第14章−6


あたしたちはブルックリン101小学校近くの公園にやってきた。
シュウたちは、今頃授業中かな。

「メグちゃんの側にいるのがダメって言ってるわけじゃないんだよ」
「うん」
「ただ、お互いのためにも、もっといいやり方があるんじゃないかって、話」
「うん」
ズオウくんが頷く。真剣な顔だ。
「メグ。練習する」
「そうです。いいやり方を、練習しましょう」

ズオウくんが闇雲にメグを守ろうとして、メグが怖がり、その姿を見たズオウくんが更に危機感を募らせる。
この、共鳴しあった悪循環をどうにかする。…そういう部分についてなら、あたしも手伝えると思うのだ。
二人の関係を根本的に改善することではないけど、言うなら、対症療法的対処。

あたしはカバンから双眼鏡を取り出した。
「これ、そのための道具です」
レジェンズ班の備品なんだけどね。
JJさんが最近暇だからいいよって言ってくれたので、借りてきた。

ズオウくんのサイズでも使えるかな。とりあえず渡してみて、目に当てるよう教える。
「落とさないよう気をつけてね。…遠くが見える?」
「うん、見える!」
「これからメグちゃんを見たくなったら、この道具を使いましょう。物陰に隠れて。なるべく遠くで」

ズオウくんは、双眼鏡から目を離すと、ちょっとしゅんとした。
「なるべく、遠くで…?」
「距離をとらなきゃ、ターゲットに見つかっちゃいます。ズオウくんは体も大きいから目立つし…ターゲットっていうのは、この場合、メグちゃんのことね。この練習では、基本、裸眼はNGです」


「んっ!んー、んんー」
野太い咳払いの音が、あたしの説明を遮った。
ダンディーだ。大きな体をそわそわと揺らして、こっちを見ている。
「…どうしたの、ダンディー」
「どうしたのー」

ダンディーは注意を惹いておいて歯切れの悪い態度だ。
…その、何だ。…今日の練習って、そのー」
「?」
何か言いかけ、言葉につまったように天を仰いで、そのまま開けっぱなしになったワニ口から溜息が漏れる。
ばくんと閉じる。
「…やっぱ、いいわ。何でもない…」
ダンディーは諦めたように手を振った。


いいなら、いいけど。
中断した説明に戻る。
「…例えば、こないだの夜もさ。ズオウくん、メグちゃんちの隣の家の庭にいたでしょ」
思い出して、あたしは手近な枝を拾って地面に線を引いた。
敷地と道路の線。がりがり地面に落書きし、ズオウくんがいた位置を枝で示して、解説する。
「位置取りからして良くなかったよ。道路からまる見えで、ターゲットだけじゃなく、そのお家の人にも見つかるとこだった…ターゲットっていうのは、この場合、メグちゃんのことね。マル対と呼ぶこともあります」

ぴしぴし枝で地面を指しながら、あたしはじゅんじゅんと物の道理を説いて聞かせる。
あたしも元は下っ端とはいえ、ダークウィズカンパニー・レジェンズ班の一員だ。得意ってほどではないけど、基本を教えることならできる。
張り込むときは周囲の様子を確認してから、なるべく人気のないところに。
目立たないように。
表口と裏口なら、裏口に。
ズオウくんは、双眼鏡を胸元で握り締めたまま、目を見張っている。

理屈は単純に。
危機感に縛られたズオウくんにも理解でき、実行しやすいように。
「気付かれるから、怖がられるでしょ」
あたしは言った。
「メグちゃんのこと、怖がらせたくないでしょ」
「うん」
ズオウくんが頷く。
「ていうことは、つまり、気付かれないようにすればいいわけじゃん」
「うん」
ズオウくんが頷く。
「ズオウくんがそこにいるって気付かなければ、ターゲットが普段どおりに生活するのに何の支障もないわけです。見つからなければ、ストーカーではない」
一語一語に力を込める。
ズオウくんの丸い目が、はっとしたように見開かれる。
「見つからなければ、ストーカーでは、ない!」
「分かってくれて嬉しいよ!それじゃー、実際色々練習してみましょー。いたっ」

いきなり後ろから頭をはたかれた。
両手で押さえて振り返る。
今度はシロンさんだ。
冴え冴えと澄み切った青い瞳があたしを見下ろし、シロンさんは唸った。
「……、突っ込む言葉も思いつかねえ…」



「何です、いきなり。ここまでの説明に何か不満でもあるんですか?」
あたしがむっとして聞くと、シロンさんはぐいっと首を曲げ、こっちに眉間を向ける角度になって睨みつけ、
「お前…お前さあ!レジェンズにストーカーを練習させるとかさあ!!」
「違います。シロンさん、全然話聞いてないよね?ストーカーにならないように、練習するの!」
「バッカじゃねーの!?見つからなきゃストーカーじゃないなんて聞いたことねえよ!」
言い合いになった。

「ストーカー!!メグ、守るー!!」
当のズオウくんは、多分、あまり状況を分かっていない。

ダンディーが腕組みしたまま目をつぶった。
「この子はねー…たまーにこーゆーとこあるんですわ〜。悪いヤツじゃー、ないんですけどね〜」
「ずるいよダンディー!すぐシロンさんの味方すんの!」

裏切られた気分になったあたしは、とりあえずダンディーに抗議した。
「これは、真面目な練習なんだよ!あたしだって別に得意って訳じゃないけど、仕事で一応経験あるからさ。ダンディーも、あるよね?だから手伝ってもらおうと思って呼んだのに。…」
「それで呼んだのかよ…」
ダンディーが溜息をつく。
シロンさんが意地悪そうに鼻で笑った。
「おうおうおう。悪かったなー、俺まで来ちまって」
「ほんとだよ。…いえ、別に。悪いなんて。全然」

空気を読まないダンディーが、ズオウくんの話ならって、シロンさんも連れて来てしまった。
あたしだって別に、シロンさんに何か文句があるとか、居たら嫌だとかって言うんじゃないけどさ。

もやもやした気分でシロンさんを見上げる。
「……。シュウ、元気?」
「あぁん」
「色々あったから。あたしのせいだけど…。シュウ、大丈夫にしてるかなって」

何だか最近、シュウのいないところで、シロンさんとよく会う。
マックさんの心配をして、ディーノくんといてみたり。
メグちゃんとズオウくんのことにも、こうやって顔を出す。

よそのサーガの心配もいいけど、自分のサーガのフォローはちゃんとできているのだろうか。
疑わしいと思います。やたらあちこち顔を出すのは、その埋め合わせのようにも思える。

あたしがじろじろ見るもんで、シロンさんは居心地悪そうに目をそらした。
「あいつは…まあ、元気なんじゃねえの?」
適当な口調で言う。
「逆に聞くけどお前、あいつが元気じゃないとこって見たことある?」
「…あります。そうなったら悲しいから、あたしは心配してるんです」

あたしが真剣に答えてるのが分からないはずはないのに、シロンさんの態度はやっぱり適当なままで、
「ふ〜ん?そう?あいつくらい悩みのないやつ、いねえと思うがなあ〜」
他人事みたいに言って、ぽりぽりと首筋をかく。
あたしは溜息をついた。
「……、シロンさんって、シュウのことになると何でそんなにめんどくさいの?」

スシパーティー後の言動から考える、シロンさんの傾向。
シロンさんは、シュウのこととなると言葉に出したがらない。
気付かない振りをしようとする。
一人で抱え込んで離れていこうとする。

関係、という言葉も考えられないくらい距離が近いんだよね、基本。
その上で自分に対してサーガという存在が設定されていることを素直に肯定できない、お仕着せの立場に対する反感みたいなものがあり、相手が子供ゆえにその反発をまんまシュウに向けることもできず、保護者っぽくなっちゃってる部分もあり。
全部が混ざり合って、シュウへの、ともすればぞんざいな言動になって現れる。それはシュウをほとんど自分の一部と見なしているからで、シロンさんの態度は、他人のあたしには、サーガとの距離の近さを当然のものとしすぎているようにも見える。

あたしは念を押した。
「他のサーガのことばっかり気にしてないで、シュウのことも、ちゃんと見てやってよ。よろしくお願いしますよ」
「何だよ、えっらそーに…気にしない訳いかねえだろ!現にお前に任せたら、こーゆーことをやらかすだろ!」
「こーゆーことって、何が?ウインドラゴンってほんと、対応は丸投げだし対案も出さないしそのくせあたしのやることなすこといちいちねちねちけちつけて、文句ばっかり」
またしても言い合いになり
「まあまあまあ!まあまあまあ!」
ダンディーが割って入る。
「まあまあまあ!…よいしょ」
会話を中断させるためか、あたしの体を抱えて、横っちょにどかした。
扱いが不公平だ。
「全くもう…どーして仲良くできないのー」
「だって、シロンさんがー!」


そのごたごたの間中、ズオウくんは口を半開きにして、じいっとあたしたちの様子を眺めていた。
「はぁ〜……。……」
何となく、良くない状況なのだと認識したようだ。
困ったように眉毛が下がる。

それで、自分も何か言わないといけないと思ったらしい。
シロンさんはズオウくんをつくづくと眺めた挙句に
「…下から見上げても怖くない笑顔の作り方とか、どうよ」
何とかひねり出した対案を述べた。
「ああー…なるほどー」
それはそれで、素晴らしい思い付きですね。
ズオウくん、本人に悪気はなくても、勢いと相まってたまに顔が怖いからね。

「メグから見ると、な。煽りのパースがついた作画は、おっかなそうに見えるからな」
シロンさんは更に、大変専門的な意見を付け加え、
「アニメに詳しいんですねえ、シロンの兄貴」
ダンディーが感心する。
顎の下の方からズオウくんを覗き込んでみながら、あたしは言った。
「いいですね、やりましょう」
さくさくと宣言する。
「でも、それはそれとして、尾行の練習もやるからね」
シロンさんがあからさまにむっとした顔になった。

あたしはシロンさんを見上げた。
「前、言いましたよね。全部一緒くたにして怖がってないで、解決できる部分は、解決しなきゃ。あたしは、この欝な空気を減らすために、今日の自分にできる仕事をしたいんです。…協力してもらえるんだと思ってたけど」
「…………、……」

答えられないシロンさんが押し黙って、会話が途切れる。
待ちくたびれてきたのか、様子を見守るズオウくんの視線が泳いだ。
「メグ。…練習」
「うん。練習するよー」

揉めてる時間はないのです。
わざわざ休暇をとって平日にこの練習をするのは、平日、ブルックリン101小に通うメグちゃんの行動を追うためである。
ぐずぐずしてたら午前の授業が終わってしまう。

「101小の場所は知ってるよね。授業中のメグちゃんを覗けるポイントはどこか。お昼休みにメグちゃんたちが校庭へ出るときはどこに居たらいいか。まず、その辺の位置取りから確認していきましょー」
地図を取り出し、さくさくと説明しながら、公園を出る。
「レジェンズ班にいたとき使ってた場所が、色々あるから。お弁当を食べてる様子が良く見えるとことか」
「うん、分かったー」

「ふーん。お前らの会社って、そーゆーことやってたんだー。ふーん…知ってたけど」
シロンさんはまだぶつくさ言っている。
「すいません、兄貴…」
なぜかダンディーが謝ってた。




まず目指すのは、校庭を囲んで張られたフェンス沿い、その南東の一角。
適度に木々が生い茂り、人目につきにくい空き地――

目的地に着くなり、聞きなれた声があたしを呼び止める。
「あれー、新人?」
「どうした、こんなとこで」
J1さんとJ2さんが立っていた。
向こうの道路にはDWCのバンが止まっている。

あたしが返事をするより先に、がさがさ茂みをかき分けて、ズオウくんがこっちに追いついてきた。
見た目は、巨大な白いモンチッチ。職業柄レジェンズを見慣れているとはいえ、JJさんたちの動きも不意を突かれて一瞬止まる。
「ああ。その人こないだ、朝、アパートにいた…」
J1さんが言い、
「新人の彼氏だ。さては、デートか?」
J2さんが言った。違います。

ズオウくんが不思議そうに聞いた。
「なーに。誰ー」
ズオウくんはレジェンズ班とはあまり関係のないところでリボーンしているので、JJさんたちとはまだ面識がないのだった。
なので、普通に紹介する。
「あたしの会社の先輩だよ。J1さんと、J2さん」
「ふーん。こんにちわー」
礼儀正しく素直なズオウくんは、ぺこりと頭を下げて挨拶した。
JJさんたちも、つられて頭を下げた。
「あ、どうも…」
「新人が何だか、お世話になってるみたいで…」

J2さんが、ズオウくんの手にした双眼鏡に目を留めた。
「…それ、レジェンズ班から持ってったやつだろ?」
「ええ。お借りしてます」
あたしが言うと、J1さんは屈託なくこっちに手を出してきた。
「良かった。俺らこっちに張り込みに来たとこでさー。持ってきてるんならちょうどいいや、その双眼鏡、やっぱ返して?」
こっちに寄こせ、の、手の形。
「えーっ!暇だから当分使ってていいよって、こないだ言ったじゃないですか」
「そうなんだけどさ…あの後すぐに、部長が来てさあー」

ズオウくんが困った顔でこっちを見た。
「メグ。…」
「うん。ごめん…」
そう言われたら、返すしかなかった。
JJさんたち、あたしの先輩だし。元々借り物だし。
あっちは、仕事で使う訳だし。

「悪いな。今日何か、これを使う用事だったの?」
双眼鏡を受け取りながら、J1さんがあたしに聞いた。
「この子に、授業中のメグちゃんを覗ける場所を教えるつもりだったんです。参ったな。…もしかして場所の方も、JJさんたち、これから使う?」
「うん。使う」
「ていうか、お前はその人に何を教えようとしてんの?ストーカー指南??」

違います。
あたしが返事をするより先に、がさがさ葉っぱの音がする。続けて茂みの向こうからやってきたのはダンディーだ。
その顔を見て、JJさんたちの動きが再び止まる。
「んん?そのワニ。もしかして昔、ウチにいた…」
「あー。何か、新人がごっつい懐いてた…」
「ワニ言うやつがワニじゃーーーー!!」
とりあえず怒鳴り返してから、ダンディーは茂みから足を抜いた。

あたしは溜息をついた。
計画が甘かった。
ズオウくんに教えたかった場所は、レジェンズ班で見張りをしたとき使った場所なので、平日に来れば、仕事のJJさんたちとバッティングしちゃうのは当然ありうることだった。
「しょうがないか…双眼鏡がなくても、できる練習はあるし…JJさんたちがここを使うなら、あたしたちは場所を変えて…」

そこで気が付く。
JJさんたちが、このブルックリン101小学校に、仕事で来てる。ということは。
「あの、JJさん」
あたしは慌てて声を上げた。
「張り込みってことは、つまり…JJさんたちは今、シュウゾウ・マツタニのタリスポッドを狙う任務中なんですか…?」
「当たり前だろ」
何を当然のことを、と言いたげに、J2さんが肩をすくめる。

まずいことになった。
今日のあたしには、ちょっと変わった連れがいる。
ズオウくんはまあ初対面だからいいとして、ダンディーもまあ、もう会社とは関係のなくなった人だからいいとして。
思わずそっちの方を向く。
ダンディーよりも更に遅れて。いかにも気乗りしなそうに。
がさがさ葉っぱを振り払い、ばきばきと周囲の木の枝を折りながら、ウインドラゴンがのしのしと歩いてくる――あたしたちがJJさんと一緒にいるのを見つけて、立ち止まる。

ばさり。
巨大な白い翼が宙いっぱいに広がった。
「―――おいおいおい。何だあ?そいつら、ここで何してんだよ?」


「えーっ。もしかして、あのでっかいのって…」
「いつもは話の後から出てくる…あの、でっかいの…?」
JJさんの二人は斜め上方を見上げ、今度こそ驚愕に固まった。

J2さんがぽつりとあたしを非難した。
「…お前の友達、全員、濃ゆ過ぎ…」
「……、すいません…」
一緒になって斜め上方を見上げながら、あたしは、とりあえず謝った。続く。


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