第10章−4


社長に指示され、あたしは一旦携帯扇風機部に戻って、机の引き出しから電話番号のリストを探した。
系列企業の内装業者に電話をかける。
「もしもし。ダークウィズカンパニー携帯扇風機部です。大至急、床の修理と椅子の取替えに来てもらいたいのですが。いえ。そうじゃなく。案件Rって言えば分かるようになってるって聞いてて…えっ。担当の人辞めちゃっていない!?そっちも!?」
こういう手配もあたしの仕事なんだって。
「見積もりですか。はい…できれば午後いちでこっちに来てもらって、はい」

昼休みの後すぐ、工事の見積もりに現場で立会って、契約書にサインする。
嵐の通った後みたいな社長室。いつの間にかランシーンさんの姿は消えていて、
「…ランシーンさんは?」
あたしが尋ねると、社長はハンカチで額の汗を拭きながら答えた。
「自分の部屋にお帰りになられたよ。…いつも居られちゃたまったもんじゃないよ」
「それもそうですねぇ…」
ランシーンさんって、自分の部屋はこことは別にあるんだ。そういえばそうだったような気がする。
いつも居られたらたまらない、という部分にはあたしも心底同意する。

「ていうか君、あの方をどんだけ怒らせたの…。一体全体何をやらかしたら、着任初日からこんな有様になるのかね」
「………。人違いだったんだ、そうです」
他に説明しようがない。
あたしの答えは、社長には大分無責任に聞こえたようだ。
社長は丸い体を小刻みに揺らしながら棘のある声を出した。
「別に、構わないんだがね。その怒りが、私の方に向かないならね?…」
言ってみてから本当にそうなったらどうしようと思ったらしく、社長はあたしに向き直るなり、両手であたしの両手をぎゅうっと握りしめてきた。
「君…!!まさか…これで辞めたりしないよねっ…!?怒らせるだけ怒らせといて、私を一人にしたりしないよねっ…!?」
「は、はぁ…」
あたしが思わず引き気味になるのもお構いなし。社長はすがるような目でぐいぐいこっちに押してくる。
「いいかね!私を見捨てたりしたら…!!ただでは済まないと思いたまえっ…!!」
「……うわぁ…うん…」
偉いんだか偉くないんだか、よく分かんない。
ダークウィズカンパニーの社長って、ほんと、色々大変なんだなあ。



いつでも扇風機をお出しできる状態にしておくように言われ、ダンボールの積み上がった部屋にまた戻った。
空箱を潰しながら扇風機の在庫を数えること数時間。
誰と会話することもないまま、窓の外では日が暮れていく。
「……はぁー…」
しみじみと溜息をついたとき、部屋のドアが音を立てて開いた。
、ここなの?調子はどーう?」

BB部長がにこにこしながら手を振っていた。後ろにJ1さんとJ2さんもいる。
「部長…!!」
まるで途方にくれたあたしを迎えに来てくれたみたいな。今朝ぶりに会う、懐かしい顔だった。
急に寂しくなって、あたしは一目散に部長に駆けよった。
「部長ぉー!!会いたかった!とっても!とっても怖かったんですよぅーー…!!」
「あらあら…いきなりどうしたの」
部長がびっくりしながらあたしの頭を撫でてくれる。

「部長って、なぜか女にモテるよね」
「女にはね」
JJさんたちがのんびりと話している。

「…皆さん、どうしてここに?」
「コレ。新人の荷物」
J1さんが抱えていたダンボールを持ち上げて見せた。
「いきなり呼ばれて行ったから、私物が置きっぱだったろ。持ってきてやったぞ」

なるほど。
あたしはしょんぼりしながら頭を下げた。
「そうでした。帰りに取りに寄ろうと思ってて…ありがとうございます」
迎えになんか来てくれるわけなかった。あたしは、もう皆とは別の部署の人間なのだ。
ダンボールを受け取り、机の上に載せる。
親切は嬉しいけど、レジェンズ班に自分の場所がもうないんだって知らせに来られたみたいな気分だった。

あたしが冴えない表情なのを見て、部長は軽く眉をひそめた。
「仕事、大変そう?」
「はい…」
優しい声に涙ぐみそうになりながら、あたしはこくりと頷いた。

部長が息を吐いて腕組みした。
「社長直属だっていうものねえ。あの卵オヤジの部下いびりには、私も散々嫌な思いさせられてるわよ」
「えっ、そうなんですか。テンパってた割には、色々親切な人でしたけど…」
とにかく大変そうな人だなあとは思った。
ランシーンさんにいじめられているところしか見てないので、あの気の毒なおじさんが部長を叱る姿って、何だか想像できない。
あたしの返事に部長が目を剥く。
「親切ぅ!?あの金目卵が!?ボーナスカットが!?」
「はい。割と…ここの仕事内容のせいですね、きっと…」
あたしの場合、社長がいびられてるところで一緒にいびられる立場だしな。
共通の敵がいれば、人は団結するものだ。敵じゃないけど、まあそんな感じ。

その辺の微妙な事情は、伝わったのか伝わらないのか、
「そう…まあ。なら意外と、どんなとこでもうまくやってけそうね?」
部長は呆れたようにあたしの頭を撫でた。
…社長よりひどい人がいるってだけなんだけどな。
撫でられながら、あたしの頭は自然と下を向く。部長が明るい声を出す。
「レジェンズ班でちゃんとやれてたんだから、大丈夫よ。こうなったのは、アンタにとってはかえって良かったかもしれないわよ」
うつむくあたしを覗き込むようにして、部長は言った。

「嫌だったんでしょ?ずっと。子供にああいうことするの」
「…………、……」
あたしは思わず部長を見返した。
部長がにこにこしているので、とっさに返事が思いつかなかった。
「何驚いてんだ、この新人は。最初っからまるで隠せてなかっただろ」
「あの態度でバレてないと思ってたんなら、そっちの方がびっくりだよねー」
JJさんたちの突っ込みも入る。

「私は納得してるのよ?この会社が好きだし。でも、あんたはまだ入社したばっかりなんだから。違う方向で自分を生かせる部署に移れるんなら、その方がいいに決まってるわ」
「…………、……」
そんなこと考えてくれてたんだ。
そこで視線がちょっと宙をさまよい、潰した空き箱だらけの部屋を見渡しながら、部長は言い淀んだ。
「…そりゃあ、見た目は窓際みたいなとこだけどね!」
「あ…やっぱり!?窓際ですよね、この部署…!?」
途中まですごく、純粋に、励まされた気分だったのに。そういうこと正直に言っちゃうから、部長は部長なのだった。

「…頑張れよ、新人」
J1さんがぽんとあたしの肩を叩いてくれる。
「…気ぃ落とすなよ、新人」
J2さんも、ぽんともう片方の肩を叩いてくれた。
「また一緒にメシ食いに行こうぜ」
「…はい」
頷きながら自分が笑顔になるのが分かった。
別れちゃうのが寂しいけど。世界で最初に会った上司と先輩がいい人たちで、ほんとに良かった。

「それではここで!ダークウィズカンパニー、社歌!」
部長が叫んだ。
「えっ。ラジカセないですよ」
「別にいいじゃない。ノリよ、ノリ!」

ふんふんふふ〜ん。
ふんふんふふ〜ん。
聞き慣れたあの演奏が流れてくる、つもりになって、誰からともなくエアミュージックでそれっぽいリズムを取った。
両手を後ろで組み、ぴしりと背筋を伸ばす。

部長がぴっと右手を挙げた。
「ダークウィズカンパニーは!」
皆で答える。
「子供のために!」

「ダークウィズカンパニーは、世界のために!」
「ダークウィズカンパニーは、未来のために!」
「ダークウィズカンパニーは、自分のために!」
「いい発声よ、!」

ふんふんふふ〜ん。
ふんふんふふ〜ん。

じゃーん。

色々あるけど、明日も頑張る。


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