第3章−4


結局あたしは、シュウを助けることもダークウィズカンパニー・レジェンズ班の新人としてちゃんと仕事をすることも、できなかった。
頭がガンガンする。あと、目が回る。―――



顔の上に濡れた布が乗せられる感触がした。ひやりと冷たい。
JJさんたちの心配そうな声が降ってくる。
「おーい、大丈夫かー、新人ー」
「生きてるかー?」
「うーんうーんうーん。星が…星が見えますー…」

J2さんが溜息をつくのが聞こえた。
「…ダメだこりゃ」


ウインドラゴンのウィング・トルネードに盛大にやられた、割には全員大きな怪我はなくて済んだ。部長やJJさんたちなんか、かすり傷ひとつない。
あたしだけが運悪く、落下の時に部長のお尻の下敷きになってしまって、こうして寝かされている。

「この仕事、肉体労働だって言ったじゃん。たかが空から落ちたくらいで、なんてひ弱なヤツ…」
「必要なのは鉄の体と不死身の回復力だぞ、新人。俺ら、ギャグ要員なんだからな」
むちゃくちゃなこと言ってるよ、この人たち。


会話の声が、少し遠ざかった。
「しかし、よく頭を打つ新人だよなあ」
「まあ、最初のタライのは、本人の自業自得だけどな」

「…入社一日目としては、かなりハードな内容だよな」
「いきなり出社拒否とかに、ならないといいんだけどな」
「うーん。そういやこいつ、あんまり仕事に乗り気じゃなかったみたいだしなあ。…」

「…………」
「…………」

「ねー、部長ー」
「なーに。今、始末書書いてんだけど」
「俺とJ2で新人を家まで送って帰りますよ。こいつんちって、どこですかね?」
「…そうね、待って。今、履歴書見るわー」

「あ、何だ。ここ、俺らの向かいのアパートじゃん」
「あら、ちょうどいいじゃない。じゃあみんなで行きましょうよ」


もうろうとしながら皆の会話を聞いていたあたしは、びっくりして起き上がった。
「家!!?――あたしの、ですか!?」





あたしの家。
あるって聞いてびっくりしたけど、そりゃ、なきゃ困るよね。

終業後。J1さんがあたしをおんぶしてくれて、J2さんがあたしの荷物を持ってくれて、皆でその住所へ向かう。そこは少し古びた外観の建物が立ち並ぶ住宅街の一角、ワンルーム家具なしのアパートだった。
部屋の中はがらんとしていた。

折りたたみ式のパイプベッドがひとつ、梱包されたまま床に転がっている。
その横に衣装ケースが一個と、荷物らしきダンボールが数個積んであった。
床かなんかにワックスをかけたばかりなのだろうか。部屋中がつんと薬品くさい。
「うわー、散らかって…はいないけど、実に寂しい暮らしだな」
「というか、生活感ゼロだな」

J1さんに背中から降ろしてもらい、あたしはそのままその場に座り込んだ。
全身の力が抜けていくような気分だった。家に着いたら、余計に疲れて具合が悪くなったような気がする。
部屋を見回しながら、BB部長があたしに聞いた。
は一人暮らしなのね。ここには引っ越してきたばかりなの?」
「………。まあ、そういう設定になるんでしょうか…」
部長は知らないだろうけど、あたしだってここに来るのは初めてだ。

殺風景で変な匂いがして、馴染んだ物はひとつもない。この全然知らない場所が、あたしの家。
知らない世界で過ごした一日が終わって、夜が来たのに、帰れる家が本当の家じゃないなんて。っていうか、本当の家にはいつ帰れるんだろう。そこは、考えてはいけない気がする。

部長があたしを覗きこんでニヤリと笑った。
「なら、ますます私たちが来て助かったわね!片付けを手伝える男手が、ここに二人もいるじゃなーい」
「うわ。この人、当然のように俺たちを働かす気でいる」
「今はもうプライベートなんですけどー」
JJさんたちはぶつくさ言いながらも、二人でさっさとベッドを組み立ててあたしにお布団を用意してくれた。
「ま、来たついでだしな」
「ほれ新人。お前は寝てていいぞ」

「…………」
会ったばかりの人たちにさっきから甘えっぱなしで、非常に居心地が悪い。でも、せっかくよくしてもらえるのに、断ったらもったいない。
あたしはベッドに横になり、大人しく目をつぶる。
横でJJさんたちがダンボールをがさがさ開け始めた。

気分が悪いせいであんまり悩む余裕がないのはありがたかった。
もしも誰かに面倒を見てもらう必要がないくらい元気だったら、あたしは一人でこの知らない部屋に帰って来て、一人寂しく知らない荷物を片付けていたんだろう。絶対色々悩んじゃって落ち込んでいたと思う。
あたしって何気に相当運がないなあ、とか。
頼まれごとをノリで安請け合いするとこんなにとんでもないことになるんだなあ、とか。
でも今は頭が痛いから、考えるのが面倒くさくて、色んなことがどうでもよかった。

「…ほんとにひ弱っちい子ねえ。まだ顔色が悪いわ」
BB部長がタオルを濡らして持ってきて、また頭に乗せてくれた。
「すみません、…ご迷惑をかけます…」
悩みたいことは色々あるけど、とりあえず今はもう、どうでもいいや。
初めて知った。誰かが側にいてくれて、自分に優しくしてくれるというのはすごくいいものだ。特に、こんな時には。

「いーのよいーのよ、今日はこっちも色々悪かったわ。ごめんね、
部長がぺたぺたとあたしの頬を撫でた。その手のひらが柔らかい。
「だから…明日も元気で、会社に来るのよ?」


今日は心底散々な一日だったけど、上司と先輩が親切な人たちだったのは本当に良かったなあと思ったり何だりしたところまでは覚えている。
部長に見守られながら、いつの間にかあたしは眠ってしまった。


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