第10章−1


ここはダークウィズカンパニー、携帯扇風機部。
仕事は、備品の補充だそうだ。

「領収書は『ダーク・ウィズ・カンパニー』宛でお願いします。社名はカタカナで、『ウィズ』の前後に中点を入れるのを忘れないでください。また、総務課で必要経費と認められない場合もありますのでご注意ください。…」
「はい…、はい…、」
引継ぎをしようにも前の担当者が辞めちゃっていないので、代わりに総務さんが色々説明してくれる。
総務さんの説明を聞き逃さないように、あたしは灰色の机に突っ伏して一生懸命メモを取る。

「ダークウィズカンパニーのダークな七不思議」なんて噂があることからも分かるように、ここ、ダークウィズカンパニーには秘密が多い。
一般社員の立ち入れない場所。そもそも存在することさえ知られていない、地下階の研究部。
そういう、秘密を知らない社員を関わらせることはできない場所の、備品の補充なんだって。

「特に、緊急の場合にはこちらの電話に連絡が入ることになっております。速やかに現場に急行し、補充をお願いいたします。くれぐれもお待たせすることのないよう」
「はい。…連絡が入ったら…、速やかに…と…」

話を聞いてる限りでは、そんなに大変な仕事でもなさそうな…ただの雑用みたいなんだけど。
本当にただの雑用だったら、前の担当の人だって、逃げ出すみたいにいきなり辞めたりしないだろう。
何かがおかしい。備品の補充って説明だけじゃ足りない。
不吉な予感。
「扇風機。……」
メモをとる手を止めて、あたしは呟いた。
備品の補充だって言うけど、部屋に積まれているのは全て扇風機の箱だから、特に扇風機ばっかり補充する部署ってことかな。
それで、頭のどこかで、何かが引っかかっている。

「あのぉ。…ドアのとこの名前を見たとき、思ったのですが」
この違和感の手がかりを何とかたぐりよせようと、あたしはさっきから感じていた疑問を口に出した。
「何で、『携帯』扇風機部なんですか?ここにあるダンボール箱みんな、普通サイズの扇風機なのに。…」

仕事内容とは関係のない質問に、総務さんは頬に指を当て、ちょっと考えるようにした。
「それは。恐らく」
微笑んだまま簡潔に答える。
「『人間の』携帯用ではないからです」

「人間の携帯用じゃ、ない…?」
「はい」
総務さんは言った。
「ですから、社長の特命で作られた大変重要な部署だと、先ほど申し上げました」
「…………」
慎ましやかに、でもはきはきと。総務さんはどんなときでも変わらない。まるで全てを知っていて、この人にとっては全てが当然のことであるかのように。


そこでいきなり机の上の電話が鳴った。


来たばっかりで心の準備もできてないのに、「緊急の場合」がもう起こってしまったようだ。
ピロピロピロ。ピロピロピロ。けたたましい電子音がクラシックなメロディーを奏でる。
「…………」
「……。お電話です。どうぞ」
総務さんに促され、あたしはおそるおそる受話器を取った。

『あーっ、もしもし!?携帯扇風機部のパウエル君はいるかねっ!?』
「ひぇえー!?」
名乗る間もなく電話の向こうの相手が絶叫したので、あたしは思わず受話器を耳から離してのけぞった。

誰だろう。男の人。まるで噛み付くみたいな勢い。
耳、キンとした。
「はい。あの…前いた方なら、急に辞められたそうです。…あたしは今来た後任の、と言いま」
『あーーーそうだ!そうだった!辞めたんだったねパウエル君は!!ははははは!!』

電話の向こうのおじさんがせわしく空笑いする。
びっくりしたけど、あたしに怒ってるわけじゃないみたい。何だか異様に疲れた声だ。
『それじゃーキミ!誰でもいいからキミ!新しい扇風機を至急社長室まで持ってくれたまえ!!』
がちゃん、ぶつっ。
返事を待たずに電話は切れた。

あたしは切れた受話器を持ったまま、しばらくぽかんとしていた。
すごいテンション。新しい仕事に慣れるには、しばらく時間がかかりそうだ。
「扇風機。……」
固まったまま、呟いてみる。
「人間の携帯用じゃ、ない…」

総務さんが穏やかに言った。
「くれぐれもお待たせすることのないよう」
「はい。そうですね…」
とにかくあのおじさんが焦っていたのは伝わってきた。急いだ方がいいだろう。
幸い、部屋に詰まれた箱の中には未開封のものがいくつかある。総務さんに手伝ってもらってダンボールを引っ張り出しながら、あたしはようやく、自分がどんな場所に来たのかを理解しはじめていた。

この扇風機を持っていく相手。
これからあたしが会うことになるその相手とは、恐らく――


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