近にいる、というのは、いかにもありうる話です」
「ち、違いますよ。この人はシュウたちの担任の先生じゃないですか。部長たちだって、顔は知ってるでしょ?」

と、言ってから思いついたけど、あたしたちがシュウを尾行しているときに見かけるハルカ先生は、あくまでアルバイト教師のハルカ先生@変装バージョンなのだった。
これは前からちょっと不思議には思ってて、ハルカ先生はこの映像にあるふじこちゃんみたいな格好の方が本領で、かなりアグレッシブにレジェンズの追っかけをやってるはずなんだよね。行動範囲は結構かぶってるはずなのに、そっちで活動しているハルカ先生を全然見かけない。出くわしたのは、エレベーターで会ったこのときだけだ。
部長とJJさんが、納得できない様子で首をひねる。
「あの先生、こんな人だったっけ?もっとこう、地味系の…」
「ほら、こっちの。髪を下ろしてない、社員に変装してる画像見てください。感じが似てませんか?」
「うーん。言われてみれば、何となく…」
「地味系かと思いきや、実はこんなに美女だったんですねえ」
「いいなあ、美人アルバイト教師…」

部長が静かにあたしの肩に手を置いた。
「と言うかね、。…会ってたんならなぁんでそのとき言わないの!!」
後半、尻上がりに部長の声がぐわっとボリューム最大になって、あたしは思わずよろめいた。
「もっ、問題になることだとは思わなくて…」
「問題じゃない!?会社のエレベェーーーターの天井に、人が!しかも社外の人間が貼り付いている状況が!どうして問題じゃないだろうと思ったわけっ!?」
部長がモニターに向かってぶんぶん人差し指を振り立てる。
「いや、あたしも何だか変だなあとは思ったんですけど!そうじゃなくてもここ、元々変な人が多いじゃん!」

苦し紛れに、思わず常々思っていたことを口に出してしまった。ちょっと沈黙が落ちた。
JJさんたちが顔を見合わせる。
「まあ。言われてみれば」
「一理、ありますねえ」
部長が納得したように頷いた。
「そうねえ。……、仕方ないか」


こうしてあたしたちは、意外にあっさりと侵入者の正体を突き止めることができたのでした。
「上に報告してくるわ。あなたたちは、そのダンボールを返してきたら解散していいわよ」
デスクを片付けながら、部長が言った。
猫ちゃんが得意げに眼鏡の位置を直した。
「ふふん。何とも、簡単な仕事でしたねえ。それでは、ワタシは『ドリームマシン・プロジェクト』の方に顔を出してみるとしましょうか」
横からJJさんが突っ込んだ。
「っていうか。キミは結局、何もしてなくない?」
「判明したのは新人のお手柄というか、そもそも新人のせいというか…」
「あはははは…」
笑って誤魔化しながらも、あたしは猫ちゃんの言ったことが気になった。
「結局その『ドリームマシン・プロジェクト』って、何なんです?」

「言ったでしょ。『ウィルドルーツ』のプロジェクトですよ」
と、あたしを一瞥し、猫ちゃんは説明した。
「――その正式名称が、よりにもよって『ドリームマシン・プロジェクト』だということは。つまり、本気で『夢』から見つけるつもりなんでしょう。果たして実現するものかどうか。レジェンズたちとレジェンズウォー、そしてこの世界…螺旋の運命に関心のある者ならば、これは絶対に外せない話題ですよ」
何ていうかその返事は、全然疑問の答えになってないと思う。
J1さんが肩をすくめて笑った。
「何のこっちゃ」
「にゃーん」
他人の反応はあまり気にしない人らしい。猫ちゃんは左右色違いの目をちょっと細めて、伸びをし、それ以上は何も言わなかった。
青と緑のオッドアイ。この猫ちゃんには良く似合っていて、どこか見る者を落ち着かなくさせる奇妙なバランスを持っている。
頭脳派っぽい猫だなあとは思ってたけど、今の口ぶりからするに、レジェンズウォーについてもかなりの知識人なようだ。

螺旋の運命。
その言葉は、否応もなくあたしの意識を、最近の謎過ぎる出来事へと引き戻す。
あたしも螺旋の運命に関心のある者には違いない。多分、関わってる。事態が色々シュールすぎるせいで、自分が何をしたらいいのか見当が付かないだけだ。
絶対に外せない話題ってどんなことだろう。
「猫ちゃん、あたしも!そのプロジェクト、一緒に見に行ってもいい??」
手を挙げて頼む。
猫ちゃんは無言で腕を曲げ、しばらくこしこしと顔を洗った。首輪に付いた鈴が鳴る。
やっぱり駄目かな。
総務さんも超・重要・極秘プロジェクトだって言ってたし。
「…ワタシは猫ちゃんではありません。ドクター・コンラッドです。博士とお呼びなさい」
って、駄目だったのは呼び方か。

「すみません、博士。…あたしも一緒に行っていいですか?」
あたしが丁寧に言い直すと、ドクター・コンラッドは鷹揚に頷いた。
「かまいませんとも」


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