―――スピンドル(1)―――





個人経営といった感じの微妙にひなびたラーメン屋。別の店にしようかちょっと迷ったけど、「営業中」の札が下がっていたから、引き戸を開けて赤いのれんをくぐる。
中途半端な時間帯のせいか、あたしの他にお客の姿は見当たらない。
とても大柄な店主が、背中の羽で時折自分をあおぎながら暇そうに新聞を読んでいた。

「いらっしゃい。ご注文は?」
「しょうゆラーメンひとつ」

何気なくそう注文し、カウンターに座ってみてから、あたしはぎょっとなって店主を振り返った。
やけに羽がかさばってる上に大柄な人だなあと思ったら。
ここの店主、人間じゃない。
「し、シロンさんっ!?何してるんですか、こんなところで!?」

「シロン…?」
店主は眉間にしわを寄せて長い首をかしげた。
「いや、私はカネルド・ウインドラゴンという者だが。ご注文はしょうゆラーメンおひとつでよろしいですね?」
「……………」
「しょうゆラーメンひとつ入りまーす!はーい!」
この店、他に従業員はいないらしい。カネルド・ウインドラゴンはよく通る声を張り上げ、それに自分で返事をしながらのしのしと奥の厨房へ歩いていく。
すごい絵面だ。
あたしはぽかんと口をあけたまま、いそいそと麺を茹で始めるドラゴンの背中を眺める。

固まったまま、待つこと10分。

羽の飾りをつけたごつい手が、ほかほかと湯気の立つ丼をあたしの前に置いてくれた。
「へい!しょうゆラーメン一丁、おまちどお!」
人間サイズのラーメンをちゃんと作ってくれるのか心配だったけど、料理の腕の方は問題ないようだった。あたしはほっと息をつく。鶏ガラスープのいいにおい。
「いただきまーす」
あたしが割り箸を割ったとき、

カネルド・ウインドラゴンはのしのしとカウンターの中から出てくると
「どっこいしょー」
何の脈絡もなくあたしの隣の席に腰掛けてきた。

椅子と椅子との間はそんなに広くない。6枚も羽を生やした大きな竜に無理くり隣に座られたら、ほとんど密着状態だ。
「な、何ですか。なれなれしい…」
あたしは体を斜めにして避けながら、とりあえず抗議してみた。

「おやおや…おやおやおやーー?」
店主はあたしの抗議を完全に無視して、ぐいぐい鼻先を近づけてくる。
「入ってくるなり私をシロンと間違えるなんて、一体何者なのかと思ったら…これは珍しい。人間のお客さんだ」
竜の腕辺りのやわらかい羽毛が、ゼロ距離で横顔に触れてきてくすぐったい。
ものすごい圧迫感なんですけど。
どういう接客方針なんだ。

あたしの前髪にふーっと息をかけて吹き飛ばしつつ、カネルド・ウインドラゴンは意味ありげな渋い声で囁いた。
「……。カネっちょ」
「……何の話ですか」
「カネっちょ。と、フレンドリーに呼んでくれてもかまわない。私、カネルド・ウインドラゴンだから」
「…………」
「さあ。早く」
対応に困って無言になっていたら、ぐいぐい押されてせっつかれる。
呼んでくれてもかまわないというか、そう呼べ、ということらしい。
「か、カネっちょさん…でも、なぜ」

カネルド・ウインドラゴンは、ばさばさ羽を動かしながら、青いマントを手で引っぱってしきりにあたしに見せつけようとする。
「だってさあ、そんなにシロンに似てるかね、私が。見分けろよ。服、違うでしょ?より、ゴージャスでしょ?」
「ええと、そりゃ、服は違うけど…。間違えるも何も確か、同じ人…なんですよね?」
つっかえながら答える。
「ふーーん。ふーーーーん。……」
何が気に入らないのか、あたしに鼻面を近づけ、カネルドさんが嫌味たらしく溜息をつく。その鼻息に吹かれて、丼の中のスープがさざなみのように揺れる。ものすごく、落ち着かない。
「昔から、みんなに言われるんだよねー。『カネルドってキャラ弱いよねー』。露出が少ない、だけだよねー?」
「…………」
「シロンは、シロン。私は、私。そこで決めときたい、シロンと違う私なりの立ち位置っていうの?カネルドとしての個性あるキャラ付けっていうの?あ、早く食べてよ。麺が伸びます」
「…………」
あたしは無言でうなだれ、言われたとおりにラーメンをすすった。

変な店に来ちゃった。
ここ、他にお客とか来ないのかな。

店主は調理場に戻ろうとする気配も見せず、あたしの隣にどっかり腰を落ち着けて、なおも絡んでくる。
「この私は、ブレイズドラゴンみたいにお笑い担当じゃなし。グリフィンは融通利かない頑固者のくせに、女声というだけで委員長キャラ的なおいしいポジションをゲットしてるし。ビッグフットなんかショタキャラで売っちゃって…正直反則でしょ、あれ。お客さん、彼がほんとは何歳か知ってます?」
「…………」
何を言ってるんだろう、この人は。
っていうか他の四大レジェンズに何気に失礼だ。

カネルドさんは鼻を鳴らして宣言する。
「これからはレジェンズも個性の時代ですよ。私はね、模索しているんです、個性を。キャラ立てのためこのように、交流圏で店を持ったりするわけです」
「…………。はあ…」
「何ですか、その態度。明快なキャラを確立するというのは、お客さんが思ってるよりもずっと大事なことなんですよ」
そんなことあたしに言われたって。知らないよ。
カネルド・ウインドラゴンはそこでふと真面目な表情になり、じっとあたしを見つめた。あたしを通り越して遥か遠くを見ているようでもあった。
「…特に私は、ね。私はずっと、無色透明な風だったから。レジェンズウォーの始まりを告げるものとして、そうあることが正しいと思っていた。本当に長い間、ずっとそうだった」

「私は変われると思いますか、
そう、カネルド・ウインドラゴンは聞いた。
「私の中で相反し打ち消しあう二つの部分が…光と影が、分かたれたとして。それぞれの私が異なる考え方で行動し異なる経験を吸収したとして。二人の私が再びひとつとなったとき、私は以前と違う色の存在になることができるのだろうか」

思わずあたしは聞き返す。
「…シロンさんとランシーンさんのことですか?」
露骨に嫌そうな顔になって、カネルドさんが言った。
「お客さん、質問を質問で返すなって学校で教わらなかったんですか?」
「…………」
いや、それは、何かの漫画のルールなんじゃないかな…
カネルド・ウインドラゴンって、漫画好きなのかな。
ていうかこの人、模索なんかしなくても、既に個性的すぎるぐらい個性的だと思うんだけど。
こんなに会話が理不尽な人見たことないよ。

それからあたしは、ふと首をかしげる。
何でこの人、あたしの名前を知ってるんだろう。


「――知ってるよ」
あたしの疑問を見透かしたかのようにカネルドさんが笑った。
「私は何でも知っている。だって、ウインドラゴンだから」

カネルドさんが自分の喉の辺りを指差した。その首から胸にかけての部分には美しい金細工の飾りがはめこまれ、青い襟元を留めている。
「ハートのピース。『こないだ』『私』が落とした、アレ」
カネルドさんは爪先でこつこつと自分の胸飾りを叩く。
「お客さんが持ってるんでしょ。ちゃんと片付けてくれた?」
「あ…」

昨日自分がタライの中で見つけたものを思い出す。
きっとアレのことだ。
でも、何でこの人がそれを知っているんだろう。
「何でカ…、カネっちょさん、がそれを知ってるんですか?…ウインドラゴンだから?」
「そうだよ、
と、カネルドさんが答え、あたしはそこで完全に混乱してしまった。

今目の前にいるカネルドさんの首元には、元通り胸飾りがはまっている。
そして同時にカネルドさんは、あたしが今、あの胸飾りを持っていることを知っている。
この状況は一体何?

それからようやく、一番根本的なところに気が付く。――そもそもこの店の存在自体が、変なんだ。

今になるまで疑問を持たなかったあたしも相当どうかしてた。
カネルド・ウインドラゴンが店主をやってるラーメン屋て。
レジェンズウォーを導くはずの高位竜が「へい!しょうゆラーメン一丁、おまちどお!」て。
ツッコミどころが多すぎる。

あたしは頭を抱えて唸った。
「あたしはまた違う世界の夢を見てるんでしょうか…今度の夢が、一番訳が分からない…」
カネルドさんがまた嫌そうな顔になった。
「はぁ??」
何だか怒られそうなので、聞かれたことには正直に返事しておく。
「いや、まだ片付けてないです。昨日見つけたばっかりで」
ていうか、片付けちゃってよかったんだ。
レジェンズキングダムで拾ったウインドラゴンの心、あたしが今いるマスでは存在しないはずの物体。あたしと一緒に今の世界に来ていたことには何か深い意味がありそうな気がしたんだけど。

「ふーん。まだなんだ」
カネルド・ウインドラゴンが金色の瞳をゆっくり細める。
「まあ、いつかは片付けるんだろうし。それは、にしかできないことだし。間に合いさえすれば私はいつでも構わないよ。よろしくね」

「わかりました。…ええとつまり、あれって捨てちゃってもいいものなんですね?」
頷きながら確認したら、頭をはたかれた。
違うみたい。




スピンドル【spindle】回転するための軸のこと。糸つむぎ。

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