第4章−6


部長がバン!と机を叩いた。
「前回の作戦は残念ながら失敗に終わったけど!」

「もう失敗は許されないわよ!私、もう始末書書きたくないからね!」
「うぃーす」
「おーす」
「はーい」
J1さんとJ2さんとあたしは、部長の前に整列し、順番に気勢を上げる。

っていうかね。
交渉してあのタリスポッドを手に入れようっていう考えは、今後は厳しいのではないかとあたしは思う。
初対面ゆえ警戒されてなかった最初の接触。
シュウのベースボールカードという絶好の取引材料を手に入れての、この間のゴミ捨て場。

「――いい条件で交渉できたはずの2回で、どっちも失敗したわけで。あたしたちはもうあの子たちに敵として認識されちゃって、信用ゼロなんじゃないでしょうか…」
と、あたしは言った。JJさんたちが溜息をつく。
「だけど、腕づくで奪おうにも、向こうにはあのでっかいレジェンズがいるからなあ」
「だよなあ。あのでっかいのを出されると、あ、負けパターンだ。って、感じるよな」

「ええーい、何を弱気なことを!」
部長が再び机を叩いた。
「勝つのよ。戦って勝てばいーのよ、あのでっかいのに!」


あたしたちは会社を出ると、イーストリバー沿いを北に向かった。この辺は、会社やアパートのある地区とはかなり雰囲気が違う。色んなお店が並ぶ雑然とした通りを抜けると急に人影が減って、巨大な倉庫街が広がっていた。
中の一つに入る。
会社の資材置き場かな。今は、置いてある荷物はほとんどないようだ。薄暗い空間はただっ広くてがらんとしていた。
「…で、どうしてこんなところに?」
あたしが聞くと、
「このレジェンズのリボーンのためには広い場所が必要なのよ」
と、部長は答えて、ソウルドールを取り出した。
「今回の支給品は『ジャイアントクラブ』。ジャイアント、つまり、こっちもでっかいわ!このレジェンズなら、きっとあの白でっかいのに勝てるはず!」
大きさ勝負じゃないと思うんだけどね。
でも、調子に乗って勢いよくしゃべるときの部長って、根拠はないけど頼もしい。

「リボーン、『ジャイアントクラブ』!!」

こぽこぽいう泡の効果音とともに、タリスポッドから水色の光がゆらゆら吹き出る。水属性のエフェクトだ。
めきめきと現れ出る巨大なシルエットに、JJさんたちとあたしは感嘆の声を上げる。
「おお、ほんとにでっかい」
細身だったストームワームさんより二回りくらい大きく見える。シロンさんより大きいかもしれない。
大きすぎて今の位置で見ていたら潰されそうなので、後ろに下がって距離をとる。

完全に実体化したジャイアントクラブが、足をガシャガシャ言わせながらずしりと床に着地した。その質量に倉庫中が揺れる。
全身硬そうな殻で覆われた。
巨大なハサミを武器に持った。

「でっかいな…でっかいけど…」
そびえ立つ体躯をつくづくと見上げて、J1さんがぽつりと言った。
「カニじゃね?これ」

「うん、カニだな」
「カニですね…」
J2さんとあたしも同意した。
左右のハサミの形が違うから、これはきっと、シオマネキのオスだと思う。

左のハサミは普通のカニの大きさだけど、右手のハサミは異常に発達していて、胴体と同じくらい大きくて長い。ぎざぎざした刃もついている。ハサミに合わせてアンバランスに発達した右腕が高く掲げられ、巨大な右ハサミはあたしたちの頭上で巨大なカーブを描き、倉庫の床に死神の鎌のような影を落としている。
振り落とされたらひとたまりもなさそうな。
とても強そうな。

「いいこと、カニくん。シュウゾウ・マツタニという少年からタリスポッドとシロンを奪うことが、あなたの使命よ」
カニを見上げて部長が言った。
「…………………」
「どんな手を使っても構わないから、奪ってくるの。…いいわね?」

「…………………」
返事がない。
というか、まるで反応がない。
ジャイアントクラブさんはリボーンされて着地した体勢のまま、ぴくりとも動こうとしなかった。どことなく無機質な紡錘形の赤い眼は、マッチ棒のように突き出て上方の天井を見上げたきり、固まっている。
状況に戸惑っているのだろうか。表情が読めないのでよく分からない。
静止画のような時間が、しばらく流れる。

「…聞いてるんですかね」
「…っていうか。どこ、見てるんですかね」

部長の顔が険しくなった。説明の声が1オクターブ上がる。
「い…いいこと!?もう一回言うけど、あなたの使命はシュウのタリスポッドを…タリスポッドってこれね、これの白いヤツを、あっ」
部長が右手をぶんぶん振り回しながら懸命に説明する、その途中で、静止していたカニが初めて反応を見せた。
ひゅばっ
ぱしーん。

相変わらず無言のまま、左ハサミだけが意外な敏捷さで動く。部長のタリスポッドがはたき落とされて吹っ飛んだ。
「…………」
「…………」
「…………」
かしゃ、かしゃん。
静まり返った広い倉庫に、タリスポッドの転がる音だけが響きわたる。

何を考えているかは、よく分からないけど。
あんまり友好的ではない空気だ。それは、確かだ。

「な…何か、気に入らないことでもありましたかね?」
「結構、気難しいのかな。…カニなのに」
「カニなのにねー…」
あたしたちは岩山のようにそびえ立つカニを見上げ、ちょっと途方にくれる。
再び静止画のような時間が流れる。

ジャイアントクラブさんがぷるぷると体を震わせはじめた。
「あ。泡吹いてる」
「ほんとだ…」
これは一体、どういう種類の意思表示なんだろう。
首を傾げて見守っているうちに、カニの動きは次第に大きくなった。6本の足の関節が同期した動きで曲げ伸ばしを繰り返し、あたしたちの頭上ですべすべした腹が大きく上下しはじめる。
ぶん!
右腕が動いて、巨大なハサミが大きく振れた。
「ひい!」
J1さんとJ2さんが左と右から部長の腕にすがりつく。そのJJさんたちの後ろに、あたしは隠れる。
「な。何か、興奮してますよ」
「っていうか、怒ってるよね、これ?怒ってるよ?」
ジャイアントクラブさんは、巨大なハサミを閉じたり開いたりしながらしきりに腕を振っている。こちらを威嚇しているかのようだ。
すーはーすーはー。獰猛そうな呼吸の音が倉庫中に響き渡る。

あたしたちは何とはなしに後ずさって、カニさんから距離をとった。
「な、なかなか強そうなカニじゃない。いい働きをしてくれそうだわ!」
あくまで強気に、部長が言った。
部長のジャケットの裾につかまりながら、あたしは聞いた。
「でも…何だか戦う以前に、こっちの言うこと、全然通じてなくないですか…?」
「バカねえ。天下のダークウィズカンパニーがそんな使えないもんを支給するはずないじゃないの」
「そ、そうですカニ…?」
「こんなときにダジャレですか、J1さん…」

がしゃんがしゃん。
視線の先で、カニさんが直角に体の向きを変えたのが見えた。
カーニー !」
と、カニが言った。腕を振る。

「おお…しゃべった」
「不思議な鳴き声ですね」
「自己紹介ですかね、今の」
「何だ、しゃべれるカニなのね。いいこと!?あなたの任務は、シュウのタリスポッドをー」
カーニー !」
部長の言葉をさえぎり、カニはいきなりあたしたちめがけて突進してきた。


「ぎゃー、こっち来た!!」
「やっぱ、話通じてないじゃん!」
体の向きを変えたのは、横向きに走るからだったのか。
6本の足がガシャガシャと力強く動く。そして速い。重戦車みたいな圧倒的な迫力と重量感で、猛然とこちらへ向かってくる。

当然逃げ出そうとして、倉庫の入り口辺りで、あたしは忘れてはいけない大切な事実にはっと思い当たった。
「ちょっと待って、部長!」
「何、!?」
「あれ!!逃げる前にあれ、拾っとかないとまずくないですか…ってぎゃーーー!!」

説明にもたつく間に、あたしだけ遅れた。
首をひねって後ろを振り返ったときには、カニはあたしの背後、距離ゼロなところにまで迫ってきていて、ガシャガシャ動く足に巻き込まれ、あたしはその場にべしゃりと倒れ伏す。
「うわー、新人がー」
ー」
「ぎゃーー」
悲鳴と轟音と衝撃。
倉庫の入り口はカニの巨体に突き破られ、埃と壁の破片がばらばらと振ってくる。
甲殻類のとんがった足先が、重い体重を乗せて一撃、二撃、すごい速さであたしの背中の上を通り過ぎて行った。


カニに轢かれた。


「い、いたたたた…」
床に潰れた体勢のまま、あたしはしばらくその場を動けなかった。
辺りがすっかり静かになった頃、ようやく衝撃から立ち直って、首を持ち上げて前方を確認する。

逃げる部長たち。それを追うジャイアントクラブさん。土煙を上げながら遠ざかり、遠くの景色の中の小さな点になって、今、視界から消えていこうとしているところだ。
カーニー …」

「……………」
しばらく待ってみたが、誰も戻ってこなかった。
あたしはよろよろと起き上がって、倉庫の中へと引き返した。
カニさんが部長の手からすっ飛ばした紫色のタリスポッドが、床にぽつねんと落ちている。

これがないと、あのジャイアントクラブさんがカムバックできないんじゃないかな。
って、部長に言おうと思ったんだよね。もう遅いけど。

タリスポッドを拾い、顔を上げてもう一度外を眺める。
部長たち、一体どうする気なんだろ。
何か、嫌な汗出てきた。
「カ、カムバーック…」
あたしは一人立ち尽くし、皆の去っていった方向に向かってタリスポッドを振ってみる。
かしゃかしゃ頼りない音が空しく辺りに響いただけだった。

何かもう、シロンさんと戦う前から失敗してるよね。色々。いつもだけど。


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