第9章−7


今日はいつもにもましてひどい一日だった。
とぼとぼと道を歩く。

小さな公園の側を通りがかったとき、
「リボーン!!ブレイズドラゴーン!」
「わっ!?」
誰かの叫び声と共に、視界の端でオレンジ色の炎が光って、あたしはトラウマのあまりその場でひっくり返りそうになった。

小さな男の子が二人、タリスポッドを持って何やらポーズを決めている。
よくよく見たら光っているのは炎じゃなくて、オレンジ色のホログラムでできた、実物よりは随分小さい炎の竜だった。

あのタリスポッドが、世に流通してる「本物じゃない方の」タリスポッドか。
おもちゃのレジェンズバトル。…実物ほどではないとはいえ、一瞬びびるくらいの大きさと迫力だ。

「ええー…。ほんとに良く出来てるなあ…」
そのままふらふらとフェンスの金網にもたれ、あたしはおもちゃのレジェンズバトルにしばらく見とれた。

あれはおもちゃのレジェンズだ。それはそれとして、あれのモデルになった本物のレジェンズというものが存在していて、本物のソウルドールとタリスポッドを使えば、おもちゃと同じ手順で本物をリボーンできる。入れ子のようなその設定は、外の世界から来たあたしにとっては、ややこしいことこの上ない。
ダークウィズカンパニーが「おもちゃのタリスポッド」を作り、「おもちゃのレジェンズバトル」を作ったことに、何か意味とかあるのかな。
コンラッド博士が言っていた。
物語の形。
人間が真似て作った中にも、そのようにある形。

ふしゅん、としぼんだような音がして、片方のホログラムが薄れて消えた。

バトルにならない。対戦相手がびっくりして自分のタリスポッドのスイッチを切り、故障した方の子供は唇を尖らせて光の消えたタリスポッドをカチカチ弄る。
「やっぱダメだなー!ダックマインドカンパニーのタリスパッドは」

「タリスパッドぉ?タリスポッドじゃなくて?」
「これ、ダークウィズカンパニーのじゃなくて、ダックマインドカンパニーのなんだ。だから、タリスパッドなの。ほら」
二人の子供は、頭をくっつけあってお互いのタリスポッドとタリスパッドを見比べた。
タリスポッドを持った子供が、呆れたように笑った。
「なーんだよそれニセモノかよー」
笑われた方が口を尖らせる。
「だって、こっちのが安いんだぜー」
「でも、すぐ壊れるじゃん?」
「壊れたら新しいの買えばいいんだよ。捨てちゃっても全然惜しくないしさっ」
笑われたのが気恥ずかしいのか、小さな男の子は、ことさらにかっこつけた投球動作でタリスパッドを公園のくずかごに放り込んだ。
「そっか〜、はははー」
「ごめんね。続きはまた今度やろー」
それでここでの遊びは切り上げることにしたらしい。
二人の子供は、肩をすくめて仲良く笑い合った後、あたしの後ろをぱたぱたと通り過ぎて行った。

――ダックマインドカンパニー、か。

ダークウィズカンパニーは「おもちゃのタリスポッド」を作って「おもちゃのレジェンズバトル」を子供たちの間に広めたが、それに便乗し、よく似たパチモノを売り出して儲けた会社というものもあるらしい。
JJさんたちが前に言ってた。
『訴えれば勝てると思うんだけどねー。法務部も動いてたらしいんだけど』
『当時の社長が、我が社の夢は一人でも多くの子供たちがレジェンズバトルで遊んでくれることだ、とか何とか変なコメント出して、話が全部潰れちゃったんだって。そこからはもう完全に野放し状態』
安いから売れるけど、ニセモノなのは子供でも知ってる。誰も本物と同じ扱いはしない。そういう会社の、そういうおもちゃだ。

それは、今日出くわすと、どうしようもなく気が滅入る光景だった。
あたしは子供たちと入れ替わりに公園の中に入り、何となくくずかごのふちに手をかけた。
ダックマインドカンパニー。
「……。確か、あの子の」

『それはね、そんじょそこらのモノとは違う、本物のレジェンズなの!この、レジェンズ泥棒ッ!!』
部長に言われて、死にそうな顔になってたっけ。

BB部長って時々、他人の運命に突き刺さるセリフを発する天才だと思う。本人には絶対自覚がないだろうけど。
できることならあたしが代わって謝りたい。
部長に悪気はないのです。
本物だとか泥棒だとかは、ディーノくんのお父さんの会社の経営戦略的なことについて非難したとかでは、全然ない。
そのことを、何て言うか、ディーノくんに教えることができたらいいのにな。
今度マックさんに会ったら頼んでみようかな。

ぼんやり考え込んでいたとき、
「ごめんなさい。…ちょっとそこ、いいかしら」
涼やかな声と甘い匂いがして、あたしの横に女の人が割り込んできた。
真っ赤なマニキュアをした手が、くずかごの中の「タリスパッド」を拾い上げる。
色素の薄い髪を綺麗に巻き、濃い目のメイクに、露出の多い華やかな…というか、普段着だとしたらどぎつすぎる趣味の服に身を包んでいる。そんな格好でニューヨークの街を歩いて大丈夫なのかと思うくらいの、恐ろしく美人で派手なお姉さんだった。
どぎつい美女は、あたしに向かってぎこちなく微笑んだ。
「こんにちは。…よく会うわね」
「…あ」

挨拶されてようやく分かった。アパート前で二度ほどぶつかったことがある、謎のフラグ美女だ。
会うたびに全然違う格好をしているので、同じ人だと気付くのに時間がかかる。
「…………、……」
今日の美女は、じっとあたしを見つめながら、挨拶に続いてかける言葉を探しているようだった。格好が違っても、こちらの様子を伺う表情がどこか寂しげなのはいつも変わらない。
あたしはふと、マックさんを思いつめるような表情で見つめていたディーノのことを思い出した。
この人も今、あたしに話したいことがあるのかもしれなかった。


何とはなしにバスケゴールの横のベンチに歩いていって、座る。
あたしの隣に座りながら美女が尋ねた。
「時間はいいの?」
「はい。仕事が終わったとこなんで。もう家に帰るだけです」

あたしが言うと、美女は目を伏せ、物憂げな表情になって呟いた。
「昼間、あなたを見かけたわ。…ダークウィズカンパニーにお勤めだったのね」
「えっ!?」
思わず顔がこわばった。
もしかして、今日のあの局地的大惨事を、この人に目撃されてしまったのだろうか。見られてたんだったら、ガソリン撒いて放火してた、くらいのことを疑われてもおかしくないレベル。

「草野球の試合で…。ウイニングストレーカーズ対、ええと、何て言ったかしら…」
「あああ〜。そっちですか〜」
ほっとして溜息をつく。
こんな何でもない会話でも、いちいちやましいことを気にしなくてはいけないのが、悪の組織の辛いところだ。
「リキリキリッキーズ、でしょ。あなたも見に来てたんですね。だったら声かけてくれてもよかったのに…って」
安心して一息に喋り、途中で、あたしはまだこの人の名前を知らないことに気が付いた。
「あたし、って言います。あなたは?」
返事に奇妙な間があった。
「…ヴァネッサ。ヴァネッサ・パークスよ」
と、美女は名乗った。

「ヴァネッサさん、ですか。…」
礼儀正しく繰り返しながら、あたしは内心首をかしげる。
この人とよく会うのは何かのフラグのような気がするんだけど、登場キャラの中にそんな人いたっけな。名前を聞いても、全然ぴんと来ない。

「声はね…かけようと思ったの。でも、勇気が出なくて。…」
ヴァネッサさんは独り言のように言い、膝の上のタリスパッドをゆるく握った。
かちり。壊れて捨てられていた物だから、スイッチを入れても何の反応もない。かちり、かちり。所在なさげな手つきは、特に動くことを期待しているようでもなかった。
タリスパッドを弄りながら、ヴァネッサさんはぼんやりと物思いに沈んでいる。
「あんなに近くにいたのにね。いざとなったらやっぱり、どんな言葉をかけたらいいのか、全然分からなくなっちゃって。結局、私には無理だったのかもしれない」

そう言って、ヴァネッサさんは悲しそうにうなだれた。
雰囲気につられて、あたしも難しい顔になった。
「うーん。…」
確かに、微妙な知り合いを見かけたときって、挨拶するかあたしも迷うけど。
あの試合でのあたしたち、そんなに思いつめるほど声をかけづらい状況だったかなあ。

他人の目線から見た自分たちを想像してみて、あたしははっと思い当たった。
そういえば、今日はエドさんが一緒にいたのだった。火のサーガの格好で。
そりゃー挨拶しにくいよね、一度は自分も着た衣装だからあまり認めたくはないが。微妙な知り合い程度の間柄では、どんな言葉をかけていいのか見当も付かない空気だったに違いない。

そしてそのついでに、何となく事情が分かってしまった。
会うたびに格好の違うこの人が、今日あたしに声をかけたくなった理由。
「あの…見当違いだったらごめんなさい」
慎ましくあたしは聞いた。
「もしかして、コスプレの話ですか?」
「えっ」
「あれ、会社で売ってる衣装って訳じゃないんですよ。職場の皆で色々工夫して…元手のかかってるものでもないし、もし必要ならお譲りしましょうか」
「…………」
「えっ。今『えっ』て言いました??違うの!?」

微妙な空気が流れた後、ヴァネッサさんはくすりと笑った。
「…いえ、ごめんなさい。違わないわ。そういう風に考えたことはなかったけど、あなたの言う通りよ」



「私はね。探していたの。…」
ヴァネッサさんは、うっすら笑って空を見上げた。
、あなたは信じる?人ってね、何にでもなれるんだって」

「?…何にでも?」
「そうよ。何にでも」
なるほど。それで、コスプレなのか。
素敵な言葉だ。
素敵な言葉を口にしながら、ヴァネッサさんが寂しそうなのが、何だか余計に悲しく見えた。

「人は変われるの。いつからだって、これからどんな人になりたいかを、自分で選べるのよ」
あくまでも静かな言葉が、淡々と宙空に投げ出されていく。
「その時は届かないように思えても、なりたい自分の形を決めれば、そこに近づこうって思って頑張れるでしょ。頑張ってたら、決めた形に中身が絶対追いつけるんだって。…そう、あの人は言ってた。まず形から入るのが、スパークス家の家訓なんだって」
「へええー…」

「…頑張る人だったの」
と、ヴァネッサさんは呟いた。
「だから、何でもできる人だった。…誰かの作った物の、形だけを真似ることも」
そこまで言って、笑顔が消える。ヴァネッサさんは自分の手元を見つめながら、しばらく無言になった。
「困っちゃうわよね。こういうの、ダークウィズカンパニーの方にとってはとても腹の立つ話でしょう」
あたしはお行儀よく答えた。
「いえ、腹が立つなんてことは。うちの会社は、おもちゃはもちろん、コスプレなどのパーティーグッズの展開にもとても力を入れてますから」

返事はしてみたけど、正直今、どこからうちの会社の話になったのかよく分からなかった。
何だろ、この違和感。

「スパークス…。えっと、ヴァネッサさんの苗字は、パークスですよね?」
首をかしげてあたしが聞くと、ヴァネッサさんは真正面を見つめたまま数回まばたきをした。
「…間違えたわ」
と、棒読みのようにヴァネッサさんは言った。
「ふーん」
あたしは首をかしげたまま相槌を打つ。
カタカナ名前はややこしい。

「…私は間違えたわ」
ヴァネッサさんはもう一度言った。
ベンチに腰掛け、綺麗な形の脚をぶらぶらさせる。
そうしてしばらく黙りこんだ後、
「例えばね、。自分にとってどうしても納得できない、悲しいことがあるとするでしょ」
ごく遠慮がちに、小さな声でヴァネッサさんは言った。

「世界にはきっと、どうしようもないことが沢山ある。なのに皆が自分のことだけ考えて、感情をむき出しにして言いたいことを言ったら、大変なことになるでしょう」
「…………」
「だから、皆我慢してるんだって、私は思ったわ。納得して、我慢して、大人にならなきゃ…大人にならなきゃいけないって、誰に決められたわけでもないのにね?」
タリスパッドを弄りながら、ヴァネッサさんはぽつぽつと言葉を吐き出す。
物思いに沈んでいる。多分、ヴァネッサさんにとって何か大切なことを、思い出しているんだろうと思う。
そのことについて、とても長い間、沢山のことを考えてきたんだろう。それが何かはあたしには分からないけど。
色んな理屈や説明を考えて、ああでもないこうでもないって悩んで捨てて、残った言葉。
「…間違ってたの。本当は、どんなにどうしようもなくても、嫌なことを『嫌だ』って言い続けることを諦めてはいけなかったのよ」

「嫌なことを、『嫌だ』って言い続ける…?」
ヴァネッサさん。
謎のフラグ美女。
名前こそ判明したものの、以前よりさらに謎は深まった感があるのだった。
ひょっとしたらこの会話も何かのフラグなのだろうか。

「…良く分からないな」
しばらく考えた後、あたしは正直に言った。
どうしてあたしに話をしようと思ったのかは分からないけど、この人だって、事情を知らないあたしに訳知り顔で同意してもらいたくもないだろう。
「あたしがヴァネッサさんでも、それは諦めるかも。『嫌だ』って言い続けたところで、どうしようもないことがどうにかなるとは思えないし…」

ヴァネッサさんが顔を上げてあたしを見た。
淡い色の瞳が、水の揺らめきのように揺れる。視線はあたしに向けられているのに、どこか遠くを見ているようでもあった。
「ええ。そんなはずはないわね。でも、知らないわ」
ヴァネッサさんは静かに言った。
「人は、自分がやってみてもいないことを知ることはできないのよ」



「……。これ、コスプレの話なんですよね?」
「そうよ」
そうなんだ。
よく分かんないけど奥が深い。


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