第3章−1


ブルックリン101小学校の敷地前。
BBさんJJさんたちと一緒に、それらしき子供が出てくるまで校門を見張りながら、時間を潰す。
といっても見張っているのは部長たちだけで、あたしは3人の後ろにくっついてはいるものの、ほとんど上の空だった。

天を睨んで考える。
あたしは一体どうしたらいいんだろう。
このままでは悪役になってしまう。それも、超下っ端な。
この立ち位置に飛ばされたことに意味があると考え、大人しく状況に流されといていいのだろうか。それともやっぱり正義を取ってシュウに味方するべきなのか。だけど、めちゃくちゃ逆らいづらい空気なんだけど。

見上げる空中にひょっこりまた光の精霊たちが現れはしないか、と待ってみたりもしたけれど、そういうことも別にない。
「よく分かんないけどやるだけやってみる」なんて大雑把に承諾しちゃったけど。今になって思えば、あたしが事前に彼らに聞いておくべきことは山ほどあったのだ。
…いや、例え何か聞いてたところで、答えてもらえていたかどうかは分からないか。
なぜダークウィズカンパニーからスタートするのかを聞いた時、まともな返事は返ってこなかったしな。
これがダメだったら何千年か待って次、というスパンで物事を考えてる人たちだ。いち人間の視点に立った細かいアフターケアにまでは、気が回ってないのに違いなかった。

溜息が出た。
あたしの悩める心も知らず、頭上ではいくつもの白い雲がのんびりと流れていく。空は穏やかに晴れている。

「出てきましたよ、部長」
「ほらあそこ。3人で歩いてる真ん中の…赤いキックボードの」
「そうね、間違いないわ」

BB部長があたしの耳を引っ張った。
「コラ、何をぼーっとしてるの!行くわよ、!」




「――あなたがシュウ・マツタニくんね」
「うん、ほんとはシュウゾウ・マツタニってんだけどね。おばさん誰?」
「おば、…」

シュウは二人の友達と一緒だった。
ピンクの髪の女の子、メグ。ちょっと太めで下半身だけほっそりした男の子、マック。
部長がとりあえず交渉を開始する。
「あなたのそのタリスポッドを50ドルで譲ってくれないかしら。なんなら100ドル出しましょう?」

「タリスポッド〜?父さんがこないだくれたやつなら、持ってるけど…」
友達二人に挟まれて、シュウはのんきに笑っている。
まるでシュウの周りだけふわふわした風に守られているみたいに、漂う空気は軽かった。
悲しい夢を見た後だから、シュウの平和な顔を見ているとほっとする。っていうか、シュウのこの笑顔をこれから壊そうとしているのがあたしなのか。
「ちょっと、シュウ。やめときなさいよ…こんなおもちゃに100ドル出そうなんて、何だかおかしいわ」
気前のいい条件を出しすぎたせいで、メグたちには既に怪しまれてるし。

「そうかな〜?おかしいかな〜?」
シュウは白いタリスポッドを弄りながら不思議そうに考え込んだ。
「う〜ん。じゃ〜、どうしよっかな〜。これ、せっかく父さんにもらったやつだしなあ…」

JJさんたちの黒サングラスの下の目が、ぎらりと光った、ような気がした。
「ああ…あれさえ手に入れれば…」
「俺たちの成功報酬が…」
二人揃って体が前のめりになってる。今にもかぶりつきそうな勢いだ。
きつめの化粧の部長といい、このJJさんたちといい、こんな大人たちに迫られたら正直相当怖いと思う。

でも、何せ相手は風のサーガだ。大の大人に取り囲まれ、食い入るような欲望の視線を向けられているというのに、ものともせずに飄々とした態度で悩み続ける。
「う〜ん。どうしよっかな〜、どうしよっかな〜」

シュウと同じくらい、実はあたしも悩んでる。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
あたしは、シュウを泣かせるようなことはもうしたくない。
できたらこの交渉がうまく行って、シュウたちを困らせることなく任務を完了できたらいいのに。いやそれだとシュウのタリスポッドをダークウィズカンパニーが買い取っちゃうことになるから、それはそれでダメなのか…

何とも宙ぶらりんな時間が、しばらく流れる。
「………、……」
イライラしてきたのだろう、部長のヒールの爪先が小刻みに路面を叩きはじめる。

シュウがぱっと顔を輝かせて提案した。
「よっしゃわかった!ね、そんならじゃー1000ドルでどうっすか、おばちゃん!」
すごい。スピリチャルレジェンズも部長たちも相当変なノリの人たちだけど、シュウも全く負けてない。
怪しい大人4人に囲まれながら、吹っかけた値段は元の10倍、その上おばちゃん呼ばわり付き。
これ、さすがは風のサーガ、というべきところなんだろうか。
部長の顔がぴきりと引きつった。
「お、おばちゃん!?しかも、1000ドル!?このガキ、下手に出てればいい気になって…!」

部長は腕組みしたままずいっと一歩シュウに近づいた。
「――いいからそれを渡しなさい。100ドル、払ってあげるから」
いきなり高圧的な態度。
シュウの表情が険しくなった。
「…だけどさ、おばさん。いきなりそんなこと言われたって」
「いいからおよこし!」
そこにマックが割って入った。
「シュウに乱暴は止めるんだな!」
メグがシュウの腕を引っ張る。
「ほら見なさい!やっぱり怪しい人たちだわ!」

そもそも部長やJJさんって、子供相手の話し合いには向いてないよね、外見からして。性格もだけど。
あたしが嘆くまでもなく、もちろんこの任務は部長たちが強面かつ直情派なのを見越したからこそ、回ってきた仕事なのに違いないけど。

「逃げるのよ、シュウ!」
「逃げるんだな、シュウ!」
メグが叫び、マックが叫んだ。
「そ…そうだな、よし!」
シュウはキックボードをぐるりと反転させて地面を蹴った。
「こっちに乗れよ、メグ、マック!」

「ちょっと…話はまだ途中よ、待ちなさーい!!」
部長が額に青筋を立てて怒鳴ったが、シュウのキックボードは子供の乗り物とは思えないほどの思い切りの良さでぐんぐん加速し、3人の姿はあっという間に道の向こうへ消えていく。




「チッ!やつらを追うわよ、JJ&!」
うわー、ナチュラルにあたしが数に入ってるー。部長の部下だから当たり前だけどー。

いい加減どうしようもないところまで来てしまったので、あたしは腹をくくった。
部長たちのやることをこのまま見てるって訳には行かないだろう、仕方ない。
勇気を奮って声を上げる。
「ま…待ってください!」

部長たちの動きがぴたりと止まった。
ぐりん。
3人が一斉に首を回して、あたしを振り返る。
「…どうかしたの、
「ああ。どうかしたのか、新人」
「何か、問題あったのか?」
「う…」
一斉に聞かれて、言葉に詰まった。
今日入社したばっかの立場で、上司に文句は言いづらい。
言いづらいけど、言わなくちゃ。ここはきっと、あたしが悪の道に堕ちるか否かの分岐点。
「あの。…嫌がってましたよ、あの子たち」

「…………」
「…………」
「…………」
BBさんとJJさんは首を傾げて互いに顔を見合わせ、それから一斉にあたしに視線を戻した。
明らかにこれは、妙なこと言い出しやがって、みたいな表情だ。
微妙に剣呑な空気が漂う。
「ええ、そうね」
「嫌がってたな、確かに」
「思いっきりな。…で、それが何か?」

あたしはめげずに言葉を続けた。
「に…逃げる子供を追いかけて無理やり持ち物を奪おうとするなんて。そういうの、よくないと思うんですけど。…人として」
JJさんたちがたじろいだように後ずさった。二人でぼそぼそ会話を交わす。
「せ、正論だー。…」
「何だよ、この新人。正論言っちゃってるよ」
「で、でしょ!あたしが正論でしょ?だったら子供を脅すみたいな真似は止めて、何とか別の方法を…」

これなら説得できるかも、あたしがそう思いかけたとき、部長がカッ!と高らかな音を立ててヒールを鳴らし、ちょっといい流れになりそうだった空気を踏みにじる。
眉がすごい角度に釣りあがっている。
「ああぁ!?どーーーーでもいいのよ、そんなことは!早く追いかけなくちゃ、見失うでしょ!?」
「ど、どーでもいい!?いや、どーでもよくないでしょ!ダメですって!」
「どーでもいいの!これはね、超・重要・極秘任務なの!人をおばさん呼ばわりしやがって、あのガキ許さん!!」
「それ、後半思いっきり私情じゃないですか!」

「ええーい、お黙りっ!あなたはしゃーかいじんとしての気構えがなってないようね、!」
部長がびしりとあたしを指差した。
「しゃ、しゃーかいじんとしての気構え…ですか?」
指を差されたあたしは、ちょっと怯んだ。
こんな状況になるまではただの高校生だったあたしに、そんなものを求められても困る。
あたしが弱気になったのを見てとって、部長はフフンと鼻で笑い、一息にしゃべった。

「いいこと、。この複雑化した現代社会では、自分の仕事がどう世の中に貢献できているのかを必ずしも実感できるわけではないわ…。だからこそ、どんな内容であっても、今日は今日できる仕事をきっちりやってのけることが大事なの!例え目に見える形ではなくても、自分の仕事はどこかで必ず誰かを助け、何かの役に立っている!ぱっと見やりたくない仕事だからって投げ出すようじゃ、社会人失格というしかないわね!いつまでも学生気分じゃいけません!」
「うっ…」
へ…変なとこでもっともらしい理屈を混ぜないで欲しいんですけど。
言い返す言葉が見つからず、あたしは思わず後ずさる。

ぽん、と頭に手が置かれる。
見上げると、あたしの隣でJ1さんが微妙な苦笑を浮かべて首を振っていた。
「…そろそろやめとけ」
J2さんがぼそりと部長に報告する。
「どうでもいいけど、部長。あいつら、ほんとに行っちゃいますよ」

「そうだった、今はこんな説教をしてる場合じゃないわ!車よ、車を回して!」

タイミングよく、社名のロゴが入ったバンがすさまじい勢いでドリフトしながら滑り込んできた。
運転席から丸顔の女性が顔を出す。クリーム色の制服と白いブラウスを着て、薄茶色の髪をお団子にまとめている。凶暴な運転に似合わず、淡くておっとりした印象の女の人。
「こちらです、お乗りください」

ダークウィズカンパニーの総務さんだ。

部長はさっさと車の方に歩いていく。
どうしていいか分からなくて立ちすくんでいると、J1さんがあたしの頭をぐりぐり撫でた。
「ほら行くぞー、新人ー」
J2さんが後ろからあたしの背中を押す。
「全くもー…あんまり部長を怒らすなよなー。怒ると怖いの、今のでお前も分かったろ?」
「あのでも、あたしはですね…」
「いいから行くぞー」
うやむやのうちに、J1さんとJ2さんに挟まれるようにしてあたしは車に乗せられてしまった。

多分JJさんたちは、部長にたてついたあたしをフォローしてくれようとしてるんだと思う、先輩として。
そんな感じの優しさが何となく言動から滲み出てる。
つまりは、いい人たちなんだと思う。
そもそも部長だって悪い人ってわけじゃない。自己紹介でいきなり頭にタライを落としたあたしを、笑って褒めてくれるような人だ。最後に言っていた社会人としての気構えについても、反論できる余地がない。
「…………」
ありがとうとかごめんなさいとか言いたくなったけど、それを言ったらそのままずるずるこの人たちの一員になってしまいそうな気がして、あたしは黙ってうつむいた。


「それでは、参りますー」
総務さんが鈴を振るような声で告げる。
ものすごい音でエンジンがうなり、車は走り屋のような勢いで猛然とシュウたちの追跡を開始した。


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