第12章−8


「あっ。タリスポッド落とした」
「えーっ!?」
部長の手から、ぽろりとタリスポッドが転げ出た。
この期に及んでもリボーンのエフェクトが終わっていない。きらきらしい光を垂れ流しながら、あっという間にすっ飛ばされて落ちていき、見えなくなる。
「つ、捕まえるのよー!」
J1さんが空気をかいて無理やりに宙を泳ぐ。
すごい。ギャグアニメみたい。根性だけで数かき分くらいはそっちの方向に近づいたような、別にそうでもないような…

「小僧の家で作戦するの、良くないよね、やっぱ」
帽子を押さえながら、J2さんが悟ったように呟いた。
「何て言うか。地理的にね…」
「ほんとにねー…」
眼下の住宅街が途切れ、広がる水面が近づいてくる。
シュウの家のある場所、そしてウィングトルネードの方向を考えるに、これはどう考えてもイーストリバー落下コースなのだった。
あたしは溜息をついた。
お寿司も一個しか食べられなかったし、ほんと何しに来たんだろ。



――ここはロングアイランドとマンハッタン島を隔てる海峡、イーストリバー。
二つの島をつなぐ、全長2キロのブルックリンブリッジ。
巨大な吊り橋のワイヤーを支えるのは、縦に長いアーチ形の空間を持った、ゴシック風の一対の塔。天辺にはアメリカ国旗がはためいている。

ぐるりと景色を見渡し。
行きかう人の勢いに、押されて歩道の端による。さっきの風でまだ揺れているワイヤーを掴んで、上方を見上げた。
「ぶちょおーーーー!JJさーーーん!」
「ここよーー、ー!!」
四角い塔の天辺から、部長が手を振る。アメリカ国旗も揺れている。JJさんたちも一緒だ。

あたしだけ、ワイヤーに引っかかって中央の歩道に落ちたようです。
残りの皆は、塔の頂上、イーストリバーに落ちるギリギリってところで団子になってしがみついている。
これまたギャグアニメならではって感じの、シュールな光景だった。
「大丈夫ですかーーーっ?」
「大丈夫じゃないわよ!きーっ!私のボーナス!!」
絶叫する部長の横で、J1さんとJ2さんが大変冷静に言った。
「ボーナスどころかまた始末書もんですよ、部長」
「しかも、たった今ついさっき、ソウルドールをタリスポッドごとまとめて紛失しましたからね」

任務の結果生レジェンズが放流されちゃうことに関しては、会社はかなり雑な扱いなのだが、タリスポッドがなくなったことって今までないと思うんだよね。
リボーン中だったし、大丈夫なんだろうか。
橋の天辺は、ちょっとしたビルの屋上くらいの高さがある。
しがみついている部長たちは、観光名所に場違いにも登頂しちゃった人みたいになってる。
…大丈夫なんだろうか。

「私たち、これから会社に戻るからー!も帰っていいわよー!」
部長たちを見上げながら、あたしはちょっと悩んだ。
「えーと。……。そこからどうやって降りるんですかぁーー??」

「……………」
「……………」
時間が止まった。
聞いてはいけないことを聞いてしまった。

「……。は帰っていいわよー!」
「……。了解でーす!お疲れ様でしたー!!」

返事はしたものの、すぐにはその場を立ち去りかねて、視線を釘付けにしたまま後退する。
「あ。そういえば」
思いついて、あたしは声を上げた。
「ゴブリンさんがー!こないだ、また外回りをやらせてほしいって言ってましたー!!」

…部長が手を振っている。
うん。これで少なくとも一個、前からあった用事を済ませました。



薄曇りの夕暮れだった。
暮れてゆく日の光は地平線近くの雲に反射して一面に空を照らし、日没と反対側の空まで夕焼けの色に染まって、変に明るい。
全てにセピアのフィルタがかかって見える。オレンジ色の空気の中を、泳ぐように、あたしは歩いた。

顔を上げて息を継ぐ。
もうスシパーティーは終わってしまっただろうか。
張り切っていたメグちゃんとマックさん、にこにこくねくねしてたシュウ。思い出すと、自然と足が重くなる。
楽しみに、してたんだろうな。

それでもシュウの家に寄らずに帰ることはできない。
今日は休日、まだ夕方。この後一応予定はあるけど、それは、すぐ済む用事だし。
近くにタリスポッドが落ちてたら見つけておきたいし。
しょんぼりした気分で、あたしは呟いた。
「…シュウ…まだ、怒ってるかな…」
今日のあたしたちは、シュウの何か、致命的な部分に触れてしまったんだと思う。
ひどく傷つけた。
もう一回謝ったら、話をしてもらえるだろうか。
シュウが無理なら、マックさんかな。…メグちゃんはきっと、すごく怒るんだろうな。

正面から様子を伺うのは気が引けて、さっき飛ばされた、住宅街の裏手に回り――
あたしはそこで、期待していた誰とも違う人物に出くわした。

遠くからでも良く見える。
白い羽毛に覆われた大きな体は、夕日を浴びて濃い金色に輝いている。
「シロンさん、……」
あたしは思わず物陰に身を隠した。

まだカムバックされてなかったのか。
だったらそのままここにいたっておかしくないんだけど、正直、話すなら違う人がいいです。

切れ長の青い瞳がじろりと動いた。
「おいそこの。ギャグ要員」
速攻ばれた。
「俺は今シリアスな気分なんだ…。お笑いとは、関わりたくねえ。とっとと帰れ」

うわあ、傷つくわあ。

隠れても無駄なようなので、あたしはそろそろとシロンさんの前に歩み出た。
「あのー…この辺に紫色のタリスポッドは落ちてませんでしたか?」
「あぁん?」
「さっき飛ばされる途中で、部長が落っことしちゃって、えーと…その…」

視線を合わせづらくて、言いながらうなだれる。
多分あたしは、こんなことを言うためにわざわざこの場に戻ったのではないだろう。
ぼんやり自分の靴先を見つめながら、あたしは、下を向いたついでに深々と頭を下げた。
「今日は申し訳ありませんでした」
「………」
「あたしたちが家に行ったせいでシュウにすごく嫌な思いさせちゃったみたいで…シロンさんとも喧嘩みたいにさせちゃって。だけど、どうしてシュウはシロンさんまでエロ本」
「その訳わかんねー例えを今すぐ止めろ」
不機嫌な声が、あたしの言葉を途中で遮る。
あたしは思わず首を縮めた。

シロンさんが溜息をついた。
長い尻尾を物憂げに揺らしながら、少し開けた場所へ歩いて行って、腰を下ろす。
突っ立ったまま見守っていると、シロンさんはあたしを振り返って顎を動かし、隣に来るよう促した。

恐る恐る横に並ぶ。

「…お前のせいじゃねーよ」
随分経ってから、シロンさんはぽつりと言葉を吐き出した。
「……。元々俺が家に来るの嫌がるんだわ、あいつ。スシパーティーにも『来るな』って言われてた」

シュウが悪いとか、何か誤解があるとかじゃなく、過剰に見えたあの反応を心底自分のせいだと思ってるみたいだった。
寂しげな目が遠くを見ている。…そのことについて、どうすることもできないと思ってる。
「そう、なんですか…」
なのできっとこれは、横からあたしが「そんなことないですよ」と言ってしまえるほど簡単な問題ではないのだろう。

よく分からない。
シュウの基準も。

シロンさんが初めてこの世界に現れたとき。不思議な風が集まる中心にいながら、シュウは本気で怯えてた。
シロンさんに言われても、サーガの自覚はなかったり。
どっちかってとマックさんとの方が素直に意思疎通できてたり。
そんな風に、シュウとシロンさんは最初からどこか「無条件の信頼がある主役コンビ」とは違ってた。

「スシ、食ってみたいよな、なんてな。思っちまってよ」
「…もしかしてシロンさんは食べてないんですか、お寿司??」
思わず聞いてしまったとたん、シロンさんがぎっとあたしを睨み付けた。
これは気まずい。
「あっでも…あたしもほんと全然…その、一個だけ…」
「食ったのかよ!?俺が食ってねえスシをおめーは食ったのかよ!?」
「だ…だって、マックさんがー…」

分からないけどさあ。
二人の間に感情の行き違いがあるなら、それはもっと、ちゃんと話し合うべきなんじゃないだろうか。解決できない問題だとしても、努力くらいはしてもいいんじゃないの?そういう意味では、言葉を超えた絆ってのも考えものだ。
あんな風に拒絶して。拒絶された側も物分かりよく受け入れちゃって、こんなところで黄昏れてる。
まるでどうにもならないことみたいに。

あたしはつくづくとシロンさんを見上げた。
「――言えばいいじゃん。スシ、食べたかったって。どうして無理なのか、聞けばよかったのに」

言わせてもらえば、世の中、もっとどうにもならないことは沢山ある。
会社をクビになったりとか。左遷されたりとか。ボーナス出なかったりとか。色々。

「ちゃんと聞いてたら知ってると思うんですが、ダークウィズカンパニーはシュウのタリスポッドを狙っているのであって、シロンさん目当てに現れているわけじゃないですよ」
「…同じことだろうがよ」
「同じこと…かなあ?シロンさんについて命令が出たってことはないし、ウインドラゴンなら探さなくたってダークウィズカンパニーにもいるし」
会社でのことを思い出しながら、あたしはぽつぽつと指摘した。
「だからシュウが、あたしたちが来たのをシロンさんのせいだと思ってるんだとしたら、それは誤解なわけですよ。…その辺、シュウとちゃんと話してる?」
シロンさんは鼻を鳴らしただけだ。
あたしは肩をすくめた。
「いいよ。シロンさんに言う気がないなら、あたしからシュウに話してきます」
踵を返して歩き出す。

元々、ここに戻ってきたのは、シュウが気になったからだった。
自分がシュウに何を話したいかはっきりして、ちょうど良かった。

どうにもならないことじゃないはずだ。
自分の気持ちを、行動の理由を、言葉で伝えること。お互いのスタンスを理解して、仲良くなろうと努力をすること。
シロンさんとシュウは、つまりは、レジェンズとサーガだからってそういう努力をサボってる。

「おい、よせよ!!」
「ぐぁっ!?何するんです!?」
唐突にシロンさんの手が伸びてきて、あたしの頭をわし掴みにして引き止めた。
「テメーに反省って言葉はねえのか!あいつの家には行くんじゃねえよ!」
「痛い痛い痛い!分かってますよ!ちゃんと外に呼び出すから…」
「ダーメーだ。絶対にダメだ!」
よほどあたしを行かせたくないらしい。
頭を掴んでいた手が離れたと思ったら、ぐいっと腕を引っ掛けられて拘束された。
ウインドラゴンの太い腕が、バックチョークであたしの首を締め上げる。
「ぎゃー!」
何と言う、ひどい扱い。

シロンさんは本気で怒っている。
シュウとは話もしないのに。
その感情も、向ける方向も間違ってるような気がして、あたしも腹が立ってきた。
「だからさあ!友達を一人だけ家から閉め出すなんて、おかしいでしょ!他の子はいいけど、お前だけダメねなんてことやったら、ダメでしょ!」
じたばたしながらあたしは言った。
「シュウはそんなことしちゃいけないし、シロンさんはそんなことされて納得しちゃいけないの!理由をちゃんと聞かなくちゃ。それとも、シロンさんはシュウと仲良くなる気がないの?」
あたしを押さえつける腕がびくりと動いた。
「…俺たちは。…友達じゃない」
「あー、サーガね。この場合、どっちだって同じですよ」

「同じじゃねえんだよ」
シロンさんの声が強くなった。
「…友達じゃないんだ。仲良くもなれない」

「……、はい?」
あたしは何とか首をひねってシロンさんを見上げた。
シロンさんは視線を落として、じっと地面を見ていた。
細い羽毛が金色にけぶり、端正な輪郭が際立つ。
「『戦うぞ、風のサーガ』ってさ。出会ったときから、何回あいつに言っただろう。…」
オレンジ色の光に焼かれて、地面に落ちる長い影。
「ただそういうもんだって思って、あいつに言ってた。よく考えりゃー意味なんて全然知りやしねえ」
「…………」
「戦いなんて嫌だよな、当たり前だぜ。まだ子供なんだ。…そんなことにも気付かねえで、俺はさあ」

固い視線は一点を見つめてじっと動かない。
諦めきった口調はひどく静かだった。
「あの家は、あいつの帰る場所なんだよ。…バケモンが領域荒らしちゃ、いけねーわ」
「……。自分のこと、そんな風に言わなくても」
「あぁ?つーかこれ、お前もだからな!行くなよな!あいつに心配かけんじゃねーぞ!!」

頑固な人だなあ。
ふっと言葉が口をついて出た。
「…そんなこと言ったら、あたしだって家に帰りたいです」
「あぁ?」
「あたしの帰る場所。帰る方法全然分からないなって、今日、思いました」
あたしは首を振る。
「皆に事情はあるのです。…あたしは、呼び方がどうでも、実際が友達なら、友達なんだと思うけど。シロンさんは何だか、わざわざ立場にこだわってるみたい」

シロンさんはしばらく黙ってから言った。
「いいんだ。元々俺は、何も望んでねえよ」
穏やかに目を閉じる。
「いーい風が吹くんだ、ここは。…俺は、そんだけ」
「はあ。…」



けたたましいバイクのエンジン音が近づいてきて、それほど遠くないところでドルドル言いながら停車する。
人目を気にしたのだろうか、あたしの首根っこを捕まえていたシロンさんの腕がふと緩む。それで、やってきたのが誰なのか、あたしも見ることができた。
カチャ。
すちゃ。
ライダースーツに身を包んだ女性がヘルメットを外す。長い金髪がふわりと広がり、オレンジ色の夕日を浴びて揺れた。
「ハルカ先生…!!?」

「あらー。もしかしてもう、レジェンズの色々、終わっちゃった後かしら?」
辺りを見渡し、ハルカ先生はゆっくり言った。
「いつも、そうなのよね。決定的瞬間を、いつも見逃してしまうの。…あなたがいるのに居合わせるのは初めてね」
そう言って、ハルカ先生はじっとあたしの方を見た。
あたしは、若干たじろいだ。
――ハルカ先生って、こんな人だったっけ。
雰囲気が違うのは、先生バージョンじゃないせいだろうか。こうして見ると、怖いくらいに綺麗な人だ。

シロンさんが肩をすくめる。
「今回コイツ、だいぶ居残ってるからな」
「はい…今回はその…特に新たなレジェンズが現れるということもなく終わりまして…」

「いてくれて良かったわ。…これ、返さなくちゃいけないもの」
ハルカ先生はベルトに吊るしたウエストポーチを開けると、中から手帳を取り出した。

あたしの社員手帳。
いきなり。
固まるあたしに、ハルカ先生は微笑んでみせる。
「ごめんなさいね、持って行ってしまって。あの日は色々、ごたごたしたでしょ。返せずじまいになってたの」
「い、いえ、こちらこそ…その…ええと」
あたしはすっかりしどろもどろになって、意味のあることを何も言えずに、棒立ちしていた。

やっぱりハルカ先生が持っていたのだった。
レジェンズウォーのストーリーをメモしてあったあたしの社員手帳。
前から聞こうと思ってたんだった。
お父さんのことを喋ってしまったのは、やっぱりまずかっただろうか、とか。
中身を見ましたか?なんて、いきなり聞いたら失礼?

あたしが突っ立っていると、ハルカ先生の方からこっちに歩いてきて、すっと手帳を差し出した。
本当にただ落し物を返してくれるだけのような、気軽な仕草で。
何も言えずに受け取る。
ハルカ先生の白い指が、手帳を受け取るあたしの指を掴まえた。
じっとあたしを覗き込んでくる。

目を見たときに悟った。
中身を見たのか確認する必要は、ないみたい。――聞かなくても分かる。

「あなたにお礼を言わなきゃね。
ハルカ先生はあたしの手を握りながら、静かに言った。
「ありがとう。あなたのおかげで、パパに会えたわ」


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