第13章−4


ダークウィズカンパニー・携帯扇風機部のです。
とにかく長く続いた人がいない部署だそうだけど、あたしは、段々慣れてきた。

電気の消えた社長室。
窓を背にした丸っこいシルエットが、両手を組んで顎を載せ、肘をつく。くぼんだ眼窩が濃い影になる。
暗い目つきで、社長は言った。
「…ランシーン様がお出かけになる」

特に何も考えずにあたしは答えた。
「へー。珍しい」
「そうだ、とても珍しい…。君、ランシーン様から何か事情を聞いてはいないかね?変わったことがあったとか?」
あたしは首を傾げて、最近のランシーンさんの様子をざっと思い出してみた。
変わったこと。
何かあったっけ。
「さあ。あたしは、特には」
「……。はー。呑気だよね、くんは…」
社長は組んだ両手が額に当たるほど深くうつむいて、じっと机を見た。
「まあいい。とにかく、君にはやってもらいたいことがある」




社長に言われて今日も外仕事です。
正直、何をするのかいまいち良く分からないんだけど。
お使いと、多分お手伝い。
ランシーンさんが今日言い出した急ぎの用事で、先方も事情は分かってるからって、あたしはあまり説明してもらえなかった。

今回は歩きだとちょっと遠い。地下鉄とタクシーを乗り継ぎ、地図を頼りに、あたしはドーム型の白い建物の前までやってきた。
「…ここかな?」
シンメトリーなデザインの円形建物。ドーム部分はガラス張り――たっぷり体育館くらいの広さはある、巨大な温室だ。

その入り口に続く道には、今は、立ち入り禁止の看板とポールが立てられていた。
看板の奥にはアームをたたんだ高所作業車が停まっている。クレーンを積んだトラックに、フォークリフトも。
ここだ。工事してる。
あたしは立ち入り禁止の看板の横を通り過ぎて、作業中のおじさんたちに近づいた。
「オーライ、オーライ…もうちょい右寄せてー」
ちょうど入り口のガラス枠を外したところみたいで、代わりにブルーシートがかけられている。

「すいませーん。携帯扇風機部の者ですがー!」
あたしが声を上げると、責任者らしき人が手を上げた。
「どうも〜」

いわゆる『案件R』の、工事担当の人たちです。
今朝から、この作業車やクレーンを温室の中に持ち込むための作業をしている。

「まあ、『あの人』が遠出したいって時にはこういう工事がいつものことだから。気難しい施工主さんだから一応確認を…社長さんの書類、持ってきてくれたんだよね?」
「はい、ここに。時間の方は大丈夫そうですか?」
「ま、いつものことだからねえ」

期限は今日の夕方まで。
契約書とか許可証とか、預けておくよう言われた書類を渡して、サインして、進捗状況を聞く。30分くらいは前倒しできそうだって話なので、あたしは社長に電話をかけてそれを報告した。

「後は、ええと…何かお手伝いできることはありますか?」

とはいっても、車や重機を扱える免許があるわけでもなく。
あたしは周りの人に言い付けられるまま、通行の邪魔になる物をどかしたり、地面を掃いたり、こまごました用事に明け暮れることになった。
「おねーちゃーん、ちょっとこっち持ってー!」
「はーい!」
重い物を運ぶときに反対側を持ったりね。
工事現場に来ても、やることは雑用。

入り口を取り外した後は、車を乗り入れられるようになった。中は作業に差し支えない広さ。
この温室は、植物園だね。ドームの天井に届くほど背の高いヤシやソテツがあちらこちらで林を作っている。ガラス越しの日光で温められた空気は、むわっと熱がこもって、ちょっと動くだけで汗ばむほどだ。
ゆったりとした散策路に沿って、植え込みや花壇が配置され、綺麗に手入れされている。
広めの池と水路もある。しゃばしゃばと水の流れる音がする。

それにしても、わざわざこんなところで、一体何の準備なんだろう。
ランシーンさんの用事って言うけど、改装にしては中途半端。

「これは何ですか?…レール?」
長細い鉄の棒を運びながら、あたしは聞いてみた。ずっしり重い。
反対側の端を持ったお兄さんが、ニコニコしながら答えてくれた。
「そ。牽引すっから」
「?」
「引っ張るのよ、フックつけてこう、がーっ!とね」
お兄さんが歯切れよく説明を付け足してくれるけど、
「引っ張るって、何を??」
どうもイメージが湧かない。
「あー。もしかして、見たことない?扇風機担当は入れ替わり激しいからな〜」

あたしにだけ全体像がいまいちぴんと来ないまま、作業は粛々と進んでいく。
高所作業車が一番奥まで入ってきた。何度か切り返しながら草木に隠れるような場所に駐車位置が決められ、アームの先が外され、数人が乗れる四角い籠のような部分が、白い台座に付け替えられる。
監督さんが足早にやってきて、皆に声をかけた。
「運転手から連絡入りました。今から出発するそうです。皆さん、最終チェックをよろしくお願いしまーす」
「了解でーす」

「さあー。いよいよだよ〜」
お兄さんが面白そうにあたしに声をかける。金槌でガンガン地面のレールをたたいて、繋ぎ目の調整中だ。
「……?……??」
あたしは首を傾げながら、白い台座を掃除した。水を撒いてデッキブラシでこする。泥を流して、落ちた葉っぱがこびりついたりしてるのを剥がしてとって、仕上げに端から端まで雑巾で乾拭き。

時間になったら、皆が道具を片付けるのを手伝って、温室の隅で待機。
入り口で監督さんが叫んだ。
「ランシーン様、入りまーす」
「了解でーす」

ん?
ランシーンさんがここに来るの?

轟くようなエンジン音が響いて、近くで止まる。多分、大きな車が横付けした。
がちゃん。ごうんごうんごうん。
がちゃん。ごうんごうんごうん。
機械の唸る重低音。

何してるんだろ。
あたしは音のする方に首を伸ばした。通路を塞ぐように繁った葉っぱで、とても見通しが悪い。
隣で一緒に待機してるおじさんに聞いてみた。
「…見に行ってもいいですか?」
「ダメだよ。危ないし」
呆れた顔のおじさんに、あっさり止められる。
「行かなくたってこっちに来るから。ほれ」

がこんがこんがこん。
がこんがこんがこん。

クレーンに吊り下げられて運ばれてきたのは、何だか見たこともない、巨大な紫色の球体だった。
プレハブ物置くらいの大きさはあるだろう。紫色のガラス球の上に、幅広の金属フレームがかぶせてある。このフレームは上下部分にだけ固定されていて、ガラスの外側でくるくる回る。
見た目は、巨大な縞模様のボール。ボールの下に花びらみたいにプロペラがくっついたデザインのせいで、不思議な果実のようにも見える。転がして使うものというわけではなさそうだ。
ちょっと、公園の遊具っぽい。
「オーライ!オーライ!はい、ストーーップ!!」
球体はフックで吊るされ、ぶらぶら揺れながら、昇降機の台の上に積み替えられた。

さっきのレールのお兄さんがドヤ顔で球体を指差し、何やら身振りで教えてくれている。
それで気付いた。
…中で、何かが動いてる。
遠くからだと、ガラスが反射して見えにくい。あたしは近づいていって中を覗いた。

「うわっ!!」
分かった瞬間、思わずのけぞる。
中に入ってたのが、ランシーンさんだった。
「ら、ランシーンさんっ!?一体どうしたんですか??」

しゃがっ

ガラス球が割れて開き、ランシーンさんがめんどくさそうに鼻先を出した。
覗いてみると、内部はランシーンさんの体格ではほとんど身動き取れないほど狭い。かえってそれが具合よさそうに、カーブのついた壁に悠然と体重を預けている。床に突き出た止まり木に足をかけて座り直し、
「……。ご苦労」
と、ランシーンさんは言った。

「どうしたんです。一体何があって…、なぜそんなところに入ってるんですか?大丈夫??」
答えが返ってくるまでに、いくばくかの気だるげな沈黙がある。
「……。今日、外出するって。言ったでしょ」
「そうですね。お出かけなんだって、社長が言ってた。……」

あたしはまじまじランシーンさんを見た。
「あの、じゃあ、もしかして。…ランシーンさんは、わざわざ自分からその玉ころの中に入っているのですか?」
「そうですけども。何か」

ガラス球に詰め込まれて運ばれてくる、という状況が謎過ぎて、てっきり誰かに強要されたのかと思いました。
自分から中に入ったとは。変わった人だ。

ランシーンさんがめんどくさそうに立ち上がり、ガラス球から一歩、外に出た。
中身が空になった球体は再びクレーンで持ち上げられ、待機していた別のトラックの荷台に載せられる。
「オーラーイ、オーラーイ!」
それが終わると、今度はランシーンさんの乗った昇降機のアームが動く。

蓮の浮かぶ池のほとり。円形の花壇と向かい合わせに設置された、階段付きの丸い台座――つまりあたしがさっき掃除したところ――に、アームが横付けされる。続けて台の周囲の柵が外され、ランシーンさんはもう一歩だけ踏み出して台座に足を下ろした。

「…ふう」
台座の中央にどっかりおさまって、ランシーンさんはいかにも疲れたように溜息をついた。
割と、大きさぴったり。
物憂げに首を持ち上げ、天井を見上げる姿はまるでそうあつらえた彫像のようだ。
「…つくづく滑稽な生き物だ」
憂鬱そうな半目になって、ランシーンさんは呟いた。
「空気を汚し、海や川を汚し、大地を汚し。自然を破壊しつくしておきながら、こんな箱庭を作り、偽りの自然を楽しむとは」

かっこいいけど、フックで吊るして連れてきてもらってる人の言うセリフではないと思います。
「文句を言うなら、来なきゃいいのに。…」
突っ込みながら、あたしもつられて何となく上を見た。
ガラスのドームの丸い天井。張り巡らされた窓枠が、無数に重なる同心円になって、頭上を覆う幾何学模様になって、つくづく見てると目が回る。

偽りの自然、か。

外界から遮断された、温かく湿り気のある空気――
流れる水の落ちる音だけが静かに続く。むせかえるような緑の匂い――
ほとんど感じられないほどのかすかな空気の動きで、葉を揺らす木々――

突然一切の真実がつながり、閃いて、あたしは驚愕した。
「えーっ!!もしかしてこの工事って、ランシーンさんをここまで運ぶためだったんですかっ!?まるまる全部、お出かけのセッティング!?」
「そうですけども。何か」
当然のようにランシーンさんが答えて、あたしは顎を落とした。
何てめんどくさがりで、かつ、めんどくさい人なんだろう。
箱庭にけちをつける割に、ランシーンさん自身は常に人工物に囲まれてるし、今回だって人手と工事に頼りまくって、外の空気を浴びさえしない。そういう矛盾は気にならないのだろうか。

ランシーンさんの周りでざわりと風が渦を巻く。
吹き付けてくる。生暖かい温度の、粘りつくような風。
「……。滅多に外出しないんですよ、私は」
「こんな準備がいるんなら、それは、そうでしょうね!」
気になってたら、こんなかっこつけポーズはできないね。あたしだったらできません。
ランシーンさん。変なとこ、天然。

「…風は変わった。種を撒きます」
自分で自分の言葉を反芻するように、ランシーンさんは呟いた。
「種、…?」
植物園だから、もうそこら中に植わってるけど。まだ撒くんだろうか。
辺りを見回して困惑していると、ランシーンさんはあたしを見下ろし、薄ら笑った。
「フフン」
ちぇっ。バカにされてる。
「女の子が舌打ちなんかするもんじゃありませんよ。…さあ。お前たちはこれで用済みです。運転手だけ残して作業員を撤収させるように」
「了解しました」
返事をしてから、ふと気になった。
「じゃあ、…その種撒きは、ランシーンさんが自分でやるんですか?手伝いとかなくて?」

ランシーンさんは肩をそびやかす。
「あなた、手伝いたいですか?」
「何で?全然」
終わっていいって言われてるのに、わざわざ残業なんかしません。
「自分でやるっていうのが珍しいなって、思っただけ」
「珍しいでしょ。…言ったでしょ。滅多に外出しないんですよ、私は」




「お疲れ様でしたー」
「っしたぁー」
「お世話になりましたー」

撤収していく車を見送り、あたしはぐるりとドームの外周を歩いた。
「えーと、どっちから来たんだっけ…、あ!」
半周したところで、反対側にも建物の入り口があったことを発見した。
というか、雰囲気的にこっちが正面だったのかも。車を付けられるさっきの側は、作業用出入口。
裏口から回ってきた格好のあたしは、いつの間にか植え込みの中に入り込んでしまっていた。
がさがさまたいで、表の道に出る。

そこで思ってもいなかった顔を見つけて、あたしは声を上げた。
「あれーっ。部長!!」

BB部長とJJさんだ。
温室を見上げながら、何をするでもなく、話の流れに取り残されたみたいな顔をしてぼーっと立っている。
「お、新人」
「どうした?こんなとこで」

「今日、臨時の工事のお手伝いだったんです!皆さんこそ任務ですか?あ、もしかして中に用事?」
部長が慌てたように手を振った。
「ああ、いいの、…大丈夫。私たちの任務は、今終わったところよ。…」
「へー」
部長。何となく、歯切れが悪い。
J1さんがふと真顔になって部長に問いただした。
「なーんか今日の任務、おかしくないですか、部長」
「………」
部長の顔が曇る。
何かあったのかな。あたしは引き気味に三人の様子を伺った。
「……、どんな任務だったんです?」

「いーのいーの!大丈夫!が気にすることじゃないわ」
部長はぱんぱんと手を払い、あたしの頭を撫でた。
「会社に戻るなら一緒に乗ってく?ケーキあるわよ、紅茶も!」
「わ〜い!!」
これはラッキー。
部長たちにくっついて帰路につきながら、あたしは、何とはなしに今日自分がいた場所を振り返った。

――この温室のガラス、外からは中の様子が見えないんだ。
外は夕暮れ。
空を照らす斜めの光を反射して、ドームのガラスの一面一面がてらてらと、不思議な虹色に輝いている。
それは、どこか不穏な。

「……私たち」
ぽつりと総務さんが言った。
「何をやらされているのでしょうか」












全員が二度見した。
「えっっ??」
何で総務さん。シリアスっぽい締め方に流されて危うくスルーするところだった。


 BACK