第14章−4


扇風機を二台、積んだ台車を押して、いつものように本社ビル最上階に向かう。
思えば初めてここに来たときは、敷居が高くてすごく緊張したものだ。携帯扇風機部でのあれこれに慣らされていくうちに、段々平気になっちゃって、すっかり通い慣れた道。

ダークウィズカンパニー、社長室前。
「――だったらさっさと何とかしたまえッ!自分と自分の部下が可愛かったらな!!」

社長のきつい怒鳴り声が扉の外まで聞こえてきて、あたしは首を縮めた。
社長が誰かに当たり散らしている。と、いうことは、ランシーンさんは中にはいない。
最近はずっと自分の洞窟にこもりきりだ。社長としてはそれが余計に気になるらしく、扇風機を届けろって命令もないのにやたらあたしを呼び出すから困る。
今日もそうなんだろう。
急いでないけど、中に入って会話を中断させた方が、怒られてる人のためにもなるだろう。あたしはそろそろとドアを開けた。
「ごめんください。ごめんくださーい…携帯扇風機部の、でーす…」

デスクの前に立たされていたBB部長が振り返った。
ピンクのメイクで縁取られた目が、あたしを見つけてちょっと大きくなった。
、…」
「部長…」
部長はすぐに顔を戻して社長の方を向いてしまい、あたしは、何て言ったらいいのか分からなくなった。
台車をごろごろ引き入れて、音を立ててドアを閉める。

上司だった人が怒られてるのを見るのって動揺する。見てはいけないものを見てしまったような気が、すごくする。
居たたまれない。
もちろん社長だってあたしの上司で、ランシーンさんに常に怒られてるけどさ。それは、最初からそうだったから慣れちゃった。自分だってパワハラで散々嫌な思いをしているはずなのに、下の立場の人に辛く当たるのは、あたしは、良くないことだと思う。

台車を押して、部屋の真ん中辺まで歩く。
ごろごろごろ。
部長とまだ話し中っぽいから、それ以上近づいていいかどうか分からなくて、うろうろする。
ごろごろごろ。
どうしていいか分からない。
くん…くん!ちょっと、静かに!」
「あ、はい。あの、でも」

「……、もういい!話は終わりだ、行きたまえ!」
社長が吐き捨てるように言った。
部長が深々と腰を折って頭を下げた。
「はい。…失礼します」

すれ違うとき、部長は指先だけちょっと動かしてあたしに手を振ってくれた。
固い笑顔が通り過ぎるのを見送って、あたしは溜息をついた。


嫌なもん見ちゃった。


社長は両手でこめかみを押さえ、デスクに肘を突いている。
「……。その台車で社長室に来るなと、私は言ったはずだがね」
「でも。今日は、予備を置かせてもらわなきゃいけないので」
と、あたしは言い訳した。
社長は肘を突いたまま動かない。数秒、空白の沈黙がある。
「…………。予備?」

あんな場面を見ちゃった後だと、微妙に言い出しにくい。
しばらく意味もなく左右によそ見をしてから、あたしは言った。
「えーと、あのね。明日、会社休みます。これ、その予備」
「!?」
「ちょっと、知り合いの子の用事があって。できたら平日にやっておきたいことなので…最近暇だし、構いませんよね??」
「…………、……」
社長は無言だ。

しばらくその場に立ったまま返事を待ってたんだけど、社長が肘を突いた姿勢のままぶるぶる震えはじめたので、気まずい空気を払拭するべく、てきぱきと動く。
台車を押して移動し。
デスクの横に扇風機の箱を並べる。
「このように、こちらに!扇風機の予備は用意しておきました」
あたしは爽やかに言った。
「えーっと、明日もランシーンさんから連絡ないといいですね!」
「なければないで困るんだよ!!」
耐えかねたように社長が叫んだ。
激しく頭をかきむしる。
「暇ッ!?この状態が、暇に見えるかね!?おかしい…、最近のランシーンさまは絶対におかしい…!!嵐の前の静けさだよ、これは!」

あたしは感心した。
「社長って、本当にランシーンさんのことよく見てるんですね」
「好きで!見ている!わけじゃなーい!!」
机を叩いて社長が叫ぶ。
「誰のせいだと思ってるんだ!無能な部下どもが、私の苦労も知らないで…!!」

あたしのせいじゃないし。
部長に八つ当たりするのだって、良くないよね。
でもストレスすごそう。
そこからはもう何を言っているかも分からないような絶叫になって、ひとしきり叫びまくった後、社長ははあはあと喘ぎながら机の上にうつぶせに倒れこんだ。
また具合が悪くなって倒れたら大変だ。
後ろに回って、背中をさする。
「…社長もたまにはお休みもらえばいいのに」
と、あたしは言った。
ぐったりとうつぶせになったまま、丸い頭が、ぽつりと答えた。
「…そうだねぇ」


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