第13章−10


イーストリバーに沿って伸びる、丘の上の遊歩道。
上半身のぽっちゃりした…下半身だけほっそりした後姿を見かけて、あたしは後を追いかけた。

「はいよー、いつものベーコンレタスバーガー…、あれ?」
マックさんは大好きなハンバーガー屋さんの声も耳に入らないみたいにふらふら歩いていく。
拍子抜けした表情の屋台のおじさんを、後からあたしが覗き込んで、声をかけた。
「2つください」
よく晴れた、風の強い日。


――何なんだろうね、話しかける、きっかけが欲しいのかな。
おじさんが、マックさんが買うと思って焼いていたハンバーガーだ。待ち時間もなくできたてのやつを受け取って、茶色いベストを着た背中をまた追いかける。
程なく、マックさんは道の真ん中でぼんやりと足を止めて動かなくなった。
それで追いついた。
「…こんにちは、マックさん」
遠慮しいしい、後ろから声をかける。

マックさんの背中が震えた。
「僕、何かしちゃったのかな…?」
あたしに気が付いたんじゃなくて、独り言のようだ。
「分からないんだな…何も、覚えてないんだな…」
マックさんはあたしを振り返ることなく、のろのろと下を向いた。
ひどく疲れた声が言った。
「……、苦しいんだな…」
マックはその場にしゃがみこんでしまった。

「マックさん…」
あたしは途方にくれた気分で立ち尽くした。
できたてほこほこのハンバーガーの湿った熱気が、あたしの腕の中を所在なく温めている。
「ねえ、マックさん。こんにちは…」
「………、……」
話しかけても返事がない。
しょんぼりした背中に手を伸ばしかけて、引っ込める。
――みんなが心配するわけだよ。
いつもみんなに…あたしに対してさえお母さんみたいに福々と微笑んでくれるマックが、こんな風になってしまうなんて。
怖くて触れられない。それ以上近づけない、見えない壁があるみたい。

あたしはしばらく突っ立ったまま、マックさんの背中を眺めていた。
思いついて、横に回る。それでマックさんが見ていたものが分かった。

アスファルトのひび割れた部分から雑草が生えている。
ただそれだけだ。土を隠して覆った路面を、かろうじてこじ開けるように根を張った草は、小さな白い花をつけていた。
風に吹かれて揺れている。
「アスファルトは…固いんだな…」
ありふれた、ただそれだけの光景が、マックに何を思わせたのだろう。
ぷくぷくした両手が伸ばされ、マックさんはそっとその花の茎を包むようにした。
「もう…シュウやメグやディーノと友達でいられないのかな…」
マックさんが呟く。あたしが答える。
「そんなことないよ。どうして…?」

ぼんやり花を見つめていたマックさんの視線がふと上を辿った。
つられて悲しい顔になってるあたしと目が合って、
「うわっ!!」
そこで初めてあたしに気が付いたみたいで、マックさんは跳ね上がった。
「い、い、い…!いきなり何なんだなっ!?心臓、バックバクなんだな!!」
「ごっ、ごめん!いや、結構前からいたんだよ!?」

マックさんははしはしとまばたきして、睫毛にたまった陰りを払い落とした。
ほうっと息をついて、首を振る。
「…僕、何だかちょっと、ぼーっとしてたみたいなんだな」
と、マックさんは言った。
「あの、これ」
あたしは作りたてほこほこのハンバーガーを差し出した。
マックさんはきょとんとした。
が買ってくれたのかな。…どうして?」
「…買いそびれたんじゃないかと思って」

あたしに驚いたせいでいつものペースに戻りかけていたマックさんの表情が、そこでまた、すうっと沈んだ。
「…おかしいんだな」
小さな声でマックは言った。
が僕に、気を遣ってるんだな。…」
「お、おかしくないよ??あたしは、いつでも優しいよ!?」
フォローのかいもなく、マックはうつむいてしまった。
「僕、やっぱり何かしちゃったんだな…。きっと何か、ものすごいこと、しちゃったんだな…」
「……。そんなことないよ…」


あたしたちはハンバーガーを分け合い、空いているベンチに並んで座った。
イーストリバーの水面も、その向こうに見えるマンハッタンの高層ビルも、午後の光をいっぱいに受けてきらきら光っている。風に吹かれてさざ波が立つ。
とってもいい天気。

「いただきます、なんだな」
マックさんがお行儀よくハンバーガーの包み紙を剥いた。
「どうぞ。あたしも、いただきまーす…」
「このハンバーガーは、前から僕のお気に入りなんだな。鉄板で焼き上げたあつあつハンバーグの香ばしさに、かりっと焼いたベーコンのしょっぱい味と、しゃきっとしたレタスの歯ごたえが合わさるとこが、シンプルにして絶妙なんだな。一口噛めば中のジューシーな肉汁があふれ出し…」
マックさんはもぐもぐしながら、いつもよりちょっとスローに、おいしいものを解説してくれる。
「へー。さっすが、本場のハンバーガー…」
あたしも食べることにする。
「んー。おいしいねー」
「うん。気に入ってくれたら、僕も嬉しいんだな」
「………………」
「………………」
こんなことで励ませるとは思ってないけど。
食べながらだと、途切れがちな会話もまぎれる。
「最近は、シュウのタリスポッドを奪いに来るの止めたのかな」
「そうですね。…配属がえがあったから」

「何だか僕は、も来てくれた方がいいんだな」
マックさんは困ったように笑ってみせた。
は、あんまり頼もしくないから。敵に回すと、安心なんだな」
「マックさん…、あれ?えっと、それ、褒めてる?」
「ふふ」
マックさんの頭がゆらゆら揺れる。
あたしが気を遣ってると思って、無理していつもどおりに見えるように振舞おうとしている。
「…そんなこと分かんないよ。あたしだって、」
あたしは急に腹を立てて言った。
「あたし…、マックさんが怖い思いしたの、あたしのせいだよ。だから、そんな風に思ってもらっても困る」
自分でも何を言いたいのか分からなくなって、そこで口をつぐむ。
そのまま顔を上げられなくなった。

マックさんの前だと、自分に嘘がつけない気がする。
仕事で言われて、やったことだし。
気付いていたら止められたとも思えないし。
――だけどやっぱり、あたしが悪いんだ。

「…ごめんなさい。あの日、植物園にマックさんが呼び出されるの、あたしも手伝いました」
うなだれたまま、あたしは言った。
こうして隣に座っていても、マックさんはあたしのせいだなんて全然気が付いてなくて、そのことがとても申し訳なかった。
「本当は止めることだってできたのに、何もしなかった。あたしが悪いんです。本当に、ごめんなさい…」

マックさんが悲しそうな顔であたしを見ていた。

話をしようと思ったんだ。
シロンさんやディーノくんやメグちゃんに言ったみたいに、言おうと思った。マックがちゃんとサーガとして覚醒すれば、大丈夫になるよって。落ち込み過ぎないでって。そうアドバイスすることでマックさんの精神状態が好転すれば、サーガとしての力も安定して、事態は解決の方向に向かうだろう。
だけど本当は、元気出してなんて、あたしが言える立場じゃない。
あたしは、本当は。
あたしに言えることって何だろう。

「ガリオンさんは、いい人だよ。…そう言ってた。グリードーさんが」
ガリオン、という響きにマックははっと顔を上げて、小さく笑った。
「…うん。そうなんだな。僕もそれ、知ってるんだな」
小さな明かりが灯ったような笑顔だった。

マックさんはしばらく黙って背もたれに体を預け、イーストリバーの向こうを眺めていた。
「いい人なんだな。…きっと」
ゆっくりと、それだけ言った。
「うん。…」


マックさんは首を傾けてあたしを見る。折からまた吹いてきた風に目を細くする。
そうしてほうっと息をつき、またきちんと正面を向いた。
「会ったばかりの頃、僕は――」
独り言みたいに、マックさんは言った。
のことが、少し怖かったんだな。シュウのタリスポッドを狙う、悪い人だと思ったんだな。…」
「…………」
「だけど、会ってるうちにのこと、ちょっとづつ分かるようになったんだな。タリスポッドを狙ってるのに、僕たちが危なくないか、はいつも心配してる。分かるようになって、それから僕は、が怖くなくなったんだな。だから、こうしてお話もできるんだな」
「…………」
マックさんはベンチにちょこんと腰掛け、自分の両手のひらをじっと見つめている――手のひらを通り抜け肉体を透過して、自分の中に眠るものを見つめようとしている。
脇に置かれたハンバーガの包み紙が、ブルックリンの風に吹かれて、かさかさ音を立てていた。

「僕らはみんな。知らないものと出会うとき、最初はいつでもちょっと、びっくりするんだな。…それだけのこと、なんだな。僕らとガリオンは、まだ、お互いにちゃんと知り合えてないだけなんだな?」
自分に言い聞かせるように、マックさんは言った。
「みんなそうなんだな。…色んなことが、きっとそうなんだな」
柔らかな薄茶色の目が、隠しきれない不安に揺れていた。

「そうだね」
あたしは相槌を打った。
「そうかもしれない。…そうだと、いいね。色んなことが。―――」

メグとズオウも。
ランシーンさんだって、もしかしたら、本当はそんなに悪い人じゃない。
シロンさんが持ってるものを、あの人は持ってないだけ。とっても怖い人だけど、本当は自分が一番怖がってる…そういうことを、分かり合えたら。
ちゃんと知り合えたら。
「みんな…、きっとあたしたちはみんな、ちょっとづつ違う場所から世界を見てて、さ」
つっかえながらあたしは言った。
「自分が知ってると思ってることは、それぞれがまだ、『本当のこと』の一部分なのかもしれなくてさ。全部ちゃんと知り合えたら、もしかしたら、…戦争とか、しなくてよくて、済むといいよね?」
「うん…、……」



あたしたちはイーストリバーを眺めながら、そうやっていつまでも風に吹かれていた。
よく晴れた、風の強い日。
シロンさんなら「いーい風だな〜」って言いそうな、いい天気。

ウインドラゴンのシロンさんが好きな、この風――
それは、世界で一番人の集まる街の風――
「!」
ハンバーガーの包み紙を手の中で握り潰し、あたしは、まじまじマックさんの顔を見た。
「――地球の悲鳴を聞く、マックか」
改めて呟く。
あたしが知っているのは『本当のこと』のまだ一部分に過ぎなくて、今この瞬間も、世界は矛盾に満ちている。


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