第9章−6


そんなこんなで河岸を変え、人気のない路地で対峙して任務開始だ。
「さーてフッフッフ!今日こそ!そのタリスポッドを頂くわよ!!」
部長が言い、
「何たって今回は、『火のサーガ』がついてますからね!」
J1さんがぐいっとエドさんの背中を押して前に出す。

メグちゃんが悲しげに首を振った。
「やだ、この人たち…こないだと同じこと言ってる…」

すっかり野球の応援が仕事と思っていたらしい。背中を押されたエドさんは、目をぱちぱちさせながらあたしたちを振り返った。
「えっと。わたくし、これから何をすれば」
「何言ってんですか!これからが本番ですよ、ミスター・エド!」
「あのドアホンダラァに目にモノ見せてやってください、ミスター・エド!」
「どうしたんですか、J1さん…急に口の悪い…」

「わ。わかりましたぁ…」
エドさんが頷いた。
ごんぶとな付け眉毛がきりりと引き締まる。高々と左手を突き上げ、
「エドさん違う!それ、彼岸花!」
間違いを指摘され、しゅっと引っ込めて反対側の手を掲げた。
「リボーン!!ファイアーーーージャイアントォーーーー!!」

意外、というのも失礼だけど、さまになってる。
エドさんの力強い叫びで、一気に空気が変わった。タリスポッドからは炎を思わせる赤い光のエフェクトが吹き出し、仮面を着けた鎧の巨人の姿が浮かび上がる。
みるみるうちにその輪郭は鮮明になり、影は濃くなり、実体化したファイアジャイアントさんはずしんと路面に着地した。
辺りに不気味な笑い声が響いた。
「ヒーッヒッヒヒヒヒヒ!!!」
体格にふさわしい、巨大な作りの剣を構える。斧かもしれない。斬るのではなく重みで相手を叩き潰すのだろう、見るからにごつい武器。

見事にリボーン成功です。
これは頼もしそうだ。
現れた仮面の巨人を見上げ、あたしたちは感嘆の声を上げた。
「おお、でっかい…」
「ひさびさでっかい」
「何てったってジャイアント!ジャイアントクラブ以来の、ジャイアントよ!」
どうも我々、でっかいレジェンズにはテンションが上がりがち。

一方エドさんはといえば

「で…でっかい…」
自分が呼び出したものを見上げながら、腰を抜かしていた。
そりゃそうだ。営業にいたって言ってたもん、本物のレジェンズを見るのはきっと初めてなんだろう。
「何だこりゃあ…たまげたなあ…」
容赦なく部長の指示が飛ぶ。
「たまげてどうする、火のサーガ!さあ、攻撃よっ!」

「よ、よしっ!行けっ!ファイアージャイアント!!」
「ヒーッヒッヒヒヒヒヒ!!!」
ファイアジャイアントさんが不気味な笑い声を上げ、巨大な剣の先端に音を立てて火がついた。刃の部分を伝うように、端から端まで一気に炎が走る。
大きく振りかぶり、宙をなぎ払う。燃える刃に生まれた炎が鞭のようにしなり、弾け飛び、

しゅばっ
エドさんの頭に燃え移った。
「おお!すごいぞわたくし!!何だか燃えてきたぞぉーー!!」
「エドさん!!火!!頭の火っ!!ほんとに燃えてるーーー!!」
「ヒーッヒッヒヒヒヒヒ!!!」

「あっ、危ねえなあ!振り回すなよ、そんなもん!」
抗議したシュウめがけて、なおも燃え続ける剣を振る。
炎の鞭が、今度はシュウたちの足元に着弾する。

「ぎゃー!!しゃれになんねー!」
あっさり背中を見せて逃げていこうとするシュウたちを追いかけ、踏み出しながら、ファイアジャイアントさんは巨大な剣を軽々と片手に持ち替えた。
「ヒーッヒッヒヒヒヒヒ!!!」
炎の剣が勢いよく宙を斬る。
濡れた手を振って雫を飛ばすような、剣の重みを感じさせない冗談みたいな体の動き。その度に炎の雫が振り落とされては炎の弾になり、ひゅんひゅん周囲に飛んでいく。もう片方の手を伸ばし、人差し指をシュウに向けると、その指先からも炎が吹き出した。

さすがは火。強そうです、火。
「だっ、ダンディーが水芸なら、この人は炎芸ですね…!」
迫力の展開に目を見開きつつ、あたしは、ちょっと後ずさった。
あちこちに着弾した火が、路面のそこら中で燃えている。
赤々と燃え上がる炎とは反対に、頭上の空はみるみる暗くなっていく。
レジェンズバトルの始まりだ――レジェンズたちが力を振るうその一時、太陽の干渉は遮断され、雲に隠れて光を失い、具現した精霊たちの姿を地上に浮かび上がらせるのだ。っていう気がするのだ。立ち会ってると、何となく。

「ガガ!!ガガガガーー!!」
ねずっちょが激しくシュウのお尻に噛み付き、
「シュウ!」
「シュウ!カムバックなんだな!!」
メグちゃんたちに促されたシュウは、とうとう逃げるのを諦め、白いタリスポッドを天に掲げた。
「シロン、カムバック!リボーーン!!」

渦巻く風が、子供たちを取り囲む炎を一気に吹き飛ばした。
厳しい表情のシロンさんが姿を現す。

「も〜!煽ってど〜すんだよ〜!!」
リボーン早々、シュウが悲鳴を上げてシロンさんにダメ出しした。
「ヒーッヒッヒヒヒヒヒ!!!」
確かにその通りだ。
一旦は吹き散らされた炎は、そこかしこで繋がって大きくなり、ファイアジャイアントさんに手繰り寄せられて再び前よりも激しく燃え上がる。

飛び散る炎からシュウたちを守ろうと、シロンさんが必死に風を操る。戦いに全力を割けないでいる様子を見て取るや、ファイアジャイアントさんは即座に容赦なく距離を詰め、シロンさんに斬りかかった。
力技で相手を叩き潰すものかと思われた巨大な剣は、ファイアジャイアントさんの能力で今や巨大な炎の塊と化している。
「チッ…!!」
シロンさんが凄まじい勢いで風を巻き上げ、ぎりぎりのところで炎を防ぐ。が、振り下ろされる剣の重みまでは受け止めきれない。鋭く固めた風の壁が叩き壊され、ばらばらな空気の渦になって四方に弾けとんだ。その衝撃の煽りを食らって、ファイアジャイアントさんとシロンさんは双方大きく後ろに吹っ飛んだ。
轟音と共に、地震みたいに地面が揺れる。
火の粉の混じった熱風がこっちにまで押し寄せてくる。

すごいです、火。すごすぎて、この戦いを近くで見ているのは危険かも。
JJさんたちが、足元に飛んできた火の粉をばたばたと踏み潰している。
「っていうかあちっ!あつっ!危ないなあ、火…!」
「こんな街中で…。火事になったりしませんかね…?」
「だ…大丈夫よお。きっと」
即座に、多分根拠なく、部長が断言した。
断言した後、エドさんに期待を込めた視線を送る。
「何てたって…そう!ミスター・エドは、火のサーガなのだから!」

うわあ、無茶振りだあ。
振られたエドさんは、汗をだらだら流しながら引きつった笑顔になった。
「い…イエス!お任せあれ!」
親指立ててキランとウィンク。
「そう来なくっちゃ!頼むわよ、火のサーガ!!」
「頑張ってくださーい、火のサーガ!!」
「いーぞー、サラリーマンの星ぃー!」

シロンさんがはっとこちらに視線を向ける。
「――火のサーガ、だと?」


気が付けば、ファイアジャイアントさんが撒き散らした炎で周り中火の海だった。
風に煽られ、勢いを強くした炎は熱く揺らめく空気を吹き上げ、ごうごうと耳の奥まで響くような音を立てて燃え盛っている。

「…?」
部長が怪訝な顔で耳に手を当て、辺りを見回した。
「何…?何の音?」

あたしもさっきから耳の感覚が変だ。
熱気のせいだろうか。耳を押さえて数回唾を飲み込んでみる。
何だろう、この感じ。辺りの空間が目には見えない何かで満たされていくような――炎に炙られて、感覚がおかしくなってるだけのような。

炎が燃え盛っている。辺りのものを飲み込み、ごうごうと不気味な唸りを上げて燃え続けている。
言葉になって、何か聞こえた。


サー…ガ…


火が、次々と中空に巻き上げられてひとつに集まり始めた。
それは、風に煽られたせいとは思えなかった。
何かの気配。
不思議な力。
火は次々に合流し、巨大な炎の塊になり、上昇しながら絡まりあって加速度的に密度を増していく。
どろどろ燃えるマグマのような炎の塊が、あたしたちの頭上、空中高くに浮かび上がった。
爆発音とともに数条の火柱が吹き出し、塊は燃え上がり蠢きながら更に姿を変えていく。

先端から長く伸びた首は、地上のあたしたちを見下ろしているようで。
めらめらと左右に広がり、空気の流れに揺れて大きくたわむ火は、羽ばたく翼のようにも見えた。

あたしたちはごくりと唾を飲み込んだ。
「すげえ…火が、火の鳥になった…」
「ほんとに大丈夫なんですか、こんな街中で…」

「大丈夫でしょ…きっと、そういう技なんですよ、ファイアジャイアントの。ファイアー・バード・ストライク!みたいな…」
エドさんが解説してくれる。
ファイアジャイアントさんが驚いたように振り返り、
「えっ、違うよ!?これ、俺の技じゃないよ!?」
その解説をあっさり否定した。
部長が目を剥く。
「えっ、違うの!?じゃあ、何なのよ?」
「そんなこと俺に聞かれたって。知らないよォー」

ファイアジャイアントさん。
素の喋りは、意外と普通。
びっくりしたのか、仮面の下から覗く両目が真ん丸になっている。仮面の巨人だというのに、表情全然隠せてない。
他人事のようにきょとんとして、現れた火の玉を見上げている。
あたしたちは何となくファイアジャイアントさんの足元に集まり、一緒になって状況を見守った。

これ、鳥じゃないかも。
…ドラゴンだ。

頭らしき部分がごろごろ動いて、くぐもった音が吐き出される。
サー…ガァァァー…

「喋った!?」
「はっきり喋ったよ!!アレ、技じゃなくもう別の生き物でしょ!?」

「……、ほんとに別の生き物なんじゃないですか?」
シロンさんが最初に現れたときのことを思い出し、あたしは思わず声を上げた。
「きっとあれ、ファイアジャイアントさんとは別の『火のレジェンズ』ですよ」

「別の?どっから湧いて出たのよ、そんなもんが」
「シロンさんのときだって湧いて出たじゃないですか。きっと、そーゆー話なんですよ」

あの日、シロンさんは、風の中から生まれるようにして風のサーガの許へやってきた。
同じ状況なのかもしれない。今ここにはファイアージャイアントさんの起こした火があって、「火のサーガ」がいる。
あたしは思わずシュウたちの方を見やった。
宙に浮かんだ炎が、あたしたちを見下ろしながら首を振っている。
サ…ーガァ…

四大レジェンズは普通のレジェンズと違って、ソウルドールからじゃなく「四大元素の中から」「サーガのところに」リボーンされる設定なんじゃないだろうか。
必要なのは風や火そのもの、あと、サーガがいること。
「今回やたらサーガサーガ言う話だったのは、それでかと」

「なるほどなー。じゃ、あいつはたまたまそーゆー条件が揃ったせいで今呼び出されてきた、火なわけね」
「じゃー水とか土とかも、『サーガ』のところに水からザバザバ、土からモリモリ、みたいな感じになるのかしらね?」

「ていうか、…その設定に納得したところで、今の事態が何か解決しますかね」
J2さんが冷静に突っ込んだ。
そう言やそうだ。
どうするんだろ、これ。
ファイアジャイアントさんの技じゃなく現れたものなら、ファイアジャイアントさんに引っ込めてもらうって訳にはいかないんだろうし。

サ…ーガ…
まるでこっちの話が耳に届いたかのように、炎の塊がぐるりとこっちを向いた。
熱く揺らめく炎の中に、ぼんやり何かの目鼻が透けて見える。
サ…ーガァ…!!
「ぎゃー!!」
炎の中の誰かが、腕を伸ばすような動作をし、ごうっと炎が吹きつけられてきた。
こっちのことはほとんど見えてないみたいだ。炎の中で燃え盛る誰かは、「サーガ」という言葉だけに闇雲に反応して腕を伸ばし、身を焼きながら苦悶の叫びを上げている。

そう。苦悶の叫びだ。苦痛とか、絶望とか、やり場のない怒りとか、多分そういう種類のもの――だから呼び出されてしまったこの火を前にして、呆然として誰も動くことができない。シロンさんさえ立ちすくんでいる。

シロンさんがシュウの元に湧いて出たのは間近で見てたし、四大レジェンズがサーガと強く結びつく存在なのも了解しているつもりだった。
だけどこの火は、サーガを呼びながら、どうしてこんなに苦しそうなんだろう。
まるで炎に閉じ込められてもがき苦しむ囚人のように。
振り払っても逃れることができない呪いのように。
炎と熱気が辺りに撒き散らされていく。

「こ、こっ。怖いじゃないですか…」
怖すぎて噛んだ。
重苦しいし、熱いし、怖いし。何かもうサーガもろとも焼き殺されそうな迫力だし。
「まるで、誰かを探しているみたい…」
「『サーガ』って言葉に、反応してるようですが…」

レジェンズ班全員、何となく腰が引けて固唾を呑む中
「そ…そうっ!サーガといえばわたくし、わたくしこそが火のサーガ!」
一人、エドさんがしゃきっと立ち直った。
「行けっファイアーバード!!我に逆らう者どもを紅蓮の炎で焼き尽くすのだー!!」
エドさんの勢いにつられて、皆の金縛りが解ける。
この中では一番場慣れしていないはずなのに、不思議な人だ。本物の火のサーガではないけれど、その役に選ばれたのも分かる気がする。
けど。
ファイアー…バードじゃ…
炎の塊がごろごろと唸り、大きく口を開けた。
ねーーーーーーーーーっ!!!
先ほどとは比べ物にならない炎が、地獄の業火もかくやという勢いで吹きつけられてきた。

逆効果だったみたいです。
「ぎゃーーーーーーー!!!火!火吹いた、火!!」
「す、すいませーん!言い過ぎましたー!わたくし、調子に乗っちゃいましたー!」
「って言うかこっちじゃないでしょ!あっちよ、あっち!あちちちちちちち!」

「ファイアジャイアントぉー!!何とかするのだー!!」
今度はエドさんがファイアジャイアントさんに無茶振りし、
「えっ。無理だから!無理無理無理!」
ファイアジャイアントさんは力強く首を振ってその頼みを断った。
「うわー、諦めはやっ!」
「それでも火なのー!?」

「しっ…シロンさぁあーーーん!!」
「のび太か、お前は!?助けてドラえもーん!みたいに呼んでんじゃねーーー!!」
シロンさんが向こうの方から怒鳴り返してくる。
「ていうかさあ!お前ってヤツはさあ!俺に頼れる立場かよ!?」
ちっ。でも結構余裕が残ってるっぽいな。いざとなったらシロンさんに何とかしてもらうしかないな。


そのとき、DWCのロゴつきのバンがすごい勢いでドリフトしながら滑り込んできた。
派手なブレーキ音を響かせながら急停止する。
スライドドアが開き、顔を出したのは穏やかな微笑を浮かべるいつもの総務さんだった。
「任務完了。撤収ですー」

「えっ!!?」
「撤収!?今!?この状況で!?」

真っ黒な空にぼうぼうと燃え盛る炎の塊を見上げ、総務さんは眩しげに目をしばたいた。
「なーう」
「いや。なーうって」
「…………、……」
命令の意図が分からず、あたしたちは顔を見合わせた。
雲行きはめちゃくちゃ怪しいものの、撤退する状況かと言われるとピンとこない。火の勢いは今、明らかにシロンさんを圧倒しているのだ。というか、ここで撤退しちゃったらあの燃えてる塊はどうするんだろう。
その間にも、辺りには冗談みたいに火の粉がばらばら降り注いでいる。

「えっ…じゃあ、ええと」
全員が当惑する中、エドさんがタリスポッドを持ち上げてファイアジャイアントさんをカムバックしようとした。
総務さんが穏やかに遮った。
「いえ、そちらではなく」
ファイアジャイアントさんへと向けたタリスポッドを手で制し、その手を、まだ燃え盛っている謎の炎に向ける。
「えっ。あっち?」
「そうです」

更なる謎の指示に、皆の動きがまた止まる。
でも、エドさん含め、あたしたちは皆DWCの社員だ。これが会社の命令なら、言われた通りにやる流れにしかなりようがないし、そのことについてわざわざ口に出して確認するまでもなかった。
エドさんがタリスポッドを掲げて叫んだ。
「カーンバーック!!」

その声に、炎の中の誰かは確かに反応したように見えた。

巨大な炎の姿が押しつぶされるように歪む。ぎゅるぎゅると鎌首をもたげ、引き寄せられる一点に全ての焦点を合わせて――
サーガァァァァーー…アアアアアアアアアーーー!!
エドさんのタリスポッドではなく、子供たちめがけて襲い掛かった。
「!!」
シュウたちを守ろうと、シロンさんが羽を広げて立ちふさがる。
シュウとメグとマックと――、でも、今日ここにいるのはいつもの3人だけじゃない。
広げた羽は、3人から少し離れたところで立ちすくんでいる男の子を、ほんの少しかばい損ねた。
「ディーノッ!!」
マックが悲鳴を上げた。

ディーノは、逃げ出すどころか吸い寄せられるようにふらふらと道の真ん中に歩み出た。
轟音と共に炎が渦巻き、ディーノめがけて一気に押し寄せる。
「危なーーーい!!」
「うわあああああー!!」
「ディーノーーーー!!」

ディーノは、まるで身を守ることを忘れてしまったかのように顔を上げ、自分に向かってなだれ込んでくる炎を見つめていた。
驚愕しきった顔が炎に照らされていた。

両手を伸ばす。その手の中で、炎とは違う何かが光ったように見えた。
サーガ…サーガァァァアアアアアアアアアーーー!!
勢いを止めない炎はそのまま華奢な体を飲み込み、ドン、と、ひときわ大きい鈍い音がした。

「うわあああああああああああああああ」
「ぎゃあああああああああああああああ」

特大の火の塊が、のたうちながらあたしたちの頭上を通り過ぎていく。
まるで炎でできた竜巻だ。
渦巻く炎は収斂の激しさを増し、収まりきらないパワーが暴力的な勢いで荒れ狂っている。

「ひいいいいいいいいいいいいい」
「しぬうううううううううううううううう」

辺りを吸い込むごうごう言う音で、自分の悲鳴も聞こえない。
吸い込まれていく――ディーノくんの、手の中に。



火が消えた。



辺りの熱気は急速に薄れていき、空間を埋め尽くしていた気配ももう感じられない。
路面のあちこちから煙が立ち上り、それも静かに消えていく。
しばらくの間、誰も身動きできなかった。

「お、終わ…った?」
路面に這いつくばっていた部長がよろよろと顔を上げる。
「いやー、激しいわ、火…」
「す、凄かったですね…」

「一体何がどうなってるの?カムバック、したのよね?」
言いながら、部長がエドさんを見る。
「わたくしとしては、そのつもりだったのですが…」
エドさんが申し訳なさそうに身を縮める。

「火が…」
「全部、あの子の方へ…」


ディーノは火の勢いを受け止めきれずに、路面にへたり込んでいた。
両腕は何かを捧げ持つような姿勢のまま、まだがくがくと震えている。その手の中には、さっきまでなかった赤いタリスポッドが握られていた。
嵌めこまれたソウルドールがきらりと光った。


あの火が求めた「サーガ」は誰だったのか。
話を知ってるあたしじゃなくても、状況は明白だった。JJさんたちがディーノを指差しながら顔を見合わせ、首を傾げる。
「つまり」
「ええと」

「コラーーーーー!!」
色んなことをすっ飛ばして、部長が怒鳴った。
「何やってんの、そこの少年!返しなさーい!それは、うちの会社のレジェンズよ!!」
「えっ。そうなんですか?」
「元はうちのファイアジャイアントの火なんだから、うちのよ!」
部長は豪快に言い切る。
「えっ!!えっ…!?」
ディーノはまだへたり込んだままだ。それはそうだろう、あたしたちだって驚くド迫力の火だった。

部長がつかつかとディーノの前へ歩いていき、問答無用でタリスポッドからソウルドールを引っこ抜こうとした。
ディーノが反射的にタリスポッドを自分の胸元に引き寄せ、揉み合いになる。
「いーからとっとと返しなさい!!それはね、そんじょそこらのモノとは違う、本物のレジェンズなの!この、レジェンズ泥棒ッ!!」
「……………、……」
部長の言葉に、ディーノのただでさえ白い顔からさあっと血の気が引いた。
「違う!!僕は…!僕は、そんなつもりじゃ…」

ぶるぶる震える手の中で、真っ赤なタリスポッドがいきなり強い光を放った。
部長が思わず手を引っ込める。ディーノは棒を飲んだように固まっている。
光が収まったときには、真っ赤なタリスポッドは、一輪の真っ赤な薔薇へと姿を変えていた。

「えっ?」
「薔薇?」
その場の全員が唖然とした。
「タリスポッドが、薔薇に…」
「なぜ、薔薇に…ツッコミも追いつかないこの勢い」

「ちょっと!ソウルドールはどこへ行ったのよ!?」
振れば元に戻るとでも言うように部長がぶんぶん薔薇を振ったが、とげのある茎にぺちりと頬をひっぱたかれただけだった。
ディーノがふらりと立ち上がると、部長の手から薔薇をひったくった。

「……僕は、…」

「ディーノ!」
マックさんが心配そうに名前を呼んだ。
ディーノはマックさんを振り返る。泣き出しそうに顔が歪んだ。

何を言おうとしたんだろう。
次の瞬間、白い顔から一切の表情が消え、ディーノは薔薇をしっかり握り締めたまま、部長を振り払って走って行ってしまった。
振り返りもせず、必死の速さで。
この場の全てを拒絶するかのように。
華奢な背中がどんどん小さくなっていく。
「あ…」
引きとめようと声を上げかけたマックさんは、悲しげに首を振り、伸ばした右手を引っ込めた。
それで、誰も後を追わなかった。



「だけど、あれは」
マックさんが呟いた。
「ディーノの薔薇だったんだな」

「うん。そうだね…」
あたしはぼんやり同意する。
あの子が、ほんとの火のサーガだったんだと思う。

「え。ていうと、わたくしは?」
ぽかんとしたまま、エドさんが聞いた。
「クビです」
総務さんが慎ましく微笑んだ。一人だけ、まるで何事もなかったかのように。



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