第12章−4


翌日、特に呼ばれたわけではないが、あたしは備品の台車を押して秘密の地下階へ向かった。
「この前来たとき、補充し忘れたものがあるんじゃないかと思ってー…」
エレベーターの中で言い訳を練習する。


ダークウィズカンパニーが『レジェンズバトル』のおもちゃを売るのは、レジェンズの宣伝みたいなものだ。現実と遊びの世界の区別が曖昧な子供をターゲットにして、レジェンズという存在が広く認識される状況を作り出すため。
『我が社の夢は一人でも多くの子供たちがレジェンズバトルで遊んでくれることだ』。ダックダックカンパニーへの訴訟が潰れたときのコメントは、心の広い共存共栄の精神を表しているようでいて、多分、まんま文字通りの意味。会社にとっては、コピー商品の氾濫さえも、レジェンズのイメージを広めるための手段になる。
そうやって皆が共有する。
本物のソウルドールやタリスポッドを真似して作ってある。
真似して作ってある、語られる物語の、形。

だけど本当は、どっちが先なのかって話だ。
レジェンズがいたから、人間が伝説を語り継いだのか。
人間が伝説を語り継いだゆえに、レジェンズが生まれてきたのか。
――『もしも道を見つけることができたなら、レジェンズを生み出し、導く意志は人間の中に存在していることになります』

ないはずの「光」を、真似して作った物語の中で存在させることに目的があるとしたら――その計画では、人間が先ってことだ。
この世界に、「光」という属性のレジェンズは存在しない。そんな話は聞いたこともない、とランシ−ンさんは言う。部長たちには見えてなかった幻。
でも、聞いたことのある話に、これからなったら?
現実と遊びの世界の区別が曖昧な子供に「光」が存在する形でのレジェンズバトルが広まり、人間が「既に滅びた楽園」に住む彼らの物語を信じて語るようになったら?

…推測に推測を重ねても結論は出ない。
でも、少なくとも「どっちが先なのか」については、間接的に検証可能なプロジェクトが存在している。そういえば。
どうも色々、敷居が高くて。
一回行って忘れてた。

もしも「レジェンズたちの世界」みたいなものが人間の夢から辿れる場所にあったとして。
それがレジェンズが人間から生まれてる証拠になるんだとして、――あたしの考えはそこで何だか行き詰まってしまう。
だって、レジェンズウォーは?

――『レミングスの物語をご存知ですか?』
あのとき、それがコンラッド博士の返事だったのだ。

ドリームランド・プロジェクト。
あれからどうなったんだろう。


エレベータのロックを解除し、エレベーターを降りたところで扉のロックを解除して、あたしは特に誰にも見咎められることなく「関係者以外立入禁止」のドアまで辿り着いた。
この間電球を替えたので、こうこうと明るいです。台車を押しながら、長い廊下をひたすら進む。
「えーと…どの辺だったっけ…」
これだったかな、と思う暗い色のドアが見えてきたところで、あたしは音を立てないようその場に台車を止めた。
とりあえず、様子を覗いてみることにする。

そーっとドアに近づく。
ちょっとためらう。
一回来たことがあるし、あたしはコンビーフにされたりしないとも分かってるけど、やっぱり怖い。
どう挨拶するのが無難か考えていたところで、中から誰かの声がした。
「――望めば道は開かれる。…わたしから教えてさしあげられることもあるでしょう」

とても年取った、老人の声だ。でも、ドクター・Qじゃないな。もごもごしていて聞き取りにくい。
あたしはぴたりとドアに貼りつき、聞き耳を立てた。
「だが、それが禁じられていることをあなたは本当にご存知だったのかな。世界の本当の姿を知っても、わたしのようにはならないと。目を閉じていればこれからも何も変わらずにいられると…――本当に?」
「…………」

しばらくそのまま待ってみたが、それ以上会話は聞こえてこなかった。
遠慮しいしいノックしてみる。
「こんにちはー。ドクター・Q−?」
返事がない。
「ごめんくださーい…、げほっ!」
部屋の扉を開けたとたん、もうもうと立ち込めるかび臭い埃にあたしはむせ返った。
何だこれ。

舞い上がる粉塵の中で、かつん、と何か硬いものが落ちる音がした。
はずみで光が反射して、きらりと光る。
「…ソウルドール?」
思わず目で追う。はっきり確認するより前に、床に転がったそれを三本爪の大きな手が拾い上げた。
翼はゆるくたたまれ、長い首は物憂げにうなだれて――
「げっ!」
誰だか認識できた瞬間、思わず声が出た。
ランシーンさんがぎろりと視線を投げてよこした。
「…………、……。『げっ』?」

あたしはしずしずと後ずさりして廊下に戻り、丁寧に部屋のドアを閉めた。
「間違えました。失礼します…」
ぱたん。

がちゃり。
閉めた扉が勢いよく開いて、ランシーンさんが戸口から鼻先を突き出した。
「…私は顔を見ただけで逃げ出したくなるような存在ですか」

「いえ、そんな!滅相もない!」
はきはきと返事をしながら、あたしは廊下の壁に背中が付くまで後退した。
それから、気になる。
「……。今、誰かとお話し中でした?」
「いいえ。…お前はこんなところで何をしているのです」
戸口につっかえるようにして、ランシーンさんがあたしをなじる。

いつもより早口だな、と、思った。
普段のランシーンさんは、時間をかけてゆっくり喋り、相手に無駄にプレッシャーを与えようとする癖がある。
今日は何だか、余裕のない声。
眉間にいくつも皺を寄せ、暗い色の目は引き絞られるように細められている。

問題は、この不機嫌そうなランシーンさんがいつもに比べてどれくらい不機嫌か、ということであって、そういう顔色読んだリスク回避は、社長の特技なんだよね。この場に社長はいないから、あたしには今、ランシーンさんが実際どれくらい不機嫌なのかを知るすべがない。
ていうか、ランシーンさんこそこんなところで何をしているのだろう。
「この階の備品の補充もあたしの仕事なんです。……。今、誰かとお話し中でした?」
「いいえ」
返事をしながら、ランシーンさんの手がさっき拾い上げたソウルドールを握りこんだので、あたしはしげしげその様子を眺めた。
はっきり見えなかったけど、ソウルドールだったような気がする。
何かのレジェンズ、だったのかな。
ちょっと首を動かす。
ランシーンさんの体に遮られて、部屋の中が見えない。

あたしの視線に気が付いたランシーンさんが、鼻を鳴らして体の向きをずらした。
覗いていいってことですね。
あたしはそろそろと戸口に近づいて中の様子を覗いた。
「あれっ??」
不意を突かれて声が出る。
そこには何もなかった。あると想像していたものさえ。
部屋の中は空っぽ。
綺麗さっぱり、ダンボールひとつさえ荷物の置かれていない部屋で、ただ、さっき巻き上がった埃がもわもわ床に沈んでいくところだ。
…誰もいない。
ランシーンさんが唸った。
「ここは空き部屋です」

壁いっぱいを占領していたあのコンビーフの機械も。
ドクター・Qも。JJさんたちと色違いの白服さんたちも。
以前ここに来たときに見たもの全てが、消えてなくなっていた。

部屋を間違えたのかと思いかけたところで、床にくるくる丸まった薄い金属片が落ちているのに気が付く。
…コンビーフの缶だ。

あたしは目をぱちぱちさせながら、この状況についてどう判断したらいいのか考えた。
「えーと。えーと…、うわっ!」
気が付いたらランシーンさんの顔がすぐ近くにあって、用心深い目であたしを覗き込んでいた。
固い声のまま、ランシーンさんが聞いた。
「お前はこの部屋で何が行われていたか知っているのか」

――この人の場所からは、世界の何が見えているのだろう。
何かを恐れている。
最初に会ったときから、あたしはそれを知っている。
あたしがその何かじゃないと判断したから、ランシーンさんがあたしを殺さずにいることも。

「いいえ。……。あー。電気は、ちゃんと付いてるみたいですねー?」
よって否定一択。
あくまで備品の様子を確認してみただけなんですということを口で説明してから、戸口から離れる。

戸口につっかえていたランシーンさんが、じりじり廊下まで出てきた。
「知らないんだ。…でも、ノックするとき、呼んでたよねえ。ドクター・Q」
「Q?いいえ」
落ち着き払ってあたしはすっとぼけた。
「P。ドクター・Pって、呼んだんです。パーキンス博士。あたし、レジェンズ班にいた頃から色々良くしてもらってて」
「…………」
ランシーンさんはしばらく無言であたしを眺めていたが、ふいと視線を外すと、面倒くさそうに肩をすくめた。
誰と話していたかは知らないけど、とにかく今は、あたしのことまで気にしている暇はないって感じだった。

「ふーん。なら、いいけど」
結局そう言って、ランシーンさんは憂鬱そうに溜息をついた。
「嫌なタイミングで居合わせるものだ。…お前のことが嫌いになりそうですよ」
「…………」
好きだったことなんかないくせに。

「何か言いましたか」
「いいえ!じゃっ、失礼します!」
あたしは備品の台車を押して、さっさとその場を逃げ出した。


行動を起こした結果、かえって謎が深まった。
一体何があったんだろ。
ただの引越し?
それとも、消された?

ドリームランド・プロジェクトは結局どこまで成功したのだろうか。
道は見つかったのか、本当はどっちが先なのか――そう、例えば、ランシーンさんはそれを確認できたのだろうか。
『ここは空き部屋です』

どうにも核心に近づけないのがもやもやする。
秘密のプロジェクトがあってさ。
怪しげな会話を立ち聞きしてさ。
目の前にランシーンさんがいてさ…つまり、ランシーンさんが悪いよね。
ランシーンさえもうちょっとあたしに親切だったら、色んなことがきっとずっと簡単になるのに。
ちょっとそんな空想をしてみて、あたしは首を振った。
「……、ないわー」

エレベーターまで逃げ戻り、もう一度パスワードを打ち込みながら、改めて自分のカードキーを眺める。
まあ、これがあれば、さっきの場所にはいつでも行ける。他のアプローチを考えます。


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