第4章−7


服の汚れをはたいて、タリスポッドをポケットに挿して、あたしはとりあえず部長たちの後を追った。
「部長ー!J1さーん。J2さーん。あと、カニくーん…」
タリスポッドが使えなければあのカニをソウルドールに戻すことはできないわけで、さっきの勢いを考えるに、あのカニを放っておいたらシロンさんより先に部長たちがやっつけられてしまうだろう。急がなくてはいけない。

巨大な倉庫が立ち並ぶ区画を抜け、教会の前を通り過ぎると、再び雑然とした通りに出る。ヒップホップな落書きで埋め尽くされたレンガ造りの古びたビルが立ち並び、その辺であたしは、自分がまたしても失敗したっぽいことに気がついた。

あれだけ大きなカニはそうそういるものじゃない、目立つはずだし、確かにこっちの方へ来ているはずなんだけど。建物はごみごみと立ち並んでいて見通しが悪く、狭い路地がやたらに多くなって、どこへ行ったらいいのか分からない。
だんだん心細くなってきて、足が止まった。
「ぶ、部長ぉー。JJさーん。いませんかー。…」
すぐ追いつけそうな気がして何も考えずに走ってきちゃったけど。
やっぱりさっきの倉庫で、部長たちが戻るのを待ってた方がよかったのかも。

「それにしても、何がそんなに気に入らなかったのかな…」
ジャイアントクラブさんの様子を思い出しながら、思わず独り言が漏れる。
怒ったようにしきりにハサミを振っていた。泡も吹いてた。
あたしも部長たちも、機嫌を損ねるようなことはしてなかったと思うんだけどな、何でなんだろ。

「カニ…カニ…、」
どこかにいないかな。辺りを見回しながら、とぼとぼと歩く。
あたしは再びジャイアントクラブさんの様子を思い出して、呟いた。
「カニ……、カニ鍋が食べたいなあ」
大きなカニだった。
轢かれた感触もずっしり重かった。あたしを踏んづけたあの太い足の中にはそれだけずっしりと身が詰まって――と、途方にくれたあたしの思考があさっての方向にそれかけたとき、

「そういうことなら、オレに任せな」

突然渋い声がした。
「えっ?」
つられて声の方に顔を向ける。数メートル前方で、がっしりした体つきの壮年男性が、落書きだらけの壁にもたれてかっこよく腕組みしていた。
目深にかぶったキャスケットの下、あたしをじっと見つめながら不敵に微笑んでいる。

渋いセリフに渋い声。映画みたいな登場シーンだ。
微妙にずんぐりした体型だから、胸まであるゴム長がだぶついてるけど。
大きな目玉がぐりぐり動いて、渋い割には愉快な顔立ちだけど。

とりあえず話しかけられているようなので、あたしはおじさんの方に歩いていって聞いてみた。
「ええと…誰?っていうか、この辺で大きなカニを見かけませんでしたか?」
「ああ」
おじさんが腕組みをといて体を起こした。ニヤリと笑って声を低める。
「…カニ。食いたいんだろ、お嬢ちゃん」
「え?そりゃ、ちょっとは食べてみたいけど…でも、仕事で使うカニなんです。どこかで見ました?」

「おうよ、まかしときな!」
おじさんはやる気満々、壁に立てかけていた金属製の器具をおもむろにひっつかむ。
「これで割って!!」
おじさんの身長くらいの長さがある巨大なカニ用ハサミと
「これで、ほじって!!」
巨大なカニ用フォークだ。
二刀流に持って、金属音を打ち鳴らしつつ力強く身構える。
「でっ!?そのカニとやらはどこにいるんでい!!」
「どこにいるか…ってそれは、あたしが聞いてるんですけど!?あと、食べないし!」
「俺に獲れねえ、カニはねえ!」
「うわー、全然聞いてない!っていうか、誰なの!?」

どうも会話が通じてないみたいだ。
変な人なのか。こっちの世界で会うの、変な人ばっかりだな。

奥の路地からすっとクリーム色の制服が現れて、おじさんの横に並んだ。
「――カニ獲り名人のリチャード氏をお連れしました」
上品に会釈をしながら、総務さんが言った。

「そ、総務さん…こんにちは…」
「はい、こんにちは」
何で総務さんがこんなところに。
あたしは呆気にとられて、総務さんの色白の丸顔を、しばらく眺める。総務さんはつぶらな瞳で微笑んでいる。

「ということは、このおじさんはダークウィズカンパニーの人なんですか?でも、カニ獲りって」
「簡単なプロフィールとして、リチャード氏は1月20日生まれみずがめ座。趣味はベースボール」

こっちはこっちで、やっぱり会話が通じない。
あたしはつっかえながら状況の言い訳を試みる。
「あの、カニ獲りっていうかですね!ジャイアントクラブさんは今ちょっと…部長たちと居るんじゃないかとは思うんですけど、ちょっと色々その…トラブルのようなものがありまして」
「はい」
「今、タリスポッドをあたしが持っているので…部長に渡さないと、野に放たれたカニが大変なことに…なってしまいそうだな、と…今…」
「はい」
総務さんが微笑みながら頷いている。
ほんとに分かってくれてるのかな。それとも全然そうじゃないのかな。

「そういうことなら、ワシにも任せなさい」

やや癖のあるくぐもった声がして、奥の路地からもう一人、今度は白衣に身を包んだ研究者風の老人が姿を現した。
禿げ上がった額、いかめしい顔つき。
「――ソフトウェア開発部のパーキンス氏も、お連れしました」
と、総務さんが言った。

「ワシが来たからにはもーーう大丈夫!」
パーキンスさんが胸を張る。
リチャードさんがカニフォークを突き上げて雄叫んだ。
「よし、カニ討伐じゃーーーーーー!!」




総務さんの運転するバンに、皆で乗り込む。
思わず独り言が漏れる。
「こんな展開だったっけ…こんな展開だったっけ…」
討伐しちゃっていいのかな、カニ。
今さらだけどDVDを見とけばよかった。レンタルとかでも。

後部座席はパーキンスさんが持ち込んだ色んな機材ですっかり狭くなっている。ごつい道具を抱えたリチャードさんがあたしの隣にぐいぐい乗り込んできて、さらに狭い。
おじさんくさい加齢臭の漂う車内、パーキンスさんがモニタにケーブルをつなげて電源を入れた。
「ワシが密かに開発したカニ探索ソフトー、『ファインディング・カニ』。衛星と連動してニューヨーク中の全・カニの存在をスキャンし表示する」
「…ファインディング・ニモ?」
「うん。ファインディング・ニモ」
「……………」

そんなカニ特化のソフトありなのかとか、今となっては元ネタが中途半端に古いよなあとか、色んなことが頭をよぎってあたしは突っ込みに困る。微妙すぎてリチャードさんが相手のときより困る。パーキンスさんは平然とした顔でカタカタとキーボードを打っている。
モニタにしばらく【検索中】の文字が点滅した後、電子音と共に画面が切り替わった。
地図いっぱいに無数の光点が表示される。

モニタを覗き込みながら、リチャードさんが涎をたらした。
「いいねえ!多いねえ!」
「いやでもこれ…、多すぎませんか?」
「この光の点がーすなわちニューヨークに存在する全・カニの位置を示している」
パーキンソンさんは誇らしげにぺちぺちとモニタを叩いた。
「カニカマ、カニ缶、カニサンド。食料品店、スーパー、コンビニ。などに存在しておるな!」

「へえええ…」
すごいソフトだ、ファインディング・カニ…
すごいソフトだけど、カニカマやカニ缶がスーパーにあるのは、当たり前なんじゃ…

またしても突っ込みに困って、あたしは顔を上げる。総務さんの運転で車は会社の近くにまで戻ってきているらしく、イーストリバーにかかるブルックリンブリッジが遠くに見えた。
フロントガラスの向こう、進行方向の先で土煙が立ち上っている。
車道をいっぱいに占領しながら、何か動いているようだ。

巨大なハサミのようなものが見えた気がして、あたしは慌てて運転席の方へ身を乗り出した。
「総務さん、あれ!カニかも!」
「はい。カニカマ」
総務さんが微笑みながら軽く前屈みになった。アクセルが踏み込まれ、バンのスピードが上がる。

モニタにかぶりつくようにしてパーキンスさんが声を上げた。
「おお、300メートル前方に巨大な反応がー。200メートル…100メートル…ぐんぐん近づいてきておーる!」
「いや、モニタじゃなくて前見てくださいよ!」


ジャイアントクラブさんだ。
ハサミを振り回しながらまだ走っている。その勢いはあたしを轢いたときから少しも衰えを見せていない。
ガシャガシャと高速でうごめく甲殻類の足の手前に、まだ走っている部長がいた、JJさんたちも。あたしがいない間に一体何があったのか、二人がかりで豹柄の古びたソファをかついでいて、その隣にはなぜかシュウとメグとマックまでいる。
「何でお前らまで一緒に逃げるんだよー!」
「そんなこと言ったってー!」
カーニー !」
悲鳴のような声で文句を言い合っている。

総務さんの走り屋まがいの運転テクニックで、バンはみるみるカニに追いつき、ぴったりと横につけた。
並走する車の窓から顔を出して、あたしは叫んだ。
「ぶちょー!!」
「あら、!無事だったのねー!」
「はい、おかげさまでー!」

車は走っている、部長も走っている。目に映る周囲の景色はすごい勢いで流れていく。
落としたらどうしようかと一瞬ためらったけど、あたしはタリスポッドを取り出し、狙いを定めて部長の方へ放り投げた。
「タリスポッドです!早くこれで、カムバックを!」
これはあたしの投擲技術というよりは、基本肉体労働な部長のキャッチ能力を信用してのことだ。

「あああー!?何ですってー!?」
言われたことが咄嗟に分からなかったのか、そう叫び返しながらも部長の腕は抜群の反射神経で伸びる。しっかりと紫色のタリスポッドを掴んだ。
「なるほどー、でかしたわー!『カムバッーク、ジャイアントクラブ』!!」

部長の一声でタリスポッドが起動する。出現したときと同じ水属性のエフェクトと共に、ジャイアントクラブさんの巨大な体積はみるみるしゅるしゅる圧縮され、吸い込まれるようにタリスポッドの中に納まった。

カーニー …!」



辺りはすっかり静かになった。
総務さんが路肩に寄せて車を止める。

「よかった…」
変なキャラにも会ったけど、野に放たれたジャイアントクラブさんの暴走は、こうして無事、食い止められたのであった…。
一つのことを成し遂げた達成感に包まれ、あたしは安堵の息をつく。
でも、よく考えたらまだシロンさんと戦ってないのだった。続く。


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