第6章−8


暮れなずむブルックリンのオフィス街、あたしはうつむき、靴の先で所在無く石畳を蹴りながら、会社を去りゆく同僚と語り合う。
「あ…アメリカンVシネマだよ?アメリカンVシネマだよ!?そういうの、退社理由としてアリなわけ!?」
「はっはっは。ほんと、生レジェンズは気楽に放流する主義だよね〜」
ダンディーはすっかりさっぱりした顔になって笑っていた。

「…これからどうするの?」
「どーうしようかねえ。ま、どっかでバイトでも見つけて、真面目にこつこつやるわ。シロンの兄貴の言うようにさ、俺は、俺なりに強くなってみせるってな」
「そう。……」
だからそれは、Vシネが元ネタだって言ってんのに。
ダンディー的には、あの時の言葉で自分の未熟さを思い知ったことに変わりはない、ということのようだ。ダンディーがシロンさんに抱く深い尊敬の念は、いささかも揺るがない。
あたしは腑に落ちないけど。ダンディーがそれでいいなら、しょうがない。多分、シュウが言っていた男と男の戦いがどう…とかいう種類のことなんだろう。

DWCを離れて新しいことを始める気になったんなら、止める理由はない。
ダンディーにとってはきっとその方がいい。
ダンディーは、短い間ではあったけどあたしの同期みたいなもんだったし、ご飯も一緒に食べてたし、あたしがこの世界に来て初めてタメ口で話せた相手だった。
あたしは下を向いた。
「……寂しくなるよ」
「辛気臭えこと言うなよ〜。俺がダメなら、次のレジェンズの出番ってだけだろ?まあ。また頑張れや」
「うん。……」
ダンディーが呑気な声で慰めてくれるけど、あたしのテンションはどうにも上がらないのだった。

っていうか、あたしはダンディーのことが好きだったんだと思うよ。
だから、シロンさんをやっつけたかった。
自分で自分をシロンさんよりも格下だなんて言った。ダンディーは大人で、いい人で、あたしはずっと一緒にいたいのに。今にして思えば、あたしは多分、ただそのことが悔しかっただけなのだ。

思い切って話してみようと、顔を上げる。
「あのさあ」
「あのさあ」
ダンディーもちょうどあたしに言うことを思いついたらしくて、発声がかぶった。
「……。何?」
「いや…そっちからどうぞ」
譲ってみる。
「大したことじゃねえんだが。退職ついでに聞いていこうと思ってな」
そう言って、ダンディーはぎょろぎょろした目をちょっと細くした。
大したことじゃない、とは自分でも思っていないんだろう。何かを警戒しているときの目だ。

「シュウゾウ・マツタニのタリスポッドのことなんだがよ。アレの回収命令を出してるの、一体誰なんだ?」
何となく緊張しながら、あたしは答える。
「さあ…あたしの聞いてることは、ダンディーとほとんど変わらないよ。命令は、部長が社長からもらってるみたいだけど」
ダンディーはいっそう渋い顔になって首を振る。
それから静かに後ろを振り返り、テーマパークの建物みたいな本社ビルを見上げた。
「…人間がレジェンズ使って金儲けする会社かと思ってたんだけどさ。どうーも色々、やってることが妙だよなあ」
「あはは。何を今さら――」

「シロンの兄貴のことだけどさあ」
ダンディーはあたしを遮って続ける。
「風のサーガが、ちゃんとリボーンしてたよな?見たとこ特に問題はなさそうだった。戦ってみたのは、それを確かめたかったってのもあるのよ」
「…………」
そういえば言ってたなあ。他に色々話すことがあったから突っ込んで聞かなかったけど、確かめてみたいことがあるとか何とか。
ダンディーは気にしていたのだ。
何かを。

「問題はない。だから、分からねえのよ。『戦争のために』シュウゾウ・マツタニからタリスポッドを取り上げる、理由がな」
と、ダンディーは言った。

「『戦争』とウインドラゴンの関係を知ってるってことは、これはただの人間の金儲けじゃねえ。なのに、やることの辻褄は合ってねえ。『戦争のため』ならあのままにしときゃ〜問題ないのに、なぜサーガからタリスポッドを取り上げる?一体何が目的で?」
ダンディーは静かに、ゆっくりと言葉をつなげていく。
「だから、これは。ただの人間の金儲けと見せかけて実のところは限りなく事情通のレジェンズ――と見せかけて、さらに実のところは、レジェンズの立場とは全然違う『誰か』が、俺が思うのとは違う『戦争』の準備をしてるってことになるんだろうよ。『いつもと違う戦争』を望む『誰か』。そんなヤツがいるとしたら、――…闇以外にはねえと思うんだ」

ダンディーはそこで言葉を切って、じっとあたしを見た。
表面の部分では陽気で豪快なダンディーだけど、本当は信じられないくらい長い時間を生きてきていて、あたしには見えない場所で色んなことを考えている。水だけに、海みたい。たまにその底知れなさを表に出すとき、あたしはいつでもちょっと怖い。
「…で、おめーもその一員なのかね、?」
淡々と推理されたあげくそう尋ねられて、あたしはやましいこともないのに変な汗が出た。
「えっ。違うよ。違う…、ような気がします」
「何だよ。ような気がする、ってのはよ」

「ちょ…ちょっと待ってね」
知ってるキャラのことをメモしてあったことを思い出し、あたしは社員手帳を取り出してページを繰った。
「『いつもと違う戦争』を望む…CEOは、多分そうだと思うけど…。ランシーンもなの?それ、どういうこと?」
ダンディーが呆れたように言った。
「誰だよ、ランシーンって。つーか、あんちょこ見た挙句俺に確認するって、そっちの方がどういうことよ」
「うん。……」
あたしはダンディーの顔を見つめながら、何か言おうとして口を開いた。
決心しきれずに迷って、続ける言葉が浮かばない。

誰かにあたしのことを話してみてもいい気がする。考えてみたら、別に口止めされている訳ではないのだ。
話すとしたら今しかない。ダンディーは行ってしまうのだから。

でも、あたしを闇だと思ってる。変わることも。その感覚が理解できない。
ダンディーとあたしは、それだけ根本的なところで隔たった生き物なんだろうと思う。寿命も人生の目的も価値観も、考え方の全てにおいて。
レジェンズと人間が、望む世界は同じだろうか。
ダンディーとあたしの利害は一致するだろうか。
そうならいいけどそうじゃない場合、あたしはこんなに頭の回る人に世界の根底をひっくり返すような情報を与えた挙句、敵にすることになる。

口を開きかけたまま固まっているあたしを、ダンディーが慎重な目で眺めている。
それで余計に何も言えなくなって、微妙な時間がしばらく流れた。

迷ったような沈黙の後、ダンディーはあたしの答えを待つのを止めて、首を振った。
「…おめーはいいやつだよ、
自分に納得させようとしているみたいにダンディーは呟いた。
「言ってることは時々変だが、お前は悪いやつじゃねえ。俺は、それだけでいいわ」
しばらく考えてみた後、あたしは溜息をついてダンディーに乗っかった。
「…あたしも、それだけでいいや」

悩んだ挙句に、いかにも自分に自信のなさそうな答えになってしまった。
ダンディーが軽く吹き出した。
「なーんだかんだ言ってお前さあ。自分のやること、ほんとは全然分かってねえんだろ?」
「……!」
痛いところを突かれて、あたしはたじろいだ。
ダンディーは色々鋭すぎるよ。
何もしゃべってないのに、どうしてあたしの秘密のピンポイントにダメな部分が分かったんだろう。

「まっ、俺もそうなんだけどな」
ダンディーはふーっと息をついて、肩をすくめた。
「俺みたいなしがない一レジェンズには、『運命』ってヤツはでかすぎるように思えてなー。途方もなさすぎて、自分が何のためにここにいるのかとか、これから自分に何ができるのかとか、そういうことは全然――…シロンの兄貴に会うまではな、全然だった」
途中で何かに気づいたみたいで、ダンディーは面白そうに上から下まであたしを眺めた。
「ああ、そっか…。だからお前は、レジェンズに似てるんだわ」

あたしは今更納得する。
「見た目の話じゃなかったんだね」
「そらそうよ」

あたしを見つめる目元がふと和らいだ。ダンディーは声を低めて、ひっそりと言った。
「レジェンズウォー、止められるといいな」
意外な言葉だった。
あたしは思わず聞き返す。
「…え?」
あたしは数日前に同じことを口にして当のダンディーに爆笑された覚えがあるんだけど、今は、ダンディーは笑ってはいなかった。
「ウインドラゴンに会って、思ったわ。あの人に――シロンの兄貴に、戦争は似合わねえよ」
あたしは心から言った。
「ダンディーにも似合わないよ」
「そうかね。…そうだといいんだがね」

ぽつりとそう答えた後、余計なことをしゃべりすぎたと思ったのか、ダンディーは会話を振り切るように腕で辺りの空気を払った。
お別れは終わりだ。
くるりとあたしに背中を向ける。
「じゃ、行くわ!オレも頑張るからさ、お前も色々頑張れよー」
「うん。…元気でね、ダンディー」


去っていく後ろ姿を見送りながら、思わず叫んだ。
「――また会えるかな!?」

ダンディーはあたしに背中を向けたまま、片手を上げて手を振った。


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